story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

月夜の女優

2021年05月17日 21時11分38秒 | 小説

桜が満開となった日の夜、友人たちと宝塚で呑んだ

宝塚といっても普通の居酒屋で、けっして豪華なレストランなどではない

僕と同世代の賑やかなおじさん、おばさんたちと午後の公演の宝塚歌劇を鑑賞し、桜が満開の「花のみち」を散策した後に立ち寄った宝塚南口駅近くだ

 

すっかり帰りが遅くなってしまった

集まった友人たちの中で、僕だけが宝塚市民ではなく神戸まで帰らねばならない

 

深夜の宝塚南口駅

まだ外気はうすら寒いが酒で体が火照り

僕は電車が来るまで駅のホーム端で夜風を浴びる

四月になったばかりの冷たい風が酔った体に心地よい

中天やや傾いて十三夜の月がおぼろげながらも煌々と光る

それにしても、初めて見たあの歌劇の感動はどうだ

これまでは女性だけしか宝塚歌劇の良さは判らないのだろうと思い込んでいたが、初老のこの僕が初めて実物を見てすっかり感動している

そして今日の桜の咲き具合も素晴らしく花のみちでの桜吹雪はこれまでに見たことがない美しさだった

 

ふっと、さっきまで誰もいなかったホームの端に女性が立っているのが見えた

夜目だ、だれもいないと思ったのは闇に慣れていない目の錯覚だろうか

向こうも僕を見つけたようで近寄ってきた、若い女性だ

 

「あの、お伺いしますが、上り大阪方面はこの電車で帰れますよね」

この辺りではめったに聞かない、きれいな標準語だ

「ええ、まだ梅田とか神戸でしたら」

「大阪駅、上りの十一時半の列車に乗りたいのです」

「ちょっと待ってね」

僕はスマホを操作し「乗換案内」から時刻を算出した

女性は僕がスマホを操作するのを不思議そうに見ている

 

「あ、次の電車が二十二時四十四分で、西宮北口で大阪梅田行き快速急行に乗り換えれば梅田には二十三時二十分に到着しますね、梅田から大阪駅まで歩いても十分もかからないでしょうから、なんとかギリギリでしょうか」

「ありがとうございます!」

嬉しそうな女性は小柄ではあるが、なかなか街中にはいないほどの美人だ

 

「京都とか、滋賀のあたりですか?」

僕は気軽に彼女の行き先を聞いた

「いえ、神奈川なのです」

「え?」

このご時世に大阪から神奈川へ行く夜行列車なんてあるのか?

彼女の言っているのは夜行バスのことなのか?

「助かった」

可愛く喜んでいる彼女には気の毒だが、そんな時刻に列車は存在しないはずだ

 

「あの、もしかしてバスで帰られるのですか?」

「え?バス・・バスが神奈川まで行くような長距離ってあるのでしょうか」

「いや、普通にあるじゃないですか、ドリーム号とか」

「そうなのですか、なんだか長距離すぎて疲れそうですわね、でこぼこ道を何十時間も乗るのでしょう・・」

可愛い女性は人懐っこく、大きな目をさらに丸くして不思議そうな表情をする。

「では、ああ、そうなんですね、寝台列車のサンライズエクスプレス」

「寝台車・・一度乗ってみたいですわね、でも高くって」

この可愛い女性との会話がうまく噛み合わない

 

じゃあ、どうやって神奈川まで…

僕のその不審を察したのか彼女は笑顔で教えてくれる

「門司からくる東京行きですよ」

僕にはもう、何のことだか余計にわからなくなった

だが彼女はお構いなしに僕に話しかけてくれる

「今日、舞台が終わったのです」

「舞台ですか?」

「はい、そこの大劇場の」

「え・・ではお嬢さんはあそこの女優さんなんですか・・」

「ええ、まだ駆け出しだと自分では思っているのですけど、別の組で応援の主役をさせてもらって」

「主役をできる方なんですか、それはすごいですね、僕は歌劇のことはほとんど知らず今日、初めて実物を見せてもらいました」

「あら、今日の公演を見てくださっていたのですね、ありがとうございます」

あの舞台のたくさんの女優さんの中でどの人が今のこの彼女なのだろう・・

そこへ電車のヘッドライトが近づいてきた。

僕らは電車に乗り、阪急独特の木目調の車内、その緑色の座席に並んで座った

 

