story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

凍り付いた駅で

2022年08月22日 23時04分42秒 | 小説

冬の夜
上田から乗ったしなの鉄道の電車は淡々と走る
昔懐かしいというのか
ボックス型の向かい合わせ座席
4人掛けを一人で占領して僕は小諸に向かう
窓の外は夜の上田市街だ
家々やショッピングセンターの灯りもすでに大人しくなり
国道を走るクルマのヘッドライトも少ない
そして闇を小雪が舞う
自分の顔や車内の様子が窓ガラスに反射する
長野ではかなりの降りだった
電車の暖房は強く車内は暖かい

小諸の駅近くの宿で昨夜に引き続き連泊だ
僕は一昨日からこの地で所用を片付けているが
今日はどうしても長野市内で打ち合わせがあり
そのあと久しぶりの友人たちと、かなり呑んだ
悪い癖で、話が盛り上がり酒が進むと
僕は殆ど食べ物を摂らなくなる
ひたすら酒だけを呑んでいるわけだ

遅くなってしまったので北陸新幹線で上田まで一駅乗り
そこからしなの鉄道に乗り換える
ただ、東京行き最終一本前の「はくたか」から
上田駅で改札を出て二階へ上がり
しなの鉄道の切符を求めてまた階段を降りると
そこには今にも発車しそうな電車が停車していて
少し焦ったのは確かだ
酔いが残ってというより、まだかなり酔っていて足元がやや覚束ないのもある

僕の住む関西では
新幹線から在来線に乗り換えて少し先へ行く場合
乗車券は最初にまとめて購入できるが
ここでは新幹線と在来線の鉄道会社が異なり
切符はそれぞれ別に買わねばならない

夜遅いローカル電車に乗客は少ない
3両編成でも一両に乗っているのは十人前後というところか

信濃国分寺という駅を過ぎると
それまでは車窓にみえていた家々の灯りもうんと少なくなる
電車はかなりの速度でモーターを唸らせ走っている
眠くなってきたが電車は小諸行きではない
軽井沢行きだ・・寝てはならない・・寝過ごすと後が面倒だ
そう自分に言い聞かせるが
暖房の心地よさとレールジョイントのリズムは
今日一日の疲れと、なにより酒の酔いが僕を眠りの世界に引き込む

イントネーションが前にある「田中」に着いたのは覚えていた
だが、そこから眠りに落ちたようだった
「今日はごしてえよ」
「勉強するしない」
「今日はもうできねえだよ」
「だらずねえ、明日はしみるよ・・」
若い女性の声がする
さっき上田で乗り込んできた数人の女子高生風だろうか

座席下からの暖房が僕を暖かく包み込んでくれる
「また、明日、がんばりやしょ」
「んじゃね、ばいばい」
「あばね~~」
可愛い声が心地よい
そう思った瞬間、ハッとした
小諸ではないのか!

電車はドアを閉めゆっくり走りだしていた
明るい小諸駅のプラットホームが流れていく
車内では自動放送の甲高い女声が「次はひらはら」と言う
いくつものポイントを超え
やがて構内を出て掘割のようなところを走っているようだ
雪が降っているのが見える
「しまった」
平原駅なんて降りたこともない
だが電車はどんどん進んでしまう
時刻は21時を回っている

だが今ならまだ、小諸に戻る電車もあるだろう
確か小諸駅には23時過ぎまで列車の時刻が表示されていたはずだ
線路が走る掘割が壁のように見えるが
沿線に住宅が少なく闇の中だ
雪が強くなってきたようで列車の速度ゆえか
白い粒がたくさん横に走る

寝てはならないと言い聞かせても
僅か一駅でも眠りに落ちそうになる
それに酔いが覚めかけてきていて、気分が悪い
電車が停車した
ホームに降りると足元には雪が積もっている

駅にはちゃんと照明があり
オレンジ色の強いひかりで辺りを照らしてくれているが
小さな待合室があるだけのホームだ
仕方ないからその待合室に入ろうとして、どこかで見たようなと思った
しげしげ見回してやっと気がついた
これは「車掌車」だ
昔、貨物列車の最後尾に必ずくっついていた
夜に見ると、赤いテールライトが印象的だったあの車両だ
それが、駅舎の代わりに置いてある

