旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

小豆島下見~唯一の酒蔵MORIKUNI、馬木集落歩き2

2021-11-13 14:10:19 | オーストラリア
瀬戸内最高峰「星ガ城山」(標高816m)には室町時代の城塞遺構もあるという。そこからの空をイメージしたボトルとラベル※山そのものについてヤマケイのサイトに解説があります
軽いワインのようにするっと飲める「ホシガジョウノソラ」はアルコール度数8%。MORIKUNI酒造を代表する味わいとはちがうけれど、この軽やかでおしゃれなイメージこそ、MORIKUNI酒蔵が見事に再生した秘訣に思えた。

※MORIKUNIさんのHPにリンクします
今の正式名称は「小豆島酒造」、小豆島唯一の酒蔵で杜氏さんは女性。
銘柄の名前も女性的?↓※名前をクリックしてもらうと商品ページにとびます
ふふふ~木漏れ陽の寒霞渓
ふわふわ~雲
うとうと~かもめ 
これらそれぞれ、個性のある味わい(^^)

だが、小松が「ここでなければ味わえない」と感じたのは↓

↑左上の・はちはち
~小豆島の中央・中山地区の棚田六反半を使わせてもらい、2015年から香川県産の酒米オオセトを作付けされている。

お店の前に、その棚田を感じてもらうスペースがつくられていた↓


そして小豆島のお米屋さんに協力してもらい精米歩合88%まで削ったのでこのお名前に(^^)

「はちはち」には、麹の香りともともとのお酒の色がちゃんと残っている。
↑上の写真で「はちはち」の右で売り切れ表示が出ている「オリーブの花の咲くころ」は、手で袋絞りをしたので量産できない限定三百本のもの。

☆合酒(ごうしゅ)はしない
~大企業がブランドネームで出すものは同じ味わいであることが求められるので、ブレンダーが数種類を合酒(混ぜ合わせ)して味を調整している。それはワインもウイスキーも日本酒も同じ。
しかし、土地からとれる素材そのものを生かそうとするならば、毎年の味わいが大きく変化するのが必然。
「大企業の大量生産品のように同じ味にするのではなく、毎年の味わいが変わることも楽しんでいただきたい」
その考え方よくわかります。どんな業界でも《手造》のものは味わいが異なり、大量生産はできないのですよね。

番外ながら忘れてはならない絶品★奈良漬!
奈良漬大好きの小松の母が絶賛しました(^^)

同じく奈良漬好きの叔母のコメント「醤油の甘さと酒粕の甘さが程よく美味しいですね。ついてたかすは、糠床に入れてみました。」

ランチもMORIKUNIさんにて↑奈良漬もついているけれど↑主役は粕汁(^^)


**

↑MORIKUNIのある馬木地区には、元醤油業者の会館を利用した現代アートギャラリー兼カフェもある。2022三月に《手造の旅》が実現出来たら馬木に宿泊してここにも寄ってみたい。
***

↑なにゆえ「イタチ観音」?※これは堂内の壁↑

目印の大イチョウは遠くからでもわかる


誰もいない境内

根元にはおおぶりな銀杏が積もっていた

自称「世界一」(^^)

現地の案内板にはなぜ「イタチ観音」なのかは書かれていなかったが、「こまめ食堂」のTさんのブログで理由を理解した。
※リンクします


塀の外に小さな祠があって「元宮」と書かれていた。
戦前まではここに巨木があってその跡に建てられたと解説されている。
そうか、これがリンクしたTさんのブログに書かれていた「大楠」のあった場所だったのだ。
とすると、イタチが観音様をしまっておいた木の洞はここにあったのですね?



↑この灯篭について、別の伝説もあったので※リンクします



↑この細い路地が気になった。
水の流れというのはおいそれと変えられないから、古い時代の面影を留めていることが多い。
↑右の石碑は何?

「応神天皇腰掛の石」
古事記に登場する伝説の第十五代天皇。
馬木の高台にしばらく滞在したそうな。
調べてみると、応神天皇の行幸にちなんだ場所が、小豆島・瀬戸内にたくさんある。

いつもながら、
下見を終えて調べなおしていくうちに「そうだったのか」と気付くことが多い。
出発前にどれだけ準備をしたつもりでも、
「それだったらもっと写真を撮っておくべきだった」と思う場所がでてくる。

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2003年ウルル(=エアーズロック)

2021-09-13 13:14:09 | オーストラリア
2003年オーストラリアの旅より
↑夕暮れと↓朝焼け

「登山禁止」「この登山危険です、何人も墜落死した人がいます」と、2003年にも看板はあったが↓

2019年10月に「先住民の聖地である」という理由で全面登攀禁止になってしまうとは、当時予想していなかった。

宗教上の理由よりも、その日暑くなりすぎて登攀禁止になるのが心配だった。

だから、真夏の二月には、夜明け前にはホテルを出る。

↑登攀口はここ一か所※この写真は前日の夕方撮影↑
高さ340mもの砂岩の一枚岩。周囲9.4㎞のいびつな楕円。
容易に想像できるが、最初の縁をのぼりきるまでがいちばんキツイ。
登攀口から見える「チキンロック(弱虫岩)」と通称されるあたりまでは鎖がついていない登り。
ここまでで自分の体力を悟って引き返すひとも多いのだそうな。
そこからさらに急な登りとなり鎖が張られている。