「光栄ですね、ヅカの女優さんと電車に乗れるなんて」

そうは言ったものの、さっきからこの女性のいう事があまり納得できていない

「いえいえ、光栄だなんて・・私服を着ればただのおてんばです」

女性はそう言って笑ったがその声がまた可愛い

 

「わたし、舞台をしくじってしまって」

「え、そうなんですかそれは大変だ」

「でも大丈夫、お友達のケコちゃんがちゃんと抱きしめてくれたから」

「なるほど、女優さん達でもいざとなったら助け合いですね」

そのあとも彼女と子供のころの話や、宝塚音楽学校に入ってからの話、舞台の話などを伺い、今津線の十五分はあっという間に過ぎた

 

西宮北口でコンコースへ上がる階段手前で、一緒に今津線電車を降りた彼女が立ちすくんでしまう

「ここは・・」

彼女は絶句している

もしも、思う時間に梅田へ着けなければ気の毒だと、僕は思わず彼女の手を引いた

冷たい手だった

「こっちですよ、西北は初めてですか?」「いえ、あまりに変わっているもので」

だがこの駅が大改装されたのはもう二十年ほど前のことではないのか

 

また不審に思ったが、それよりは時間がと僕の気が急き、エスカレータを乗り換え、梅田方面のホームに向かった

ちょうど入ってきた大阪梅田行き快速急行に乗る。

僕は遅くなるが、JR大阪駅で折り返せばまだ十分帰られるはずだ

「ありがとうございます」

女性は畏まったように礼を言う

「まさか、ヅカの女優さんが西北を知らないのはびっくりしました、あ、今頃はほとんど自動車での移動なんですね」

僕がそういうと彼女は「いえいえ、自動車なんてそんな、ほんとうに、すごく変わっていたものですから」と少し意味が分からない返事をする

「そうですか、大工事して変わったのはもう随分昔のことですが」

「でも、わたしの知っているのはもっと昔・・」

え?

どう見ても二十代前半の可愛い女性が西宮北口大改装のもっと昔なんて知っているはずがない

「まさか、お嬢さんは四十年前くらいから生きておられるのですか」

ふっと、そう口走ると彼女はちょっと寂しげに頷いた

「やっと、あのお芝居が終わったのです、長かった」

「終わったといいますと」

「春のおどり、っていうお芝居なのですけどね」

「春のおどり・・」

「あれから六十年ほどかしら、やっと今日、帰れるのです」

「今日?帰る?」

「あの夜と同じ十三夜の四月一日、神奈川にですよ」

何を言っているのか僕には理解ができない

闇の中を突っ走る快速急行のモーターやレールジョイントに僕は自然に黙ってしまった

結局はこの女性を大阪駅、それも神奈川へ帰るというのだから上りホームに連れて行けばいいのだろうと自分に言い聞かせ、列車の揺れに身を任せる

小さな肩が僕の方にもたれかかってくるが、不思議に重さを感じない

だが、くすぐったいような感触はある

安心したのか、女性は眠っているようだ

 

やがて列車は梅田に着いて、僕は彼女を促して駅のホームへ出た

「ここはどこですか?」眠そうに彼女が訊く

「梅田、阪急電車の梅田駅ですよ」「ここが梅田…嘘みたい」

「ここが出来たのはもう五十年ほど昔のことですよ」

だが、彼女は目を丸くしているだけで、止むを得ず僕は彼女の手を牽いて中央口から大阪駅へ向かった

「眩しい、まるで舞台みたい」梅田の光の渦を見てそんなことを言う

歩道橋を渡り、大阪駅を見るとやけに暗い

「あれ、こんな駅だったかな」今度は僕が驚いて辺りを見回す

十三夜の月は先ほどよりずいぶん、下のほうで煌々と輝く

 

