旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

エルデニゾー寺院訪問2024

2024-09-10 22:23:59 | モンゴル
エルデニゾー寺院はモンゴルの草原に突然あらわれる。
108の仏塔に囲まれた一辺およそ400mの四角。

中はどんなに立派なのかと門を入ると…


拍子抜けするぐらい何もない↓

↑16世紀の寺が三つ屋根をならべているだけだ。↓

20世紀初頭の姿が写真に残されている↓

↑1872年には62の寺が500の伽藍をかまえ↑1500人を超える僧がくらしていた。
1930年代、社会主義時代の破壊と殺戮がいかにすさまじいものだったのか…。

ここは13世紀モンゴル帝国の首都・カラコルムの遺構といわれるが、この言い方は正確ではない。
都市カラコルムにエルデニゾー寺院は影もカタチもなかった。
正確には、カラコルムが明によって破壊しつくされた残骸を再利用して建築した寺がエルデニゾーなのである。

ハネムーンの記念撮影をする後ろに見える緑色の屋根瓦

これらが16世紀そのままだとは言わないが、13世紀カラコルムにも同じ緑の釉薬が使われていた。
緑色が残る瓦の残骸は今でもそこここにちらばっている。

カラコルム博物館に展示されている瓦とそっくり。

13世紀から同じ手法で大量生産されてきた瓦やレンガなのではないか。

↑何気ない敷石にも再利用されている↓

自分の足で立ってはじめて見えてくるモノがある。

↑博物館に展示されていた、三又槍の印が刻まれたレンガは↓寺の壁に今もみつかる。

まだまだたくさん塗りこめられているにちがいないのだ。

2004‐5年にかけての再構築(解体してつくりなおした?)で20種類もの印が見つかった↓

13世紀モンゴルの部族ごとの印だと考えられている。

**
明によって破壊されたカラコルムの廃墟。
そこに最初に寺を建設したのはAbtai Sain Khanという人物。
↓彼が住んだゲルの跡とされる場所↓

彼はチンギス・ハーンの27代の末裔。
チベットの高僧ソナム・ギャツォに深く帰依し、モンゴルに呼び寄せた。
はじめて「ダライ(海のように「知恵のある」)・ラマ(僧)」という名前で呼んだ。
※ダライ・ラマ三世とされ、一世と二世は遡ってその称号で呼ばれることとなった

↑中央の寺院が1586年にAbtai Sain Khanによって建設された↑

↑ひときわ立派な像が着座しているが、これが16世紀のオリジナルかはわからない。

向かって右側の壁には釈迦の前世の物語↑

↑回廊は日本の寺院建築とそっくり。

↑向かって左の寺院はAbtai Sain Khanの息子Erkhi Mergen Khanが建設させた。

↑内部の壁画は19世紀ごろのもの?

↑タンカにザナバザルの姿があった。Abtai Sain Khanのひ孫にあたる。※ザナバザルに関してはこちらに書きました
モンゴルの国父・ザナバザルの祖先が建てた寺なのだ。

1937‐8年の大破壊。500もあった寺院建築はたった15しか残らなかった。

1970年代には寺ではなく「博物館」として保全が図られるようになった。

宗教の場所として復活したのは1990年の民主化以降のこと。

↑18世紀に建設されたチベット式寺院ラプラン・ゾーでは
20人ほどの僧が熱心に読経していた。

草原に放置された巨大な鍋に

1500人もの僧が暮らしていた名残を感じる。


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ノマド(遊牧民)ショーとホーミー

2024-09-06 22:46:46 | モンゴル

↑馬、ヤク、ラクダ↓

自転車に乗るように自然体なモンゴル人。
動物たちは本来人間を乗せたくなんかない※ラクダが突然ストライキする動画を載せました

巨大な角と長い毛のヤク↑
人間は冬このぐらい着ないと死んじゃうけどヤクはへいき。

解体したゲルを引っ張らせて。

今も季節ごとに移動しているノマド(遊牧民)

彼らの暮らしを知ることができるデモンストレーションだった。

遊牧民は来客を歓迎する。

馬乳酒やスーテー茶(ヤクのミルクからつくる)をふるまう。

天日干しの固いチーズも。とにかくいただきましょう。
食は時に、言葉よりも心をかよわせてくれる。

ベリーを練りこんだ紫色のチーズ?もあった

嗅ぎたばこを嗅がせあうのは男の挨拶。

強烈スパイシー!鼻の奥がいたくなる。

民族楽器で本格的な演奏してくれた。
★ホーミーを生で聴けた※動画にリンクします人間の喉が同時に二つの音程を出せるなんておどろきです。

モンゴル人のソウルフード「羊の茹で肉」↓これは焼いてもいる?