↑ようやくそのポイントを超えて、ほっとしております(^^)

ある程度のぼってしまえばあとは平たい道だから、と言われていたがそこそこのアップダウンが続く↑うねる岩のむこうに小さく人が写っているのに注意↑登山路といっても柵などない。ふらついて倒れれば頭を打って急な岩を転がり落ちることになりかねない。救護施設や避難小屋なども一切ない。ぱっと見よりも危険な登山だということがわかった。

眺望はすばらしい。ウルルが奇跡のように草原に残された岩だ体感する。
地表に出ている部分は全体の一割にすぎないという説もあり、どのぐらいの大きさか分かっていない。
30㎞ほど離れたカタ・ジュタ(=マウント・オルガ)↓が見えた。
ウルルはあそこと地下でつながっている岩だという話もあった。
いったいどうなっているのかしらん?

岩の表面ははげしい寒暖の差のせいか荒れている。
今日の我々、午前八時台から二時間の登山タイムをとっているが、すでにぐんぐん気温があがって暑い!

頂上はいずこ?
円筒形のドラム缶みたいなモニュメントが置かれているだけなのだが、そこまでたどり着けるか…

小松は登山希望の方々全員を送り出して最後に出発したので時間が足りず、頂上モニュメントが遠望できる場所まで来て引き返した。無理せず引き返す勇気は大事。もうすぐそこまで来ていたので逆にそれほど残念でもない(^^)。

午前10時少し前、グループメンバーの最後として登山口に最後にもどってくると、暑くなりすぎて登攀は禁止となっていた。
観光シーズンの夏でも、登攀OKになる可能性は半分ぐらいだったそうだ。



国立公園指定地域のゲートを出る。日付と名前の書かれた「エアーズロック・達成証明書」↓が配られた↓

**
今はこの中にはホテルなどないが、1950年代にはウルルの北側すぐのところに飛行場が建設され、絶景の場所にホテルがあった。
1985年に先住民に「返還」され、国立公園エリアからキャンプ施設やホテルが一掃。
宿泊できる場所は1992年にユララ・リゾート一か所に集められている。

追記
このエリアはハエがとても多い。
白人たちの農場のハエがひろがったのだときいた。

ツバの部分からハエよけがぶらさがったカウボーイハットが有名だが、こんな「顔ネット」も売っている↑

「使わないときはこんなふうに帽子に巻けばおしゃれです」とガイドさんが見本をみせてくれた(^^)

追記2
夜、「スタートーク」という星空ツアーがあった。
世界中で見てきた夜空だが、あれほど「饒舌」を感じた時はなかった。
「うるさい」ほどの星のまたたきだった。



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2003年 カタジュタ(=マウント・オルガ)

2021-09-10 15:24:28 | オーストラリア
2003オーストラリアの旅より

ウルル(=エアーズロック)から30㎞ほど離れて、草原に巨岩の山々がそびえている。
有名なのはウルルだが、カタジュタの方が大きい。20㎞以上にわたり合計三十六の巨大な岩山がごろごろ続く。

「カタ・ジュタ」は先住民の言葉で「たくさんの頭」という意味だそうな。西欧人のつけた「オルガ」はいかにもロシア女性の名前だが、ドイツのシュトットガルトが短い時期ヴィュルテンブルグ王国の首都だった時期に、そこに嫁いだロシア皇女の名前からとられたのだそうだ。
駐車場からガイドさんに連れられて「ワルパ渓谷」を歩く。

内陸で川も流れていない乾燥した草原。ここに住む人々にとって水が最も貴重。

岩陰にそういう場所がある。

先住民=アボリジナルたちが画いた岩絵が残る。

何が画いてあるのか?オーストラリア全土で五百もの部族があり言語や文化もちがうのであまり解明されていない。

↑渦巻は水?人の集まる場所?

↑これは貴重な食料の幼虫ではないか解説された↑実際今でも食されていて、食べた人によるとクリーミーでおいしいんだそうな。

このエリアに入るチケットもアボリジナル・アートのデザイン


ウルル近くの宿泊ホテルにもどろう

大きな空の下を走って、ウルルの夕景を楽しめる時間にもどってきた。

明日の朝、天気がよければウルルへ登ることになっている。

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ゴールドコースト

2021-09-05 09:14:15 | オーストラリア
2003年オーストラリアの旅より

ケアンズあたりはサンゴ礁の海グレートバリアリーフだが、そこから南へ1500㎞ほどいくと砂浜のゴールドコースト。

海を使ったアミューズメント・パークがいくつもある

シーワールドの水上スキーのショーはここならでは



ペリカンをこんな間近で見たのははじめて

ほんとに大きなくちばしと袋!


