旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

コペンハーゲン、クロンボー城、オスロへの船泊

2012-08-30 00:37:09 | デンマーク
コペンハーゲンと言えば「人魚姫の像」
足が美しい人魚というのも珍しい。これも理由があってこのように描写されているのだけれど、それはまた別の機会に。
近くにシルバーシークルーズの船が入港していた。
昨年姉妹船「シルバー・スピリット」に六泊したからはっきり言えるのだが、クルーズ船は船体が大きすぎない方がむしろ快適である。船室は充分な広さがあって、船内はわかり易いのが良い。※昨年小松が乗船したシルバーシーのクルーズについては、こちらからお読みください。
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お昼ご飯のレストランで迎えてくれたワンちゃん、いかつい顔に優しい目。
メニューは定番オープンサンド黒パン麦パンが美味しいのです。

午後、北シェラン島の海峡を守っていたクロンボー城へ
ここは「ハムレット」の話のモデルになった城として知られている。シェークスピア自身が来た事はなかったというが、イギリスからの旅の劇団は訪れたこともあったようだ。
16世紀からの城の中庭
その真ん中にはかつて彫刻で飾られた噴水があったという。その再現モデルがこちら
ガイドさんはいつも「スェーデン軍に持ち去られて、今も一部がドロットニングホルム宮殿の庭に飾られています」と解説する。小松はいつもそれらを写真に撮って具体的に比較して見るのだが…はっきり同じと確認できるものは見つからない。ううむ、青銅の像というのは溶かされてしまえば跡形もなくなるものだから、ムズカシイ。あるいは似せて後から鋳造したりしていないかしらん?
説明されても、実際に自分で確認できないことは多い。素朴にそういう疑問を持ち続けることが必要だと思う。

ここには16世紀のデンマーク人天文学者ティコ・ブラーエも来たかもしれない。彼の業績を説明する展示があった。彼の墓はプラハのティーン教会にあるので、チェコ人だと思っている人も多いかも。
彼は地動説者だったという事で、はじめ「たいしたことない」と思い込んでいたが、調べてみるとかなり優秀な観測者であったようである。ケプラーが彼の業績を継いだ事も幸運であった。

閑話休題★地動説をはじめてとなえたコペルニクスはティコ・ブラーエの生まれる三年前・1543年に北ドイツのバルト海に面した小さな街で亡くなっている。コペルニクスは天動説を主張した書「天体の回転について」を、意図的に死後に発表した。自分亡き後、誰かがその真実を理解してくれると、信じていたのだろうか。

クロンボー城のタピスリー
これについてはこんな話

最後に城の地下牢を案内してもらい、そこで座り、思案している巨人に出会う。デンマークが危機に陥った時に立ち上がると言われているホルガー・ダンスクである。

***
16時にコペンハーゲンの港に到着。
チェックインを済ませると紙のルームキーを渡される。
船室はコンパクトながら快適
夕食のバッフェは北欧風。「スモーガスボード」と呼ばれる。なかでもこの赤いザリガニの種類のエビはとても美味しい。

17:45からの早い夕食を終えて、さらに一時間ほどして、水平線に美しい夕陽がおちていった。

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