ピ~~、電気機関車が発車の合図ともとれる警笛を鳴らしている

とにかく上りホームに彼女を連れて行かねばならない

改札口に駅員は居るが、切符を持たない僕たちが走って通っても何も言わない

駅員も、深夜とはいえ多くいる乗降客もまるで幻灯機の映像のように僕らとは違う世界の人たちみたいに見える

古びた階段を駆け上がり、大阪駅十番ホームに着いた。

目の前に茶色の客車がたくさん連なって停車している

「あ、この汽車です、今日は大阪駅までご案内くださり本当にありがとうございました」

開け放しのドアから女性が客車のデッキへと入っていく

 

女優さんだという彼女は、デッキに立ってしきりに頭を下げる

「どうか、暖かい車内に入ってください」

「ありがとう」

もう一度深くお辞儀をしてくれて女性は質素な客車の中へ入っていった

女優さんがこのような列車に乗るのかと不思議な気持ちになったが、やがて発車ベルが鳴り響き、電気機関車の警笛が聞こえる

 

がくんと軽いショックの後、空いている車内に落ち着いている彼女は僕を見て会釈をしてくれ、彼女を乗せた古びた車両は通り過ぎていく

レールジョイントのリズムを速めていきながら、長い編成の列車は僕の前から遠ざかり、こんなに暗かったかと思う大阪駅の先へ列車はゆっくりと去り、赤いテールライトが闇の中でひときわ目立つ

 

僕は列車を見送ってから辺りを見渡した

そこは確かに大阪駅で、連絡口改札からのエスカレータの真横に僕は立っている

銀色の快速電車が発車するところでいつもの喧騒の中の大阪駅だ

それにしても可愛い女性だったと思いながら、四月一日、不思議な出会いに何となく暖かいものを感じながら僕は深夜の神戸線、最終近い新快速電車で帰る

 

翌日、宝塚で会っていた友人の一人にライン通話でこの不思議な話をした

歌劇の午後の公演を観るように企画してくれた僕より少し年上の女性だ

その女性は一瞬絶句した後、不思議なことを言った

「そうなの、ヒロミちゃん、やっと帰れたんやね、きっと大阪駅まで連れて行ってくれる人が初めて見つかったのよ」

そしてこう続けた

「ありがとう、私からもお礼を言うわ」

さらにこう付け加えた

「昨日は彼女の命日で、しかも十三夜だったわ‥」

 

 

*昭和三十三年四月一日、公演中の事故で将来を嘱望されていた一人の女優が亡くなられました

改めてご冥福をお祈り申し上げます

 

 

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小諸にて。

2021年05月01日 14時48分30秒 | 小説

初めて小諸に降り立った時は雨だった

梅雨の終わりとはいえ、日本で有数の晴天率の町と聞くここで雨に出会うのもまた珍しいのかもしれない

質素な昭和の佇まいを残す駅の改札口で約束していたはずの女性を探す

これまで電話やメールではやり取りしていたが会うのは初めてで、その女性の容姿も全く見当もつかず少し途方に暮れる

少しと書いたのは、昼間の小諸駅前にさほど人はおらず、その中でいかにも旅行者然としている僕は地元の人から見てたぶん異質に見えるはずで、だから先方からきっと見つけてくれるだろうという楽観が僕の心にあったからだ

 

だが、たとえば会うのは止めましょうと言われてしまえば、僕はその女性の姿を全く心にも留めることが出来ないわけでその部分の不安は少しはあるとそういうことだ

小諸の駅は地方都市にしては構内の作りが大きく、十二両くらいの列車が停車できるほどの長いホームがある

雨の降る小諸駅の構内を改札から眺めていた

 

「あの、もしかして」

改札の前で待っている僕には意外な、駅の外から入ってきた女性が声をかけてくれた

「あ・・メールを下さった方ですか」

 

