旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アフ・アキビ、

2018-08-14 23:50:48 | イースター島
モアイは村を見守るように立っていたのでほとんどは海岸線にある。

そんななかでこのアフ・アキビだけは海岸線から三キロ入った「内陸」にある。七体のモアイは、伝説によると初代王ホトゥ・マトゥア王の七人の息子↓

年代測定によって14世紀ごろのものと判明して、伝説は正しくないとはされたのだが。

内陸に村ができたのは、海岸線の住みやすい場所がすでに集落で占められてしまったからだと考えられる。
イースター島の人口が最盛期には二万人近くになったとする説もある。
アフ・アキビはその頃に新規開拓された集落ではないだろうか。

**
ハンガロア村にもどり、「手工芸品マーケット」に立ち寄る↓

団体バスがまとまって止まることができるような場所はここぐらいしかないのだ。
それにしても…どの店もよくあるような品揃え

同じような店がずらりとならんでいる

イースター島らしいものといえば、モアイの他はこのロンゴロンゴ文字盤のレプリカぐらいか↓

※ロンゴロンゴ文字についてはまた別に書きます

百メートル程のところに教会↓

ハンガロア村の中心部はすぐそこである。

***
いったんホテルにもどる
↓このレセプション棟のデザインは、「鳥人間崇拝」が行われた神殿?のかたちを模倣している↓

↓この客室棟もそうだ↓

部屋から見えた山頂の↓三つの十字架はなにをあらわしているのだろう?
こんどガイドさんに訊ねてみよう↓


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七時に再出発してサンセットツアーへ

今朝最初に訪れたアフ・ビナプ↓くもっていたので心配したが


雲があることでより赤い夕焼けがみられるようになる

日が暮れてから二十分ほどがいちばん空が焼ける


*****
夜はダンスショーのディナー

バッフェ↓

最後にラパ・ヌイ・ケーキ↓バナナを練り込んである↓

ショーはハワイとよく似ているが

↓ひとつだけ、日本のあやとりのようなこの島独自の文化が紹介された↓

島の歴史を口伝えしながら、それをあらわす形をこの「あやとり」で覚えていくのだそうだ







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20世紀前半のイースター島は羊の放牧場だった

2018-08-14 16:16:16 | イースター島
島の南東部にあるラノ・ララクから、島の西部ハンガロア村へ戻る途中、島のガイドをしているパカくんと話をした島の集落はハンガロアひとつしかない。その他はこんな牧場みたいな場所なのだ。なんだか不思議。

「ここはぜんぶ羊をはなしてあったんです。イギリスの会社が島に七万頭も羊を放していたんです」
え!ほんと?
たしかに、そう思ってみればこういう石積みはイギリスでよく見るスタイルか


★しらべてみると、すでにチリ領になっていた1897年に、リバプールを本拠にする海運会社バルフォア・ウィリアムソンという会社が半世紀という期限で島を実質租借していた。
島民たちはハンガロア村一か所に集められ、それ以外の村は放棄させられた。全島に羊が放たれた。
どこに訴え出ることもできない島民たちは収容所の奴隷状態で、命がけで島を脱出するものが毎年でたのだそうだ。
パカ君がおじさんからもらったという手作りのカラーガイドは、そのことを解説した新聞の切り抜きものせていた↓

↑写真があるのは無事にたどりついた笑顔の島民

だが、下の表を見るとそれは幸運なケースだったことがわかる。
↓左に年度 次に人数、その次は漂流した日数 そしてどこにたどり着いたのかが書かれている↓あるいは、三行目や六行目のように行方不明になったのか…↓


1947年といえば、コンチキ(コンティキ)号が冒険旅行をして、トール・ハイエルダールがモアイ位を掘り出して写真に撮っていたころではないか
この時、モアイのまわりには羊たちがうじゃうじゃいたことなど、どんな本にも書かれていなかった。ハンガロア村に奴隷のように押しこめられていた島民についてもそうだ。

いや、この状況は今でも同じかもしれない。
モアイに引き寄せられてやってくる我々観光客は、現在のイースター島のことをどのぐらい理解しているだろうか。理解しようとしているだろうか?

