サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

ヴィタリーさんへの道Ⅰ

2007-05-20 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
閑話休題。
今回、ロシアに行くことになったのは、ひとえにそこに
ヴィタリー・イワノビッチがいたからだ。

《その1・起》黒幕は誰だ?
はじまりは、古い友人の音楽ライターKくんからの1本のメール。
You tubeでロシアのどえらい少年少女グループを発見したので見て!
ロシア語の名前の読み方を教えて!との内容だった。
それが、2006年9月3日のこと。

Kくんは早速ミクシィにコミュをたちあげ、彼らについての情報を
尋常ならざる勢いで収集して次々アップ。鬼気迫る集中力である。

彼らの正体はヴォロネジに拠点をおく子供ヴァラエティ・スタジオ
『ヴァルシェブニキ・ドヴァラ』(中庭の魔法使い)に所属する子ら。
映像を見ると、確かに可愛いし、曲もいい。
すぐに思ったのは、彼らのバックにいる仕掛け人は誰なのか?
ということ。表舞台に立つ人より黒幕にそそられる性分である。

9月15日
NY在住のKくんの友人から送られてきたサイトで、
その人「ヴィタリー・イワノビッチ・オソシュニク」の名前を知る。
ロシア語サイトで検索すると、ざくざくヒット。
「コムソモルスカヤ・プラウダ」ヴォロネジ版にのった写真も発見!
まだ若い。ポスト・ソ連世代だ。がぜん興味がわく。会ってみたい。

10月2日
ヴォロネジの掲示板でヴィタリーさんの電話番号とメルアドを発見。
が、「そのとき」がくるまで連絡は控えておくことにする。
この間に、ヴィタリーさんは、スタジオ責任者であるだけでなく、
作詞・作曲、ステージ演出、子供らのお世話にいたるまで、
ひとりで何役もこなしているらしいこと、
作詞を手がけるナタリアさんという人が奥さんらしいことなどを知る。
いわゆる芸能プロではないらしい。レッスン料は無料。
ロシアに数ある芸術系スタジオだが、単なる音楽教室とも違う。
「ジュニア・ユーロヴィジョン」はじめ各国の音楽祭、コンクールに
出場しているし、何よりもオリジナルの曲がいい。
だがCDが売れてるわけでも全国的に知名度が高いわけでもない。
いったいどうやって運営しているのか?国の援助があるのだろうか?
聞いてみたいことが次々浮かぶ。

11月30日
ハバロフスク・ダーチャ訪問ツアーの打ち上げ会の際
12月4日からサンクトペテルブルクに赴任するIさんに、
ヴラッド・クルツキフ(ヴァルシェブニキのソリスト)の
CD購入を依頼。それとなく布石をうっておく。

12月1日
ミクシィではやはり波及効果に限界があるため、
Kくんのブログ、Влад Крутских и "Волшебники Двора"
(ヴラッド・クルツキフ&ヴァルシェブニキ・ドヴァラ)正式発信。
素晴らしい子供たちの存在を日本に知らしめるとともに、
内容を充実させて、いずれヴィタリーさんに見てもらう、
との明確な目標をたてる。計画発進!である。
……つづく。
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吹替え訳その後

2007-04-18 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
吹替え訳が5曲たまった。
ただの訳詞はもっぱら日本語の土俵で勝負すればよいのだけれど
音の制約があると、双方の言語を行きつ戻りつしながら
「音」を確かめる作業が欠かせない。
なのでどうかすると一日中、音を流しながらモニターの前で
ロシア語と日本語で交互に歌い続けることになって、
はたから見たら相当妙な光景にちがいない。

まず原曲を完璧にマスターして歌いまくる!これが重要。
舌に語感を覚えさせ、意味は考えずに絵を思い浮かべる。
で、聞こえる「音」と見える「絵」だけで言葉を選ぶ。
ロシア語のキメサビで「○○ア~」と終わる節では
意味よりもとにかく「あ行」で終わる日本語をあてたいし、
そう思って頭をめぐらせると、その言葉はちゃんとある。
それとか可愛い響きの言葉、とくにタイトルになっているような
言葉は活かしたいのだけれど、そのままでは意味が通じない。
ここはおおいに悩むところ。
でも、思いおこせば「カチューシャ」だの「サラファン」だのの
正確な意味を知ってる日本人がどれだけいるんだろう??
ってことは知らなくても想像力をかきたてられる、頭にこびりつく、
そういう言葉は残せばいいということだ。

そんなこんなの作業が楽しくて、
どうせなら日本語吹替えでレコーディングを!
と話は盛り上がり、昨日スンガリー西口店にて打ち合わせ。
キーが高すぎて自分では歌えないので人に歌ってもらうのだが、
ここへきて「どの音にどの言葉をのせるか」は
訳者の頭のなかにしかない、ということが判明してしまった。
つまり訳詞カードを渡しただけじゃだめで、
「歌唱指導」が必要なのである。