空港近くにあるカランビン動物公園では、タスマニアデビルがいた↓

平和なタスマニアでは「猛獣」なんだけれど、ぱっとみ小型で不機嫌そうな顏がかわいい。

すごく特徴的な歩き方をする。写真を撮ろうとするけれど・・・

ちょろちょろ動きまわってうまく撮れなぁい


そこいくと

このこはだいじょうぶ


こんなチェスも売っておりました。

海の街ゴールドコーストを観光するのにピッタリな乗り物はこれ↓

↑水陸両用車でのツアーはワシントンDCなんかでもあって「ダックツアー」と称しているのだけれど、ここゴールドコーストではペリカンの顔してます(^^)

じゃぼーんっと海に入るとそのままクルーズ

豪邸やマンションを海から見る

**

ショッピング・アーケードにはなんと

フィレンツェにあるミケランジェロの「ダビデ」の原寸大レプリカが↑
・・・ホンモノそっくりなはずなのに、なぜかちっとも心に迫るものを感じられなかった
※フィレンツェで本物をじっくり見た時の話はこちらに載せています

***

空港のブックショップで、2002年に日本で観たオーストラリア映画の原作を見つけた↓

原題は「Rabbit-Proof Fence」。
入植した農民がウサギが入ってこないように何百㌔にもわたって築いた壁のこと。
二十世紀前半、白豪主義のオーストラリアで同化政策のために家族から引き離された幼いアボリジニの姉妹が、このフェンスをたどって自分たちの家に帰ろうとする話。
※こちらにテレビ東京の紹介頁があります
「アボリジニ」という言葉は 「ab-origine=起源から」という意味で、ローマ人がイタリア半島を征服していく過程で先に住んでいた部族や動物を指して使ったラテン語が元。征服された部族はローマ人の言葉と文化を学ぶことで同化して(させられて)いった。特に支配階級の子供たちは部族から離され、ローマ人の家庭で育てるようにした。

オーストラリアを征服した白人たちも同じように、先住民族アボリジニの子供たちは親から引き離して欧米風に教育することが彼らのためになると考えた。

だが↑こんな小さな子供たちを親から引き離し、キリスト教団体の運営する寄宿者で生活させたのは間違いではなかったか?
今ではこの世代の子供たちを↑親たちから「盗まれた子供たち」=「STOLEN CHILDEN」と呼ぶようになっている。

20世紀も終わりになって、オーストラリアやニュージーランドの白人たちも、先住民(オーストラリアではアボリジニ、ニュージーランドではマオリ、とひとくくりに呼ぶ)の言語や文化を「自分たちの文化」として遇するようになってきた。
何万キロも離れた土地でいくら母国イギリス風に生活しても、母国からは真似としかみなされない。
入植から二百年とすこし。何世代にもわたって虐げてきた先住民たちの文化こそ「自分たちの文化」であると理解しはじめてやっと、入植者たちはほんとうのオーストラリア人・ニュージーランド人になれたと言えるのだろう。







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ケアンズで気球に乗る

2021-09-03 06:08:36 | オーストラリア
2003年オーストラリアの旅より

気球が飛べるかはその日になってみないとわからない。朝四時に電話で確認して、真っ暗なホテルを出発。真っ暗な草原に着く。
バーナーの炎が熱い空気を送り込むバルーンが大きく膨らみはじめた。

気球は風が安定していないと飛べない。なので世界中どこでも、風が変わる時間帯=夜明けか夕暮れのフライトが多い。だんだん明るくなる空をバックにバーナーの炎が熱い空気を送りこむ風景は世界のどこで見ても美しい。※2019年のエジプトでの写真をこちらからごらんください
※2018年メキシコのテオティワカンでの動画をこちらからごらんください

熱い空気が溜まると気球はゆっくりと立ちあがる。
※メキシコのテオティワカンでの気球からの写真はこちらに載せています

そろそろバスケットに乗りこむタイミングだ

気球はその国・その土地独特の風景を楽しめる。
バスケットは二十人ぐらい乗れる大型のもの。

オーストラリアはこのアリ塚もそれにあたるだろう。
※2013年トルコのカッパドキアで奇岩の上をとんだ時の写真はこちらに載せました
※2012年アメリカのユタ州アーチーズ国立公園の上を飛んだ時の写真はこちらに載せています

ケアンズは熱帯に位置している。

ユーカリ(ばかりではないかもしれないけれど)の林と

沼のような場所の上を飛ぶ↑水面に気球が映っている↑

気球は降りる場所を予定して飛ぶことは難しい。
つまり、降りやすい場所が周辺にあることが気球アトラクションを可能にする。
この日四十分ぐらいのフライトの後、着地したのは背の高い草の中でバスケットから降りるのに苦労した。

気球ツアーは世界中にあるが値段は大きく違う。タンザニアでは四百ドルもしたけれど、降りると草原に特別の朝食テーブルが用意してあって、現地の人が何十人も世話をやいてくれる、まるで「植民地時代のご主人様」のような待遇だった。

オーストラリアは良し悪しではなくその対極。
値段は四分の一ほどだが、乗客全員で気球をたたむところまでやる(やらされる?)。
空気が抜けてゆく途中の気球を引っ張り(上の写真)抜けきるまえにカタチを整えなくてはならない。これをやってみてはじめて、アフリカで気球と格闘していた現地の人の気持ちを理解できた気がした。





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