旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

トゥール美術館と大聖堂のプロジェクト・マッピング

2018-07-29 22:45:00 | フランス
ロワール河畔に位置するトゥール

中世からの城塞円形塔↓

↑写真左に写っているのはユダヤ人迫害を記憶するプレート
↓この場所にはローマ時代から軍事基地があったことが発掘で確認されている↓


ここからすぐちかくにある聖ガシアン大聖堂。そのとなりの元司教館が美術館になっている↓右の門を入ったところ↓

巨大なレバノン杉が迎えてくれる↓

1804年といえば、ナポレオンが戴冠した年、二百年もたつのか↓


館内は元宮殿だった雰囲気ものこしている

窓からは庭園も見えるし

ここから見る大聖堂の後陣部分、飛び梁がきれいに処理されているのがわかる↓

絵画や考古学的な展示もあるが、個々には紹介いたしません。
地下でやっていた現代的な展示↓

画面の前に立ってあれやこれや手をうごかすと、目の前の像を動かしていろんな位置から拡大させたりして見ることができるというのだ

でも、ゲームをやらされているような気分で、あんまり展示物に集中できませんでした。
昨今、どこの博物館・美術館でも新しい展示手法を試しているが、かならずしも適切とはかぎりません。

やはりモノそのものの迫力がいちばん


***
遅めのランチそのあとホテルで休憩。眠いけど22時に起きて、プロジェクト・マッピングを観に行った↓

※こちらにもっと写真を載せました

↓夜のトゥール駅







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トゥールの聖マルタン聖堂は破壊された

2018-07-29 17:17:17 | フランス
トゥールの聖ガシアン大聖堂↓

ステンドグラスには四世紀の聖人マルタンの奇跡が描かれている↓
アミアンの城門で寒さに震える乞食に自分のマントを切って半分与える↓左の図

その夜、そのマントを持って現れたのはキリストだった↓

こうして神の使徒となったマルタンは、ローマ皇帝に会いに行く↓

↑左:ローマ皇帝の夢枕に天使が現れ、マルタンに会うように告げる
↑右:マルタンに会い、異教徒征伐の為に剣を授けようとするが、マルタンは聖書を示して「剣は必要ありません」と断る↑
トゥールのステンドグラスはシャルトルスタイルとはまた違うが中世同時期の優れた作品だ
↓左:階段から転げ落ちそうな修道僧?下にいる悪魔が転ばせようとし、上の天使が助けようとしている↓
人が誘惑に負けそうになるさまをあらわしているのだそうだ↓なるほど


聖マルタンは生前から大人気だったので、死後もその遺骨の納められた聖マルタン聖堂には巡礼者がおしよせた。
やがてつくられた中世の大聖堂は16世紀の宗教革命で一度壊されたがすぐにもっと大きくなって復活した。
しかし、18世紀末にフランス革命が起きると真っ先に破壊されてしまった↓
1797年の版画が残されている↓

↑上の版画で左に見える塔が、突然現れておどろいた↓

「シャルルマーニュの塔」と称される、かつての鐘楼であろう

近くに見える「時計塔」↓

これも、前出の版画で画面左手に見えるもの
↓かつてここにあった聖マルタン聖堂俯瞰図がこれ↓画面上のほうに白く描かれているのが「シャルルマーニュの塔」↓

↑左手に描かれている白い四角枠が「時計塔」
つまり、現存するけっこう離れた場所に立つ二つの塔をまるごと含んだ一帯が一つの教会だったということ。かつての聖マルタン聖堂がどれだけ巨大だったかを理解した。
中世の人々にとって宗教が生きる拠り所だったことの表れだろう。

フランス革命は宗教者の特権を憎み、「人々の心を惑わせた」聖人とその遺物を納めた教会を各地で大破壊したのだった。

その後に再建された新しい聖マルタン教会がこちら↓

↓正面入り口

↓下の図で赤く示されたのがこの教会↓十字架型に描かれたのが、破壊された中世の聖マルタン聖堂↓

↑旧教会のいちばん大事な部分が新教会の大事な部分と重なり合っていることに注目↑
フランス革命で暴かれた聖マルタンの遺体は焼かれてロワール川に捨てられたが、その残りをどうやってか取戻し、かつての聖堂心臓部を共有する新教会の地下に安置しているのだ↓

↑この奥に、その聖遺物がある↑
↓新・聖マルタン教会を出たところから「シャルルマーニュの塔」を見る↓

最初に見た側とちがい、ずいぶん補強してあるのがわかる。
塔に登れるそうだが、今日はもう閉まってしまった。またいつか(いつ?)登ってみたい
↓もうひとつの「時計塔」は、「シャルルマーニュの塔」と逆方向から見ると、たしかに小さな時計がつけられておりました↓