待合室のベンチには座布団も置かれているが寒い
冬の小諸は氷点下10℃以下になることも珍しくなく
しかも今夜は雪が降っている

雪は吹雪というほどでもなくしんしんと降る
大粒の雪がどんどん辺りを覆うような感じだ
寒い…
震えが来る
時刻表を見ると次の小諸行きは30分ほど後だ
「電車がまだあってよかった」
寒い待合室で立ってうろうろしながらほっとするが身体の底が寒い
それに胃袋のあたりがムズムズする
こういう時は、一度吐いてしまわないと治まらない

待合室で吐くわけにもいかず外へ出た
だが駅にトイレなどはない
駅前には工場風の建物と数軒の民家がある
こんなところで吐いたなら地元の方々に迷惑だろうと思う
どうしようか、思案していると水の流れのような音が微かに聞こえる

耳を澄ますと、どうやら駅舎と反対側から音が聞こえているようだった
ホームの先には構内踏切があり、そちらへ向かってみる
小諸方向へ行く電車の乗り場があり
さらに、線路を超えて雪原にしか見えない方向への簡単な通路があった

水音はそちらから聞こえているようだ
胃が暴れ始めた
走ってそっちへ向かう
線路を渡った先の通路の斜めになった踏み板で足をすくわれた
そこに敷いてあるのはただの板で、表面が凍っていたのだ
思い切り転倒したが、そこに水の流れる水路を見つけた
怪我をしているかもしれない
そう思いながらも吐いた

たいして食べ物を摂らずに、ただ大量の酒を呑んだからか
殆ど食べ物らしき残骸は出てこない
水路に向かって口から水を流し出している感覚だ

それでもほっとした
辺りを見回すと、雪原の中に線路という風情だ
身体が痛い、転んだ時に膝や腰を打ったのだろうか
動けないのでしばらくじっとしていた

何分か経過しただろうか
「大丈夫ですか?」
女性の声が聴こえた、
人?と思いながらそちらを見ると、子供を連れた女性が立っていた
カッパのようなものを被っている

「ええ・・なんとか」
立とうとしたが、膝を打ったようですぐには立ち上がれない
雪はかなり小降りになったようでパラつくという感じだが寒い
寒いというより痛い
「無理なさらないで・・」
「はい、でも今夜のうちに小諸の宿へ帰らないと」
だが、重い体はなかなか立ち上がれない
「お母さん、この人怪我しているの?」
横にいた子供が訊いてくる
カッパに包まれてよく分からないが、声からして女の子だ

「あら・・」
女性は僕の膝のところを見ている
「怪我をされているではありませんか、これはすぐに手当てしないと」
「いえ、これくらい・・」
そう言って笑おうとして痛みが走る
「うちはすぐ近くです、そこまでお支えしますから」
女性は僕の意向など構わず肩を差し出してきた

女性の肩に腕を回し、やっとの思いで立ち上がる
「ここで朝までいると凍死しますよ」
確かにそれはそうだ、動けなければ凍死かと
雪にまみれた多分ここは田んぼだろうか・・を見る

女性に肩を支えてもらいながら、雪道を歩く
しなの鉄道の電車が、明るい車内を雪に反射させて通り過ぎる

少し坂を登った先の小さな家の前についた
ここらしい
「待っててね」
女性と子供が家に入るとすぐに明かりがついた

「どうぞ」
女性が僕を部屋に入れようとしたが
転んで汚れたままでは失礼かと僕は固辞した
すると女性は玄関の上がり框に僕を座らせ
「見せて」という
膝のあたり、ズボンが破け血が出ていた
女性は自分が土間に降り、そこで「これは痛いわよね」と
呟きながら、いったん奥へ入っていった
「痛いの、可哀そう」
女性の娘、たぶん5~6才だろうか、がカッパを被ったまま
こわごわ僕の膝をのぞき込む

やがて女性が薬箱を下げて玄関に戻ってきた
カッパは脱いでいて、ジーンズにセーターといういで立ちだ
胸のあたりのふくらみが眩しい
「ズボン、上げられます?」
だが、けっこうスリムなデザインのズボンは膝まで捲り上げることが出来ない
「脱いでください」
「は・・?」
「せめて消毒して傷口をふさがないと」