ランチどきのスンガリーでいきなり歌いだした我々に
隣席のサラリーマンから白い目が向けられたのは言うまでもなく…。
仕事でもないのに何やってんだか。
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子供文化の復権はロシアから

2007-03-22 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
ヴィタリーさんに頼まれたわけでもないのに、
ヴァルシェブニキ・ドヴァラ(Street Magic)のPR活動を勝手に開始。

ロシア・ヴォロネジ発、キュート&哀愁のポップ・ロマンチカ。
彼らの音楽が国境を越えて愛されるのは、
子供たちによる子供たちのための子供たちの歌だから。
子供文化の復権は今ロシアから……!

……というキャッチコピーにたどりつくまで、
幾度となくメールでスタッフ会議(?)を重ねてきたのだけれど、
そこで白熱したのは、今の日本には子供の居場所がないという話。
大人たちが子供たちの場を荒らし、奪ってしまったのだ。
大人がいつまでも大人になることを拒み、
子供たちに引き継ぐべきものを引き継がない。
伝えない。教えない。守ってあげない。
自主性を尊重するといえば聞こえはいいが、要は放置だ。

「子供」の「供」には「つき従う」という意味があり、
子供を下に見ているのでよろしくない、という議論から、
20年近く前から活字媒体では「子ども」と開くのがお約束になった。
「主人」や「家内」は禁句、というのと同じ発想で、
一見もっともらしい言い分だが、つき従う対象なしに、
どうやって子供たちがまっすぐに歩くことができるのか。
現に、子供たちがおかしくなり始めた時期と、
うるさ方から「〝子供〟は〝子ども〟と書け」と
クレームがくるようになった時期とは符号するではないか。

Kくんから送られてきたメールの「子供」という字を
慣例に従って無意識に「子ども」に直そうとした自分に気づき、
そんなことを考えた。なので、あえての「子供」である。
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イワン・クパーラ

2007-01-04 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
ヴァルシェブニキ・ドヴァラの『イワン・クパーラ』が
2006年子どもの歌最優秀賞を受賞したそうだ。
うーーん、すごい!
子どもの歌にしておくのはもったいないような
中欧エスニック楽曲の名作なので、当然といえば当然だけど、
逆にいえば子ども曲NO1とするには意表をつく選考である。
なにせ歌詞がこれだ。

「イワン・クパーラの日、乙女が占う
 わたしのいい人どこにいるの

 そっと戸を閉めて 祭りの夜は
 川辺にかがり火 歌声響く
 光に浮かぶは 夢か幻か……」

「イワン・クパーラ」はスラブに伝わるお祭りで、
前夜にかがり火を囲んで歌や踊りに熱狂し、
若い娘は川に花輪を流して結婚を占うという。
いくらロシアでも、かくも原始的、呪術的な祝祭は
形骸化していると思われるのだが、
子ども曲にも歌われるということは、
それなりに知られた行事ということか。

この曲はすでに、2005年にアメリカで開催された
「パフォーミングアーツ世界選手権」で披露されており、
歌唱したヴラッド・クルツキフは金メダル2個を獲得。
そんな国際音楽コンテスト(主催はブッシュ)に、
バリバリの民俗楽曲をぶつけてくる音楽監督ヴィタリーさんの
姿勢・態度は小気味よくて素敵である。

彼らの本拠地ヴォロネジは、なにやら異教的な文化背景をもつと聞く。
うーん、困った。行ってみたい場所がまた増えた。
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吹替え訳

2006-11-25 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
ここしばらく「吹替え訳」にハマッてる。ロシア語の歌を、日本語でそのまま曲に合わせて歌えるように訳すのだ。誰に頼まれたわけでもないけれど、これがやり始めたら止まらなくて、寝ても覚めても「音」にのる「言葉」を探し続け、びしっとキマった時の快感ったらないのです!

その昔、勉強そっちのけで、好きな英語の歌を片っ端から訳してた頃がある。でも日本語に正確に訳そうとすると、妙に長ったらしくて大仰な歌詞になり、プロの訳詞家の訳を見ても、なんか違うと思ってた。

原語ではカッコよくて舌触りのいいフレーズが、耐えがたいほどもっさりした言葉運びになり、やたら哲学的、形而上学的な文章になっちゃってたりする。これじゃあ一介のアーティストが、あたかも悟りを開いた大層な人物であるかのように思えてしまい、ははー!とお言葉を拝聴するのみ。んなわけないのに!