たとえば、下の写真は我々が宿泊したハンガロアホテルの1971年の様子である↓同じく、パカくんのおじさんがつくった本に載せられていた↓

現在、島民以外がこの島の土地を所有することは認められていない。だが、このホテルはもっとも古くからある高級ホテルなので、その法律をかいくぐって存在している。
島の人話だと、チリ本国のドイツ人が実質所有しているのだが、政府に仲の良いひとがいるので問題になっていないのだという。
地元民がホテルのまわりに黒い旗を立てて反対運動をしているのだが、我々にそんなはなしはほとんどきこえてこないようになっている↓

パカ君に根掘り葉掘り質問してはじめてこの黒い旗の意味が理解できたのだった↓


***
イギリス会社との契約は1953年に終了した。
島民たちがチリ軍に志願し、それによって権利意識に目覚め、イースター島の島民にはじめてチリ国民としての権利が認められていった時期になる。

羊毛会社は四万頭と言われる羊を残していったのだが、今は一頭も見ることはできない。
島民が後先考えずにぜんぶ食べてしまった結果だという。


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ラノ・ララク~モアイ製作所

2018-08-14 14:14:14 | イースター島

多くのモアイはこの山から切り出されている↓イースター島という火山島にある巨大なカルデラのひとつが遠景に見えるラノ・ララク※アフ・トンガリキからみたところ

↓下は逆にラノ・ララクからアフ・トンガリキを見下ろしたところ↓


入口からいくつものトレイルに分かれている↓

完成して「アフ(祭壇)」の上に立てられたモアイには近づくことができないが、ここにあるものは制作途中なのですぐそばまで行けるのだ。
到着した時には雨がひどくてバスの中で説明をしたほどだったが、歩き出して雨が止んだ。
にょきにょきと地面から顔をだしているモアイの間を歩く↓

けっして写実的でもないのだが、なぜかリアル↓

もともとは埋葬者を記憶するために似せてつくられたというから、それぞれ個性があるのも当然か

↓この首をかしげたようなものは、モデルである当時の王にそんな特徴があっただという説がある↓

↓これらのモアイは土中に地上の二倍ほどの身体を埋もれさせている↓

斜面から流れ落ちてきた土砂が埋めていったのだ
1940年代に「コンチキ(コンティキ)号」で有名なノルウェーのハイエルダールが発掘した写真が残っている↓

今、見えているそれぞれの下がまだこんなにあるのか…

この「正座するモアイ」も埋まっていたのだが、掘り進めていくうちに正座した足がでてきてみんなびっくりしたそうな↓



タヒチの博物館庭にとても似た像があった(後日載せます)

切り出されている途中のモアイ↓


モアイはまず身体の前部分をきれいに彫ってから山の斜面をつかってすべらせ、あらかじめ掘っておいた土の穴に立たせていたと推察されている
そして、最後に背中部分の装飾を刻んでいく↓こちらの背中になにも彫られていないのは未完成ということ↓

もしかすると、ここはモアイのショーケースのような場所だったのかも・・・

今歩いているあたりだけでなく、山の向こう側・カルデラ湖があるそうだがその周辺にも、おびただしい数のつくりかけモアイが残されているのだそうだ。今日はとても時間がないが、いつか見てみたい(いつ?)。

モアイを一体つくるのにどれぐらいの時間がかかったのか?
様々な試算があってはっきりしないのだが、最低でも三年ほどはかかったと推察されている。
とすれば、モアイの注文主は自らの墓に立たせるべきモアイを一からオーダーするだけではなかったのではないだろうか。
つまり、あるていどラフに製作したモアイをたくさん立たせてあるこのラノ・ララクにやってきて、ショーケースを見るように自分の好みのものを選ぶ。そして、細部を彫らせていったのではないだろうか。
未完成のモアイがこれほどまでにたくさん立っているのはこれで説明がつく、かも。

だいぶ晴れて太陽が景色に色をつけてくれる。

同じ場所でも、特に写真に撮るとぜんぜん違って見える



★西欧船?が刻まれたモアイ(右)↓が見たくて、道を戻った↓

この船もハイエルダールが彫ってみてはじめて見つかった↓ノルウェーはオスロのコンティキ号博物館にあるレプリカを見るとそれがよくわかる↓

※このモアイに関してはこちらにもっと書きました

一時間半ほど滞在したが、ここは見たいものが尽きない
入口へもどって1ドルトイレにいかなきゃ



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アフ・トンガリキの十五体のモアイ

2018-08-14 13:13:13 | イースター島

十五体の巨大なモアイが並ぶアフ・トンガリキへ

★これらのモアイは全部倒れて津波で壊滅しそうになっていたのを日本のクレーン会社がまさに立て直した。その後日譚をこちらに書きました。
**
行く途中で牛の群れに行く手をはばまれた