促されてズボンを脱ごうにも立てない
すると女性は自ら僕のズボンを下げてくれた
そして、膝の血を拭き取り、消毒し、大き目の絆創膏を貼ってくれた
「明日、病院に行ってくださいね」という

そのとき、女性の娘が「おかあさん、これ」という
手に木で出来た大き目の人形を持っている
娘の半身くらいはありそうな大きさだ
人形は男性のようで、武士のような服装をしている
「あら・・」
女性がちょっと驚いて娘と僕の両方を見る
何のことだろう・・と思った
娘は、結構大きめのその人形をもって僕の前に向き合う
それは簡単な操作で手足が動くようないわゆるからくり人形だ

「ね、痛くなくなったでしょ」
と娘は人形の後ろに回り、人形に喋らせる
「痛くないよね、お母さんはお医者さんなのよ」
人形は器用に首を傾げ、動かないはずの表情も変わる気がする
僕はなんだかおかしくなって彼女が操作する人形に話しかける
「ありがとう、もうすっかり大丈夫だよ」
「よかったね、これでお家に帰られるね」
娘ではなく、人形が僕に語ってくる
「うん、本当に助かった」

「今夜は泊っていかれたらどうですか?」
女性が言う
「いえ、宿も小諸にとってありますし」
「でもまだお膝が動きづらいでしょう」
「はぁ」
すると人形が喋る
「まだ、今日は動いちゃだめよ、明日の朝になったら動けるようになるからね」
「でもね、君のおうちにも迷惑だよ、見ず知らずのおじさんを泊めるなんて」
「うちは大丈夫」
そういったかと思うと、娘が人形の裏から顔を出した
「ね!」

暖かい部屋にあげてもらい、母娘と一緒に炬燵に入る
そしてお茶をもらうと、心が和んできた
酔いはすっかり冷めたようだったが眠気が強い
母親は美しく、まるでどこかの女優さんのようだ
娘も可愛く、僕にこんな家庭があったらなぁと心底思う

そのまま僕は眠ってしまった

なんだかとても暖かい夢を見ていた
女性の柔肌につつまれ、僕は為されるままに歓びを感じている
白く、暖かい空間
回りは雪や氷なのに自分はその中で心の底から安堵している
長い髪が広がる白い床
僕は躊躇わずに女性を抱きしめる
味わったことのない快感が僕を満たしていく

白く強い光が身体を包む
はっと気がつくと僕は粗末な駅舎の中にいた
蛍光灯が室内を照らすあの車掌車の駅舎だ
時刻は・・腕時計を見ると朝の五時ではないか
急に寒さを感じた

スマホを取り出し、現地点での気候を見た
小諸市平原 雪 -12℃
「寒いはずだ」と思う。
立ち上がろうとすると少し膝が痛む
そういえば、昨夜、この駅で転んだような気がする
・・そうだ、あの女性・・・
抱き合った気がするが、それは夢なのだろうか
僕はずっとここにいて駅舎の中で寝てしまっていたのだろうか

だが寒い、寒いというより痛い
駅舎の外に出たがまだ夜が明けず
オレンジのライトに照らされた簡単な時刻表を見る
上りが先に一本あるらしいが
下り、小諸に行くのは一時間以上先でないとだめらしい

そういえば昨夜この辺りで吐いたはずだと
粗末な出口に行くと斜めの踏み板は凍っていて
「間違いなくここで転んだ」と確信した
踏み板を通らず、線路のバラストをゆっくり確かめながら歩いて
溝を超え駅前の広漠とした田畑に面した道に立つ

夜が明ける前だが、微かに東の空が明るい
白く凍った世界に線路と道路が通る
雪は完全に上がっていた

この道を、昨夜に連れていかれたと思う方法へ歩く
「確かにこの道だ」と思う
だが、その先、少し坂を登った先には人家はなかった
確かこの辺りに・・
そう思ってよく見ると
ちょっとした洞穴のようなものが凍った草の合間から見えた

そこでしばらく呆然と立ちすくむ
そうか、僕はやはり夢を見ていたんだ
酒の酔いがあるからあの寒い待合室で寝てしまっても凍死しなかったんだ
と思うことにしようとした
と言ってもまだ納得などしているわけではない