骨付きでどーんと

穀物を入れたスープも羊風味

肉の中でモンゴル人にとっていちばんのごちそうは羊の尻尾部分↓

↑クセのない脂肪でできている。

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ミニ・ナーダム2024

2024-09-06 04:54:56 | モンゴル
モンゴル相撲「ブフ(bökh)」は、一説には新石器時代の岩絵に描かれ七千年前からあったという。それはさすがに信じがたくても↓

↑20世紀はじめにモンゴルが独立国だった時代の宮廷画に描かれ、社会主義にも禁止されなかった。

↑全員が鷲のポーズで入場。

「マルガイ」と呼ばれる独特の帽子をぞれぞれ介添え人に預けておもむろに組み合う。敗者は勝者の脇の下をくぐり退場。勝者は再び鷲のポーズをとる。※こちらに動画をUPしました

勝者はなにやら受け取って

我々にも配ってくれました(^^)

土俵はなくて、時間制限もない。
時にはまる一日組み合っていることもあるのだそうだ。

場所を移して弓のデモンストレーションがはじまった。

男性は75m、女性は65m先の的を狙う。

けっこう先なので当たったのかどうか見えません(笑)

※こちらに動画を載せました


競馬

今回はデモンストレーションなので5キロだけ。
それでもけっこうな差がついてゴール。
※こちらに動画を載せました


二時間ほどのあいだに太陽が照らしている。
草原も見違えるように鮮やかな緑になった。



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野生馬タヒ

2024-09-04 04:42:25 | モンゴル
8月3日と25日、二回ともタヒが見られてよかった(^^♪

※動画で撮影しました!こちらからごらんください

モンゴルの草原を自由に走り回っている馬はたくさんいるけれど、

これらはすべて飼われている。
野生の蒙古馬タヒはフスタイ国立公園にしかいない。

いちおう舗装されていた道を外れ

↑どっちへ行ったらよいか迷うようなオフロードを7㎞ほど走ると、

国立公園のゲートが見えた↑

↑ここは観光客用のツーリストゲルも併設している。

国立公園レンジャーのノミンさんが日本語で解説してくれた。

1878年、ロシア人探検家プルジェヴァルスキーは大きな馬の頭骨をサンクトペテルブルクに持ち帰った↑
1881年、遺伝子の数の違いから、それが家畜の馬とは別の絶滅した祖先をもつ野生種だと確認された。

↑短いタテガミは毎年生え変わる。
←こちらは「似た馬が内モンゴルの乗馬ツアーで働かされています」と、一回目の参加メンバーが知らせてくださった写真。
レンジャーのノミンさんに見せると、
「タテガミも濃いし、これはタヒではありません」
素人目にはわかならい。

さて、実際にタヒを探しに行こう

道はもっとタフなのでジープに乗り換えたのだが↓

↑ごっつい旧ソ連時代からの車がやってきた↓

他日ネットで調べてみると「ワズ VAN3909」のようだ。
※「カーセンサー」のページにリンクします
上のリンクからの引用「ワズは1941年に武器メーカーとして創業しトラック製造に進出、旧ソ連時代に軍用車を生産してきたメーカー。その中でVANは50年以上、基本設計を変えず生きながらえてきました。そういう意味では生きた化石かもしれません。」

「かわいらしいルックスとは裏腹に、悪路走破性はそんじょそこらのクロカンには負けません。ロシア国内のラリーで、市販車のままで未舗装道路9000㎞をノートラブルで走りきったというのですから、いかに堅牢かがわかるかと思います。軽量化のためのアルミなんてどこにも使用してませんし、まさに鉄の塊です。」

このジープの乗り心地は強烈!
頭を天井に打ち付けてしまいそうなほどぐわんぐわん揺れる。
足腰がびくともしない反動が乗っている人間に直接きている感じがした。
※別の車に乗った時にもぐわんぐわん揺れはしましたが

さらにびっくりしたのは↑小学校低学年ぐらいの子供がドライバーさんのとなりに↑シートベルトもしないで乗っていたこと↑
モンゴルの子供たちはたくましい。

二十分ほどぐわんぐわん、草原の上の空が思い切り上下にふりきれる。
タルバガン(=マーモット)は走り回っているがタヒはなかなかみつからない。

やがて、レンジャーが双眼鏡を設置している「ポイント」に到着した。
覗かせてもらうと…いた!

