爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

手を合わせる

2018年01月25日 | 日記

日蓮宗の住職である義弟から、例年どおり暦が届いた、暦の上部には月ごとに日蓮上人の御遺文である聖語と解説文が書かれている、仏心が出たのか初めて熟読をした。

一月の聖語

「人間に、生を得る事、都て(すべて)希れなり」。

解説文

人間の存在は奇跡の連続の賜です。両親が出会って生まれ、両親も祖父母がいてこそ生まれました。この奇跡を10代遡りますと1024人になります。この中のひとりでも欠ければ現在の命はありません。今を生きてる私たちの命は奇跡の連続が生み出したものです。この尊い「いのち」に合掌する姿を育てる一年にしていきましょう。

義母(家内の母)が時々我が家に来てた頃、先ずは部屋に供えてある日蓮宗のお札(オフダ)に手を合わせる、食事の前後、お客様の送迎時、戴き物に対して等々、ことある毎に自然に手を合わせていた姿が思い浮かぶ。

独身時代は墓参りもしなかった爺も縁あって寺の娘と結婚、今では、毎朝ご位牌に向かって、お礼を述べたり、ご加護を求めたり、手を合わせて今日の一日が始まる。

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