そこへ、高校生らしい制服の少女が通りかかった
「おはようございます」
マフラーで顔を包んだ少女は挨拶をくれる
僕も挨拶を返した「おはようございます」
少女はホッとしたように通り過ぎようとしていた
「ちょっと、訊きたいことがあるんだ」
少女は立ち止まり、「なにか」と不審げに僕を見る
「このあたり、可愛い女性が娘さんと生活しているお宅はなかったかな」
少女は、はっと、僕を見つめた
「ゆうべ、そこに連れていかれたのですか?」
「うん、怪我をして介抱してもらったんだが」
「介抱・・」
「そうなんだが気がつくと、駅で寝ていて」
「小さな娘さんと一緒でしたか」
「そう、上手に人形を操る可愛い子だった」
少女はマフラーで口元を覆いなおしながら周囲を見回す
「とても親切な親子だったでしょう」
僕は頷く
「でも、昨夜にその親子と出会ったことは、もうお忘れになられた方がよいと思います」
そして、少女は一礼をして会話を打ち切り駅へ向かっていった


やがて、上り電車が遠くからやってくるのが見える
雪と霜と氷の世界に二つの強いヘッドライトが輝く

何のことだ・・
訳が分からず僕は立ちすくむ
膝が痛む
ズボンの上から膝を触ると、そこは破れていて
絆創膏が貼ってあった
では、あの夢のような肌の感触も・・

遠くで電車の音が聞こえる
下りの一番電車だろう
僕は滑らないように凍った道を駅へと向かった

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夏参り

2022年08月18日 18時14分58秒 | 小説

旧盆の一週間ほど前、まだ列車も宿も空いているだろうと久しぶりに小諸へ向かった。
今回は上の妹が同行してくれた。
小諸は長野県東部、佐久地方、もしくはもっと大雑把に東信に位置する。

今回は祖父が菩提寺にしていた寺院と役所を回り秋に予定している墓仕舞いについての手続きを進める必要があった。
これらは郵送でも可能だったが様々なことが長野県と、地元兵庫県とでは異なり
文書での何度ものやり取りで時間を浪費いるわけにはいかず、それなら住職や役所の担当者の顔を見ながら書類を整えたほうがよかろうと判断してのことだった。

だが、神戸から長野県東部、いわゆる東信への交通費は高額だ
この高額な旅行を一時は10日ごとに実行したのは、一族の末裔としての自分の中にある本能がさせたのだろうか。

交通手段としても長野県では航空機は松本にしか空港がなく、そこから松本駅に出ても小諸までは2時間以上かかる。
航空機は大阪伊丹まで行かねば乗れず、松本までは小型機で便数もごくわずかだ
東信への所要時間は神戸の都心から5時間というところか。

東海道と北陸の新幹線同士の乗り継ぎだと、上田・佐久・軽井沢まで約5時間、速くて快適だが東京での乗り換えは恐ろしいような金額になる。
大阪からの「サンダーバード」で金沢へ行き北陸新幹線で上田、佐久という手もあるし、これも三度ほど使ったけれどもほかに用がなければ大阪へ出るのも面倒で運賃料金は東京経由ほどではないにしろ高額だ。

新幹線を名古屋で降りて在来線特急「しなの」にすれば所要時間は上田まで5時間半ほど、小諸まではうまく行って6時間だが、距離は短くなるし運賃・料金は東京や金沢回りよりは安くなる。
最初はこのルートをよく使った

僕はこのごろよく使うのは、神戸三宮から名古屋まで高速バスで行き名古屋から在来線特急「しなの」に乗り、長野から北陸新幹線で上田に行き、片道7時間半ほどの旅のあと、そこで宿泊するという手だ。
新幹線と「しなの」で行くよりは片道で四千円ほど安くつく。
小諸よりは上田で宿泊した方が、レンタカーもあるし手ごろな価格のホテルもある
そう、小諸駅前にはレンタカーすらないのだ。
(だが、小諸の落ち着いた風情にはいつも心惹かれ、泊まりたくなる街ではある)