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ローカル列車でトゥールへ

2018-07-29 12:12:12 | フランス
ブールジェからトゥールへ乗り換えなしの列車にした↓スーツケースを持っているんだし

トゥールの一つ手前のサン・ピエール駅で乗換が必要なパターンが多いのだが、ローカル列車だとちゃんとトゥールまでそのまま到着する。
↓こんな列車↓

混んでいるのを心配していたが…

↓幸いこんな車内

のんびりとロワール川流域の風景を眺める

日本のツアーでもよくある「ロワール古城めぐり」で必ず訪れるシュノンソー城の駅にも止まった↓

鉄道から城は見えないが、この並木道の先に川の上に建てられた優美なお城があるのを知っている↓

ツアーバスで何度となく歩いたっけ

サン・ピエールの駅でほとんどの人が降りてさらにがらがらの車内↓

この駅ではパリ行のTGVを待つ人がたくさん↓

トゥールはTGVが乗り入れていないのである。

一駅、ほんの三分ほどでトゥールの駅に到着した↓

昔ながらの引き込み線駅↓

効率が悪いこういうタイプの駅は現代ではもうつくられなくなった
駅舎の外観↓


予約したホテルはすぐ目の前の細長いホテル↓アールデコの時代、つまり百年ほど前に建てられた


***スーツケースを預けて、すぐに大聖堂へ向かって歩き出す
途中このお店でバゲットサンドを買って

大聖堂すぐちかくの公園で齧っていた時、目の前にこの石像が目に入った↓

ミッシェル・コロンブ 調べてみてブールジェ出身の彫刻家だと知る
※こちらにこの人の話を書きました
大聖堂のすぐ横に、大司教館だった建物が美術館になっている↓あとで入ってみよう




あ!今晩22:30からここでもライトアップ、プロジェクトマッピングのショーをやる

がんばって夜にまた来よう(^.^)




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ブールジェのライトアップ・ショー

2018-07-28 21:54:15 | フランス
七月末のフランス中部、夕暮れになるのは午後九時半をすぎてから。
がんばって起きていたのはブールジェもライトアップのショーがあるときいたから。
ホテルから大聖堂へ行ってみる↓

おお、これはもちろん見るべきライトアップだが、ショーはどこで?
南側の大司教館前の広場に特設ステージがあって大音響のLIVE↓

屋台もたくさん出ていていろいろ食べられます↓

・・・でも、プロジェクトマッピングはどうやらここではない
一時間ぐらい歩いてホテルの近くで・・・あ!こんなすぐ近くだったんだ↓

この建物は15世紀の大商人ジャック・クールの邸宅。
英仏百年戦争時代、パリに入れなくて名ばかりの王だったシャルル七世はブールジェに財務本部を置いていた。
そのおかげで貨幣鋳造まで請け負っていたのだが、悪貨を鋳造して財を蓄えたとされる人物
シャルル七世は数年後にジャンヌ・ダルクがランスで戴冠させることになる。

プロジェクトマッピングでは彼の人生を映し出している。金貨ザクザクだったり


その後に罪に問われて牢屋に入れられたが脱出・・・
最後は地中海の島で戦死したそうな(このあたり興味があるのですが時間がない…次の機会に)

このほかにも旧市街の数か所で十分ほどのバージョンを上映していた。旧市街に泊まるのは意味がある(^.^)

**
朝食のチーズセレクション↓

↓これらのシロップもブールジェの会社がつくっているものだったんだぁ↓


↓ホテルロビーにこんなバスケットボールが飾ってあった↓そういえば駅のロータリーにもバスケットボールの大きなパネルがあった。
↓ホテルスタッフに訊いてみると、女子バスケットボールのチームが有名なんだそうな↓


そろそろ駅へむかわなくちゃ




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ベリー公の街ブールジェ、朝の市場を歩く

2018-07-28 17:17:17 | フランス
大聖堂のいちばん奥で跪いて祈る人物はベリー公ジャン(1340-1416年)↓


向い合せに夫人の像
ずっとここにあったように思ってしまうが、もともとはベリー公の邸宅近くの私的礼拝堂にあった↓

ホルバインがその当時に、この彫像をもとに二人を行けるが如く素描にしているのを発見しておどろいた。
フランス革命の後にその素描を元にして復元していたのである。
★詳しいストーリーと写真をこちらに載せました


※ベリー公ジャン一世は「善良王」と称されるフランス王ジャン二世の三男。アパナージュ(親王采地)によってベリー地方の領土を実質独立国のように支配していた。※弟のフィリップもブルゴーニュ公国の祖となっている。
ブルゴーニュ公国がその後世襲されていくのとちがい、ベリー公位はフランス王の手元にもどされたので、独立国のような時代は短い。それでもこの小さな町に独特の個性を与えていると感じさせてくれる。
**
出発の日、日曜朝の街を歩いた。



大聖堂のある丘の上から川の方へ降りていくとより庶民的な地域にいたる。このあたり特に木造の家々が多い↓

教えてもらったチーズ屋さんは夏休みで半月閉まっている↓郵便が溜まっていた

観光客相手ではない店の多くは七月から八月にかけて半月以上の夏季休暇は普通なのだ。
↓チーズ屋さんの休業案内↓

↑7月14日から30日までお休み

この常設市場も日曜日で閉まっているが↓

市場近くの広場で八時過ぎから市場がひらきだした




サラミを専門にあつかっている小さなお店が目に留まった↓

「食べてみる?」  ああ、買って帰りたい↓


フランスはチーズの国、このあたりはヤギの乳からつくる「クロタン」の名産地↓お店でも若いものから四か月熟成まで何段階も分けて売られている↓熟成が進んだものなら持ち帰れますね

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再び丘をのぼると、朝日に照らされた大聖堂の東側↓



★フォレスティンという19世紀のブールジェ発祥の名菓が今でも売られている
これ、多くの日本人にもきっとうけます(^.^)
※こちらに書きました


十時少し前にはホテルを出て駅に向かいます
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