若い人ではない

僕と同年配の初老にあたる世代の人だろう

だがこの人の、雨の町を背景にした落ち着いた雰囲気はどうだ

女性は少し硬い笑顔で「お待ちいたしておりました」という

「電車から降りてこられるものと思っておりました」

「ええ、一本早い電車で着いてしまったものですから、そこのカフェでお茶を飲んでいました」

頭を下げながらそういう女性は小柄で、何度か電話で話したときの優しく落ち着いた喋り方だ

 

僕はこの町で見なければならないものがある

だが、その前に彼女との出会いがどんなものになるかということに少し興味もあった

「では、さっそくですが」

彼女はそういうと、体の向きを変え、傘を広げて小諸の町へと歩き始めた

僕はせめてここで少し休んでお茶でも飲んでからと思っていたのだが、ついていくしかない

彼女はたった今、お茶を済ませたばかりなのだ

 

「あの・・・」

少し駅前からの道を歩いて僕は無言の彼女に声をかけた

「はい?」

彼女は振り返って首を傾げる可愛い仕草をした

「浅間山はあっちのほうですか?」

「いえいえ、この正面ですよ」

クスッと笑う

少女のような純朴さもある女性だ

「どんなふうに見えるんでしょうね、このあたり、来たことがなくて」

僕の問いに彼女は立ち止まりちょっと考えて笑みを浮かべる

「ちょうどあのあたりに、丸いお山が二つ見えます、右の丸いお山は実はさらに二つが重なっていて、その奥のほうが浅間山ですよ」

「群馬あたりからだと、富士山のような感じですよね」

「ですね、でもここからだと可愛いですよ」

「浅間山が可愛いのですか?」

「そう、ちょうど・・おっぱいのよう」

そういったかと思うと、彼女は舌を出した

 

思わず彼女の胸のあたりを見てしまう

だが、紺のワンピースの胸のあたりは僅かな膨らみを感じるだけで、およそ丸いおっぱいとは程遠いのかもしれない

「あの・・・」

「今度は何ですか?」

少し楽しそうに彼女は答える

「もしかして、独身ですか?」

しまった、失礼な質問をしたと思ったのだが、すぐにあっけらかんとした答えが返ってきた

「わかります?チャンスをうまく掴めなかったし、独り身は気楽ですし」

明るいグレーの傘が回りワンピースのスカートが翻る

 

なんでこんな魅力的な女性が独り身なのだろうと僕の中にふっと疑問がわく

 

坂ばかりがある街の、その坂の中ほどを横切るかのように国道が走り、地方都市らしく所々歩道もなくなる国道を連れ立って歩くが、さほど交通量は多くないようだ

それにしても落ち着いた街だ

いや、落ち着いているというより、鄙びたという感じだろうか、昔はもっと繁栄していたのだが、何かがあって町が寂れてしまったような感じがする

 

連れていかれた家は、町の中心部で、系統の異なるレストラン二つに挟またところにあった

鍵を開け、彼女の後に続いて家に入ろうとすると彼女は玄関で僕のほうを振り返り制止した

「ちょっと待ってくださいね、これと、これと、これをもって」

彼女は手提げカバンから出したのは懐中電灯と使い捨てのスリッパ、軍手だった

家の電源は切られていて、真っ暗だ

その中へ、僕は美しい女性とまるで探検でもするかのように懐中電灯を使って部屋を一つずつ案内されていく

声を潜める必要もないが、どうしても囁くようにしか会話できない

「ここが寝室だったと思われる部屋で」

「ここは、お兄さんの部屋だったところ、もう何年もこのまま」

「ここはたぶん、お母さんのおられたところ」

真っ暗な家の中を案内してくれる小柄な女性、その後ろにくっつき僕は息を潜めているような気になる

部屋の中はどこも多くの荷物が積み上げられ、懐中電灯を照らしても見通しも効かず、長い期間締め切っていた部屋独特の異臭が鼻を衝く

 