結局、行きに一日、現地で一日、帰りに丸一日かかる。
21世紀であっても神戸から、たかだか500キロ先の長野・東信は遠いところだ。

今回も夏の盛り、名古屋までバス、そこから特急「しなの」で長野へ、長野から北陸新幹線自由席に一駅だけ乗って上田に泊まった。
新幹線と在来線特急の乗り継ぎ割引は、この場合も適用されるのが良心的だ。
それに妹とはいえ女性同伴だと、荷物の持ち込みやすさや、朝夕の化粧や着替えのことも考えねばならない。

ついた日は雨だった
本来、東信は雨が少ないのだが、こればかりは致し方ない。
ホテルは連泊にしていて、着替えなどは部屋に置きっぱなしにでき、翌朝レンタカーを借りて小諸に向かう
雨は上がっていた

ここでレンタカーを借りるのは、多分あと一回だろうと思う。
北国街道、国道18号を東へ走る。
夏の盛りなのに窓を開けると涼しい風が入り、田んぼの稲はすでに穂も出ている

横をしなの鉄道の電車が走り抜ける。
北陸新幹線が開業し信越本線がJRから分離され(つまりは捨てられ)地元自治体や経済界で第三セクターを作って運営している鉄道だ。
なかなか魅力的な電車が走っている。
本当はあの電車で行き来したいが、この後の予定を考えれば小諸駅について数か所の用事のある先を、その都度タクシーを呼んでというのは現実的ではなく、だから電車は使えない。
それに今回は時間が余れば回りたいところもあった。

まず、向かった先は小諸市内で最大ともいえる花屋だ。
叔母が住んでいた家のすぐ先にある。
朝の開店直後の花屋で墓参用の花を組んでもらうが、ここで花を買えなければ、お花なしの墓参という事になってしまう

そして、浅間山の方角に向きを変え、20分ほど坂を登る。
登るにつれて、坂の街から高原の田園へ、巨木の連なる山林へと周囲が変わっていく。
小諸は街自体が高原にあり、墓地はさらに高山といえる高さにある。
今日は浅間山が雲に覆われて見えない。

遥か下界に市街地が見える市営の墓地について墓の掃除をし、花を供え、線香に火をつける。
涼しい風が吹いている。
「叔母様、そろそろお手続きさせていただきます」
法華経を唱えながら、叔母に語り掛けてみるが墓がものを言うはずもなく、所詮は自分自身を納得させるためでしかないのはもちろんだが叔母がなにか言った気はした。

天気予報は雨だったはずで、だのに遥か下界が開け、空には濃い色の信州らしい青が広がり始めているのだから叔母が決して此度のことを反対してはいないと受け取ることができるのは今日の自分にとっては運が良いという事なのだろうか。

クルマを下界に走らせ、小諸市街のごく入り口付近にある瀟洒な寺院に入る。
祖父が栃木からここに移り住んだ時に自ら訪ね、檀家にしてもらったという寺院だ。

今、寺院はその時代の住職の孫が護っていて、既に本堂で三代目住職は用意を終えて待っていてくれた。

来意は前もって告げてあり、快く応対してくださる。
そして、もう一つ、住職に願っていたことがあった。
実は、今回は僕の少年期に亡くなった父の五十回忌という意味合いもあった。
「ようこそ、遠いところをおいでくださいました」
まだ若く、聡明な僧侶だ。
「仰られておりましたお父様のお塔婆、叔母様のと並べさせていただきました」
見ると、確かに父と叔母の戒名を書いた塔婆が並んでいて、それを見た瞬間、僕は泣きそうになった
「先生、これで、会ったことのない“きょうだい”が並びました」

会ったことのない「きょうだい」二人が、もし出会えていれば、お互いの人生がどれだけ変わっていたかしれない。
不運・不幸そのものでしかなかった父と、最期は寂しさの中で命を落とした叔母を思う。

いや、もし、祖父と祖母が別れなければ・・・
祖母は生前、「私の最も好きだった人」として祖父の名を教えてくれていた。
何故その二人が別れねばならなかったのか。

祖父は職業軍人だった、それはこの三年間で分かったことの一つだ。
幼くして両親に先立たれ、苦労の果てに軍人入りの道を選ぶしかなく、それゆえに、頑健な体と信用を得たようだ。
その頃出会った祖母は、北関東のドサ回りの一座の中で生活をしていたから、結婚などされ、一座から出ていかれては曾祖母が困るというのが二人が別れさせた原因だと聞いた。
この曾祖母が明治の「翔んだ女」だったらしく奔放すぎて嫁いだ先から飛び出したのが、わが家系の苦難の始まりだと僕は考えている。
もちろん、女性の生き方は自由ではあるけれど。

