霊場 深草毘沙門天 是より北半丁
泉州堺 神南辺大道心
神南辺大道心隆光は江戸後期、泉州堺の住人。放蕩者であったが、仏門に入り、天保12年(1841)に没するまでの約20年間諸国を行脚して道標や石橋を勧請したという。隆光の遺品は堺を中心に約40点を数える。京都では6点が確認されています。ここはそのうちの1つ
人王 五十代 桓武天王陵 是より 半町
東面碑文はセメント様の充填剤で抹消されている/この道標に記す「桓武天王陵」は現在治定されている伏見区桃山町永井久太郎の柏原陵ではなく江戸時代に比定されていた谷口古墳(現浄蓮華院内)を指す
関連記事 ⇒ 関連記事0015 神南辺道心
東山トレイル ➡ まとめ004 京都一周トレイル
道標 前回の記事 ➡ 道標伏0079 八科峠 歌碑 車石 京都一周トレイユF13 蔵
川柳
教えてよ遺体と死体どう違う /小倉
下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます。試してみてください