各部屋を案内してもらい、外に出ると雨が上がって空が少し明るくなっていた

腕時計を見るともう、午後もかなり進んでしまっている

「今日、帰られますか?」

彼女が僕に訊く

「いえ、今からではもう関西まではとても帰れませんので・・どうしようかと」

「じゃ、私が知っている、よく使うホテルに訊いてみましょうか、駅のすぐ裏手で懐古園の真横です」

「それは助かります、シングルでオッサン一人、お願いできたら」

「わかりました」

そう言って彼女はスマホを手に取り、操作をする

「あなたは、今日は帰られるのですか?」

「ええ、多少時間はかなりますが、今日中には自宅に着くので」

彼女の自宅は栃木県だ

「でも、新幹線が出来て、ずいぶん不便になりました」

新幹線ができる前は高崎で一度乗り換えるだけで往来できたのが、今は乗り換えが増え、時間も運賃も余分にかかるようになったという

そう、小諸には新幹線の駅はできず、それまでたくさん走っていた特急列車がすべて廃止されてしまっていたのだ

新幹線はなぜか小諸のずっと南を迂回し、佐久市に駅ができた

今、かつての繁栄を思わせる小諸駅に停車するのは第三セクターの普通電車だけだ

 

浅間山の方角を見ると、少しずつ雲が晴れてきているようで僅かに山の稜線が浮かんできて、その雲の動きに僕は気を取られていた

 

「はい、それでお願いします」

彼女はスマホに向かってそう答えて電話を切り、僕のほうを見てニコッと笑う

「ツインにしました、そこしか空いてなかったので」

「え・・」

「でも、おひとりでツインだったら高くなるし・・ご一緒じゃいやですか?」

「いや、そんな・・・」

「あのホテル、ツインの部屋が浅間山側で、朝など部屋からの景色がとても綺麗なんです」

「は・・はぁ」

僕の心臓は年甲斐もなく高ぶり、ドクドクと音を立てる

やがて、雲が途切れて浅間山が全景を現し始めた

「ね、おっぱいみたいでしょ」

彼女がクスクスと笑う

二つの大きな丸っこい山があって、その頂上付近にまだ雲がかかっている

それは、顕わになった女性の胸の、その部分をそっと両手で覆うような様子を想像してしまう

「あら、何か想像されましたか?」

「いや・・その・・」

僕は赤面しているのが自分でも分かり、しどろもどろな答え方をしていた

 

彼女について駅前から長い歩道橋を渡りホテルに向かい、そこに到着してもフロントでの手続きは彼女がしてくれ、部屋に入ると彼女が真っ先に窓のカーテンを開ける

夕陽を浴びた浅間山が窓いっぱいに広がっているが、形の良い女性の胸のようにみえてしまう

「不思議なことに浅間山は、朝のうちは見えないことが多いのです」

「朝は見えにくいということなんですね」

「霧が多くて・・」

そう答えた彼女は僕のほうを振り返り悪戯っぽく笑いながら言葉をつづけた

「ご一緒のお部屋、ご迷惑かしら?」

「いえ、そんなことはありません・・・」

どうでもよいような会話をしながら慣れた手つきで備え付けの電気ポットで湯を沸かし、これも備えてあるティーパックを取り出してお茶を入れてくれた

「私、我儘なんです」

「はぁ」

「あなたにはご迷惑でしょうけれど」

湯呑をゆっくりと口に運び、お茶をすすって「嗚呼」とため息を漏らすそのしぐさが可愛い

「可愛いですね」僕が思わず口に出すと「還暦女ですよ」といいながら笑う

                                

気がつくと僕たちは重なり合っていた

小柄で細身の体の、さほど大きくはない胸の丘が僕の目のすぐ先にある

「あ、窓のカーテンを開けたままでした」

僕が立ち上がろうとすると彼女は僕の背中に回している腕に力を入れる

「大丈夫、見ているのは浅間山だけですよ」

そうか、そうだった・・・

近くに高さでホテルを凌駕する建物などあるはずもない小諸の町だ

(銀河詩手帖305号掲載作品)

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