わが家系の元は栃木は佐野の豪農であるはずで結局、本家や生家に合わせる顔をなくし、というか出戻りなど認められない明治の家で、そこを子連れで飛び出し、ドサ回りの厄介になったという事なのだろうか。

ふたりの卒塔婆を見ていると、住職が「始めますね」という。
秘仏として金幕が下ろされている本尊の前には祖父、祖父の後妻である義祖母、義祖母の連れ子だった義叔父の位牌も並ぶ。
「一応、ご家族全てお越しいただきました」住職は恭しく頭を下げる。

読経が始まった。
般若心経がゆっくり、香が漂う本堂に穏やかに流れる。
焼香をし、住職のよく透る声を聴いていると、祖父が現れた。
「すまんな、ありがとうよ」
祖父の横に若いころの父と、若いころの叔母が並んでいる。
仲がよさそうだ。
「やっと会えたね、兄さん」
叔母が父に話しかけていて、そのすぐ脇で義祖母も義叔父もにこにこと見ている。

読経は法華経観世音菩薩本持品にうつり、住職に促され二度目の焼香をする。

一回目は父の五十回忌として、二回目は叔母のお盆の供養としてのものだそうだ。

僕の目には、本堂の中は大騒ぎになっているように見えている。
といっても、僕と妹と住職しかいないのだが、まるで幻灯機の映像のように、そこに現れた一家一族、祖母までが入り込んできた。
なんだか宴会のようなことになっているが、皆表情が明るく、祖母がにこにこしながら「ちゃんとしてくれたね~」なんて言っている。
大阪に長年住んだ祖母だったが、言葉は最後まで関西弁にならず関東のものだった。
この時には父方の一族が大勢総出でがやがや言ってる。

やがて、読経が終わり、住職は薬師如来の真言を唱え始めると現れた一家は静かになり、揃ってこちらに向かって頭を下げてくれる。

「よく、世間では回向といいますが、この回るという文字は、御先祖への供養をすることで、それが現世の我々、あるいは子孫末代まで回っていくという事を意味しているのです。五十回忌をしてもらえる人というのは、多くはありません。ですが、それをなされ、そこで家族・兄弟の繋がりを蘇らせたというのはすごいことだと思うのです」
僧はしみじみ語ってくれた。
この人は、名刹の僧にありがちな上からの視線というものを感じない人で、その言葉一つ一つには納得してしまう力を持っている。

「しかし、賑やかでした」
僕がそう言うと、「感じられました?ですよね、ほんと皆さん出てこられて」住職が笑う、不思議な人だ。
妹も同じことを考えていたそうだ。
「兄ちゃん、これは、すごいことをしたかも」と真顔で言う。

「こうちゃん」
片付けをしていたら叔母が呼ぶ気がする。
そちらを向くと「あとで一寸だけいいことあるわよ」と悪戯ぽく笑って消えた。

寺院を辞し、小諸市役所に行く。
ここから市役所まではクルマで数分だ。
寺院でもらった書類を出して墓仕舞いのまず第一段階の手続きを願うが、担当の女性がちょっと後ろを向いて、そこに居た人にひそひそと耳打ちをする。
ややあって叔母の後輩だったという人が窓口に出てきて「手続きを進めてくださっていたのはあなたでしたか!」と手を取ってくれた。
二十分ほどで書類の作成、手続きを終えた。
役所の駐車場は安いので、そのままクルマを停めさせてもらうことにして前に二度入ったお気に入りの、お昼、それも売り切れるまでしか営業しない蕎麦屋に行く。
幸い空いていて、香りのよい旨い蕎麦を腹いっぱい食べることが出来た。
これは「一寸いいこと」なのだろうか。

蕎麦を食っただけでクルマを駐車場から出し、小諸を後にする。
今からなら時間が取れそうなので思っていたことを実行することにした。
国道18号、ここからは佐久往還といわれる道をひたすら南へJR小海線に沿って走る。
途中から無料の自動車専用道路があり淡々と走りながら過去二回、小海線から見た景色を道路から見る。
今日は八ヶ岳も山のてっぺんが雲に覆われている。
「浅間山も八ヶ岳も見えてくれないか」とすこし落胆する。