大仰さを助長する理由のひとつは、韻を踏むためだけに選ばれた語句を、バカ丁寧に訳してしまうこと。「韻」は「音」であり「リズム」なのだから、それと同じ効果を日本語において再現するか、さもなきゃ別の表現法を模索すべきなのに、そのままベタに訳すからリズム感のまるでない意味不明の文章になってしまうのだ。それは陳腐な「説明文」であって、「歌詞」とは言えまい。

その点「吹替え訳」は、通常訳とはまるっきり違うアプローチを要する。手本とするところは、1960年代のポップスの日本語歌詞。原詩の大意を伝えながら、日本語の歌としても成立してるし、何より「音」にピッタリはまってる!

「音にハマる」、即ち音の制約のなかで言葉を選ぶことを最優先すると、訳詞するのにそう多くの日本語は必要ないことに気づく。そもそも日本には、俳句に代表される行間を読ませる文化があるのだから、ズラズラと言葉を連ねなくても、体言止めや言い切りでコト足りるのだ。そして、そうやって不要な言葉をそぎ落とし、「意味」よりも「音」で言葉を選んでいくと、かえって原詩のニュアンスや語感により近い「歌詞」になるではないか。しかもそのまま歌える!これは楽しい!

というわけで、歩いてても、泳いでても、同じ曲を延々リピートして言葉をのせては歌い、のせては歌いの繰り返し。顔見知りとすれ違っても、うっかり挨拶しそこなうありさまである。
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ヴィタリーさんの戦略

2006-11-19 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
先日のドン・コサック合唱団もそうなのだけど、
ロシアの民族音楽には独特の歌唱法がある。
音のしくみはよくわからないが、声を喉で震わせるのではなく、
思いっきり上方にぶつけて鼻の奥で響かせるような感じ。
特に女声合唱のそれは、金属的で異界っぽくてゾワゾワする。

かねてから注目していたヴォロネジの子供音楽スタジオ
Волшебники Двора(ヴァルシェブニキ・ドヴァラ)の女子チームは
さる10月、ハンガリーの国際音楽コンテストで優勝したそうだが、
この時歌った新曲『レチ・レタ・ウレタイ』には、
なんと!この伝統的歌唱法がさりげなくとりいれられている。
前半は通常のクラシカルな少女コーラスなのだが、
サビの部分で一転してエスノなハモリを展開。
まだ少女なので、ねじ伏せるような金属音は出せてないが、
それがかえってほどよくて心地よいのだ。

これで確信したことには、作詞・作曲も手がけるスタジオ指導者
ヴィタリーさんは、明らかに「ロシア的」「スラブ的」なるものを
意識して、コンテスト攻略戦術をたてておられるのに違いない。
国際コンテストではたいてい楽曲を2曲用意するのだが、
これまでも『イワン・クパーラ』『ヴェスヌ・ズヴァーリ』といった
エスニックな楽曲を必ずや組ませてましたからね。

しかし単なるコンテスト荒らしかと思ったらさにあらず、
なんとスタジオトップのВлад Крутских(ヴラッド・クルツキフ)くん、
このたびメジャーデビュー決定~!!



ロシア最大手レーベル「モノリット」から
満を持してのソロCD『Звёзды молчат(ズヴョズディ・モルチャット)』
発売予定である。いやー、ついにきましたか!
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「ドヴァコロリ」に思ふ

2006-10-02 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
友人がВолшебники Двора(ヴァルシェブニキ・ドヴァラ)
見つけたのは、ご他聞にもれずYou Tube。
これを芋づる式に見ていくと、とんでもないことになるが、
面白いもの、ヘンなものにぶち当たるのは結構楽しい。

ここのところ、アタマにこびりついて離れないのは、
ウクライナの超美形少年が歌う、その名も『ドヴァコロリ』!
民族調の衣装着て、アンドロイドのように端正な顔で、
「ドヴァコ~ロリ~♪」とか歌うんだけど、これがもう
「ひゅ~るり~ひゅ~るり~らら♪」に通じるド演歌世界で
音だけ聞いたら森昌子! なんなんだよこれは!
この子はザチェスラヴ・マルチュクくんというらしい。ふむふむ。

で、この隣にあったのが、ロスチスラヴ・ドロレスクくん。
この子もウクライナの少年で、バラードも歌うが
ディスコロック調も歌います~。やや古めの曲調がグーね。
で、こっちは? ブルガリアの少年かー。
……とかなんとかやってると、日本には届かない
スラブのキッズ音楽世界をひと巡りできてしまうではないか。

基本的にこれらの映像は、ほとんどが非合法のもの。
なのでリンクも張れないが、世界の片隅でこんなことが!
と短時間でマニア情報を収集できる映像の力は大きい。
そして、いかにこれまで我々に与えられていた“世界情報”とやらが
欧米主導の操作されたものでしかなかったかを思い知るのである。
ああ、ドヴァコロリ!
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ヴォロネジのヴィタリーさん