イースター島は全土が放牧地みたいな状況。家畜を飼うと土地の使用権がみとめられるのだそうで、そのために牛や馬を買う人もいるとか。

アフ・トンガリキが近付くと、想定していなかった迫力ある岩山が見えてきた↓

あ、これがモアイを切り出していたという山か。
アフ・トンガリキの後で行くラノララクというモアイ切り出し場はあの山の斜面にある

そこからほど遠くない海辺に十五体のモアイが見えてきた↓

入口の看板。ぴょんと飛び越えられそうな石積みで仕切っているだけだが、入場料金は要るのです
↓石でできたお土産モアイの方が安い↓


ワンちゃんも自由についてくる

モアイは一体一体がまったく違う顔をしている。

個性もあるし大きさも違う。かつて葬られた人の姿に似せたから、だろうか?

それなのに、すべてに共通する「モアイらしさ」がある。
だから見ていて飽きない。


倒されたままのモアイ↓


↓入り口近くにあるモアイは「モアイ・ハポネス(日本のモアイ)」と呼ばれる。なんと、1980年代に日本に貸し出されたことがあるのだ↓

★このモアイにまつわる個人的な話を
今回のツアーに参加していた五十代後半とおぼしきご夫妻の旦那さんがお話くださり、ツアーを企画した担当者をして「旅行会社冥利に尽きる」と感動させた。
その方は1982年に行われた「世界の謎 イースター島巨石石像展」でアルバイトをしていた。
大学の最終学年で就職活動をしていた時期、志望した会社に内定をもらえたのはこのモアイのおかげだとずっと思っていたのだそうだ。
あれから三十余年、退職するまでに一度そのモアイに再会したいと願っていた。
しかし、南米経由で訪れるような長い休みはサラリーマンにはなかなかとれない。
そこにこの八日間で訪れることのできるツアーを目にし、参加を決意されたのだ。
旅の作り手として、自分が手掛けた旅がこんなふうに人の役に立っていると実際に知ることができるのは、何よりの喜びに違いない。


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インカの石組みに似たビナプのアフと上陸の地アナ・ケナ

2018-08-14 12:12:12 | イースター島
各モアイの名前のはじめに必ずついている「アフ」というのは死者を葬ってその上につくった祭壇のこと。ある時アフの上に死者の姿に似せた像をつくったところからモアイに発展していったと考えられている。
二つめに訪れたアフ・ビナプAhu Vinapuには二つの祭壇と倒れたモアイがある↓

このアフの石組みはたしかにちょっとインカの石組みを思い出させる↓

ここから、南米から人々が渡ってきた説を証明しようと「コンティキ号」計画がはじまったのか。

そばには頭に乗せられていた赤い「プカウ」が転がっている↓

↓「プカウ」は帽子ではなく髷という説もある。「こんな変な髪形ないでしょ?」いえいえ、日本のちょんまげだって相当に変わっている。

同じ凝灰岩だが赤い色のものを選んでつかっている。
***
ポリネシアからはじめてやってきたホトゥ・マトゥア王が二艘の船で上陸した地と考えられているアナ・ケナ・ビーチへ↓上陸した時代想定は6世紀から9世紀…つまりあんまりはっきりしないのです

ここには立たせたモアイが五体、海を背にして立っている↓



この島はほぼ崖にかこまれていて、船をつけて上陸できる浜はほとんどここしかない。
だから、ここを抑えれば島を守ることができると住み、守ってくれるモアイを置いたのか↓

細長い不思議なモアイの手↓

台座に彫られたているというトカゲ男の神をさがそう

↓すぐにわかった↓

土台の石に「もっと古い時代のモアイ」が再利用されている話も気になっていた↓それが、これか↓

いったいこの古いモアイになにが起きたのだろう?

さて、ここでランチタイム、とうもろこし+ごはん+まぐろにソースがかかったもの…


どこにでも登場するにゃんこ


にわとりは最初に入植したポリネシア人が食料として持ち込んだとされる
はしりまわっております

トイレは1ドルまたは500チリ・ペソで

それにしても対ドルのレート、ちと悪いです↓下の写真右上のこのレート。実際のレートはせめて1ドル=600ペソぐらいのもの。こうやって稼ぎを増やそうというのか?あるいは計算が苦手なのでわかりやすく「1ドルで二人トイレにいけます」というようにしているのか(^.^)

↓木彫りのモアイも高いです↓大きいものは八千円とか言われる。値段表示はなし。

次は、日本企業が修復した十五体のモアイが立つアフ・トンガリキへむかいます




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