高規格道路は途中までで、山間の曲がりくねった道になり、そこを過ぎると高原の畑ばかりの風景になった。
野辺山駅前で休憩して、列車で通った時に降りられなかったのでリベンジを果たす。
駅前で国鉄最高地点の写真を撮り、保存されている機関車「高原のポニー」に挨拶をする。
妹はアイスクリームが旨いと喜んでいる。
そして、山梨県に入り、今は北杜市となった長坂から白州へ・・

叔母の亡くなった釜無川沿いの田んぼはすぐに見つかった。
ここは今回の一件の二回目の時に訪問したところだで、そこで妹と祈りを捧げた。
今度はそこから山林を超えた先の小学校近くの畑へ、山の中の道は通れないので幹線道路で迂回して向かう。

叔母のクルマが山に突っ込む事故を起こし、そこから深夜に叔母がふらふらと何かに追われるように入り込んでいった場所も前回は来られなかったところだが、すぐに判明し祈りを捧げる。

そのあと、ほんの少し、途中にある行きたかった美術館に立ち寄れ、館長さんも在館しておられたのは「一寸だけいいこと」だったのか。
この美術館は妹には内緒で連れて行ったので、非常に喜んでくれた。

そこから高速道路ばかり突っ走り山梨県西北部・諏訪、塩尻、松本など長野県中央部から姨捨、長野をぐるっとまわり、上田に帰ったら走行距離は230キロにもなっていた。
上田市内は結構渋滞がひどかった。

駅前には人が多く浴衣を着ている若い人もたくさんいる。
上田は小諸と違い、元々華やかな町だがこの日は三年ぶりの花火大会があり、それゆえ道路渋滞に気を付けてと、朝にクルマを借りた時にレンタカー会社の係の人から聞いていた。
花火か、人混み迄見に行く気はしないねと妹と話しながら、駅近くの中華料理屋で思わぬ旨いものを食いホテルに戻った。

もう空は暮れかけている。
神戸と比べると一時間近く、太陽の動きが早いようだ。

妹とはもちろん別の部屋で、エアコンのスイッチを入れる。
下のコンビニで買ってきたビールを飲もうと栓を開けると、どど~んという音が響いた。
驚いてカーテンを開けて窓の外を見ると、正面やや右に大輪の花火が上がっている。
花火はいくつもいくつも上がり、上に上がるものだけではなく、下の方で滝のように火を流すもの、まるでロケットの航跡のようなまっすぐな線が幾本もクロスするもの、その間にも上空には大輪のさらに大輪、大輪の中に模様を描くもの、まるで宇宙船のような可愛い形の花火など息をつかせず上がる。

「これは・・」
「こうちゃん、言ったでしょ、一寸いいことって」
いつの間にか部屋に入っていた叔母が悪戯っぽく笑う。
「これは想像もできなかったですよ」
僕は感嘆して花火を見る。
叔母は暫く一緒に眺めていたはずだったが、いつの間にか姿が消えている。

不思議な縁は確かにあった。
このホテルになったのは泊まりたい別のホテルがいっぱいだったから止む無くで、いや、上田に泊ったのも本来は小諸に泊まりたかったのに諸般の事情で、時間がこの時刻になったのはレンタカー会社の営業時間と、渋滞があるからと前もって教えてくれた係員の言葉から。

そして、僕は窓際のベッドに寝転がって缶ビールを飲んでいる。
花火は時折、煙が流れるのを待って小休止する。
部屋のテレビは地元ケーブルテレビにしていて花火の実況中継迄ある。

冷房の良く効いた部屋で寝転がってビールを飲みながら華麗な花火を眺めるなんて人生で初の経験だ。
僕は人混みが苦手だから、普段は花火大会の傍には寄らず、遠くから眺めるだけだ。
それがこの大輪だ。
「花火すごいね~」
妹から感嘆したようなメッセージが送られてきた。

これは、まさに叔母がくれたお礼なのだろうと思うことにした。
「こうちゃん、ありがとうね」
花火の大輪の向こうに叔母が笑っている気がする。

 

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