2006-09-15 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
このところこの話題ばかりで恐縮ですが……(笑)。
ロシア・ヴォロネジの子供芸能スタジオВолшебники Двора
「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」の生え抜きメンバーによる
『Звёзды молчат』(星は黙ってる)が事のほかいい。

メロディアスで哀愁たっぷり、ノスタルジックな曲調は、
お子ちゃま歌謡の域を超えた典型的ロシア・ポップス。
新味はないかもしれないし、世界的に通用するわけでもないけれど、
ローカルな大衆の普遍的情感に深く訴えるものがある点においては、
昭和歌謡ポップスに通じるところ大なのだ。
この曲、たぶん日本人好み!
夏の終わりの物悲しさが染みいる名曲です。

この子たちはほかにも、エスニック調のポップスや
ひたすら陽気なキッズ・ミュージックなどなどを器用にこなし、
かといって少年少女芸能団にありがちなフリークスっぽさもなく、
ロシアにしては珍しく、適度に洗練されてもいる。

いったい誰がプロデュースしてるのか??
と、そのことばかりが気がかりな日々であったが、
ついにその人、Виталий Осошник 氏にたどりつく。
ヴィタリーさんは、写真で見るとまだ若い!
見たところは40前。なのにこの道15年とか。
ペレストロイカからソ連崩壊、新生ロシア誕生への転換期、
混乱の渦に飲み込まれていったオトナたちを尻目に
新しい価値観を素早く身につけて浮上した新世代人たちがいたが、
彼もそのひとりであるのだろうか?

日本でいえば戦後の混乱期にもあたるあの時代、
ヴィタリーさんはいかにしてスタジオを立ち上げていったのか?
スリリングな物語がありそうだ。
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Vlad Krutskikh & Street Magic

2006-09-08 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
ロシアのジャニーズJr.「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」熱が
おさまるどころかますますヒートアップするKくん。
寝ても覚めてもヴラッドくん~!と
とうとうミクシィにコミュをつくり、続々とトピをたてまくり~。
ずっとほっちらけてあったミクシィだが、
久々に書き込みしてたら、あっというまに半日終わってしまった。
マズイ……。

おまけに、Kくんオススメの曲『ナホトカ・モスクワ』のサビが
頭から離れなくなってしまい、パマギーチェ(助けて!)状態である。

これがまた、シベリア鉄道に乗った感動を
ピコピコ音にのせて屈託なく歌う、お子ちゃまポップス。
でもコドモ向けの歌だけあって、語呂がよくてわかりやすく
ロシア語の勉強にはちょうどよいかも!

ちなみに、スタジオ名でもありグループ名でもある
Волшебники Двора「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」は、
英訳では「ストリート・マジック」になっていて、
Kくんのコミュもとりあえず英名で発足。
「ヴラッドくんと学ぶ超初級ロシア語講座」も開設予定なので、
ミクシィに入ってる人は探してみてね!
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ロシアのジャニーズJr

2006-09-05 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
沖縄に行ってる間に友人Kくんが大変なことになっていて、
メールにリンクがじゃんじゃか送られてた。
ロシアの超美少年を発見したので見て見て~!と大騒ぎなので
早速リンク先を見てみれば……。

なんじゃこりゃ~! あどけない顔の少年アイドルが
少年少女バックダンサーとともに歌い踊るの図は、
ジュニアを従えた子犬時代のタッキーかい!

その子の名はヴラッド・クルツキフくん(10歳)。
ロシア西部ヴォロネジに拠点をおくコドモ芸能スタジオ
Волшебники Двораヴァルシェブニキ・ドヴァラ」所属なんだとか。
このスタジオは100人くらいの少年少女と15人の指導者を抱え、
いろんな子の組み合わせで楽曲を発表し、
数々の賞を総なめにしてるらしい。
で、ある程度の年齢になると〝卒業〟するらしく、
現在のところ、人気ナンバーワンの地位に君臨するのが
ヴラッドくん、てわけである。
で、この子のほかにジェニスくん、セーヴァくん、イワンコくん
とタイプ違いのソリストが活躍し、ときに合体してグループを組む。
……って、まんまジャニーズJrじゃん!

もっとも、Jとの決定的な違いは、少女もいること。
それとこれは、コドモたちによるコドモたちのための音楽であり、
日本のようにオバサンの少年嗜好やオジサンのロリコン願望を
満たすものでは決してない。このあたり、ロシアは健全ですからね。

もともとこの「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」は、
4人の少年と4人の少女によって1989年に結成され、
その後メンバーが変遷、てなことが公式サイトには書かれてる。
そういう書き方だと、まるで自発的に子らが集まったかのようだが、
そんなはずはないでしょー。
ヴォロネジJrを束ねる影の仕掛け人は誰なんだっ!?
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