岩陰に群れが動いている※冒頭と同じ動画にリンクします

肉眼では発見困難、なるほどあんな風に過ごしているのか。
動物園で出会うのとはちがう新鮮な喜びが沸き上がってきた。
タヒは終生同じエリアで生活してあまり移動しない。遊牧で飼われている馬が季節によって移動する(させられる)のは人間の都合なのだろう。

↑「鹿がいます」二頭、みつかりますでしょうか↑

ひとしきり見て、こんどはレンジャーさんの経歴に質問がいった↑「以前は鉱山で働いていました」という彼
モンゴル人の職えらびってどうなっているのだろう。

またぐわんぐわん揺られて国立公園の入り口にもどる。

↑ちょっとほしくなったのがコレ

タヒは1969年には一度絶滅したが、
珍しい種としてヨーロッパの動物園に飼われていたものをこの国立公園に移送して放した。
1990年代に三回の移送計画が実行され、85頭が野生に戻された。
それは幸い成功し、現在約300頭が生活している。

出会えてほんとうによかった(^^♪

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シベリア鉄道支線今月二回目

2024-08-30 07:56:43 | モンゴル
三週間前とはちがうタイプの車両だった。
前回は扉のついたコンパートメントタイプだったが、今回はオープン。
日曜日、モンゴル人の家族連れでにぎやか。
※8月3日に乗車した時のブログをごらんください
国内列車なのでどちらも同料金だそうな。

ウランバートル駅の東側には古い蒸気機関車・ディーゼル機関車が屋外展示してある場所がある。
柵越しでも外観ならじゅうぶん見られる。

レーニンの横顔が強烈

駅のロータリーが車ぎっちりで入れず、道路向いで降車。

↑これも「歩道」と言うのでしょうか…

駅↑正面玄関を入ると今日の列車一覧が電光掲示板に↓

↑オレンジ色から下が国際列車。
ウランバートル発15:22⇒翌日14:55ロシア領イルクーツク着
ウランバートル発20:22⇒翌日10:25中国領内モンゴルのエリーン着
など、一日9本。

三週間前と同じく、内モンゴルからモンゴルに入ったところにあるザミンウードからの国内列車がホームに止まっていた。

この車両が去って、ひとつ向こうのホームに我々の乗る271列車が見えた。

↑ネット予約で送られてきた切符を印刷した紙↑文字がちいさすぎて目の検査みたい…外国人だからか個人の名前まで書かれている。

各車両の入り口に立つ車掌さんは名前までチェックするわけでもない。
今回の車両は駅のホーム位置に停車していたので高さはよいのだが

↑列車との間に落ちてしまいそう。

木材で補修された窓↑社会主義時代から使い続けているのがあきらか。

コンパートメントではなく、扉のないオープンな車両。

↑座席の下が物入になっていたんだ。

同じ席になったモンゴル人の家族と、ガイドさんを通じて話しはじめた。

家族でフジルトにいくそうな↓

↑我々が降りるダワーニからさらに一時間半ぐらい北。
調べてみるとモンゴル内の観光地のようだ。

「主人はちょっと認知症があって…」
「野菜は自分の家でそだてている」
そのうち、「英語が話せる親戚がいるから」とつれてきてくれた↓
↑こまつのとなりのメガネの女性がその方↑ドクターなのだそうだ。
「ロシア語はもちろん学びましたが、英語は独学です」とのこと。
かたこと英語でも直接話せると気持ちが通じる。
今回の旅でモンゴルのどこへ行くのかという話になり、「日本人抑留者」を解説することになってしまった。
ソ連の衛星国家だったモンゴルが戦後のシベリア抑留にも手を貸していたことは、
モンゴル内であまり知られてはいないようだ。

外国を訪れる時、
日本の歴史や文化を質問されることは多い。
自国のことを自分の言葉で説明することではじめて
自国を知らなかった自分に気付く。

あっという間に一時間。

草原の中のダワーニ駅に到着↑各車両にいる女性車掌が赤い旗を出している間は「乗降中」ということ。

↑全車両が黄色い旗になって出発!

我々一行はバスに乗り込む。

フスタイ国立公園に、野生馬タヒを探しに行く。

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