がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
269)内因性オピオイド(脳内麻薬)を増やすがん治療
図:低用量ナルトレキソン療法は脳内麻薬と言われる内因性オピオイド(ベータエンドルフィン、エンケファリンなど)の産生を高めて抗がん作用を発揮する。気功や瞑想、イメージ療法、鍼灸、漢方薬、適度な運動、リフレッシュ、入浴なども内因性オピオイドの産生を高める効果がある。このような内因性オピオイドの産生を増やす方法を組み合わせれば、がんに対する抵抗力や治癒力を高めることができる。
269)内因性オピオイド(脳内麻薬)を増やすがん治療
【内因性オピオイドとは】
強い痛みやストレスを受けると、生体はその苦痛を和らげるような作用をもつ物質を生成することが知られています。そのような物質の代表がベータ・エンドルフィンやエンケファリンなどの内因性オピオイドです。これらは鎮痛作用や快感をもたらすので脳内麻薬とも言われます。
ベータ・エンドルフィンは強力な鎮痛作用があり、女性が出産する際には、この物質が分泌されて痛みをやわらげると言われています。(ベータ・エンドルフィンの鎮痛効果は、日本語のWikipediaでは「モルヒネの6.5倍」、米国のWikipediaでは「モルヒネの80倍」となっています。)
マラソンなどで長時間走り続けると、最初は苦痛に感じていても次第に快感を得るようになるという「ランナーズハイ」は、ベータ・エンドルフィンの分泌によると言われています。そのため、ジョギングが病みつきになると言われています。肉体的な痛みや疲労が高まると、脳の下垂体部分からベータ・エンドルフィンが分泌され、肉体的・精神的な苦痛やストレスを抑えるのですが、同時に快感を与えるのです。
モルヒネやオキシコドンなどの麻薬系鎮痛薬を「オピオイド鎮痛薬」と言います。オピオイド(Opioid)とは「オピウム類縁物質」という意味で、オピウム(opium)はアヘン(阿片)の英語名です。
アヘン(阿片)はケシ(芥子)の未熟果から得られる液汁を乾燥させたもので、モルヒネやコデインなどの麻薬を含みます。モルヒネなどのアヘンアルカロイドが結合する細胞の受容体をオピオイド受容体と言います。オピオイド受容体はモルヒネ受容体とも呼ばれ、モルヒネは脳内のオピオイド受容体に働いて鎮痛作用などの効果を発揮します。オピオイド受容体はモルヒネが作用する受容体として1973年に発見されました。そして、オピオイド受容体に作用する内因性の物質(内因性オピオイド)があるはずという予測のもとに研究が行なわれ、エンケファリン(1975年)やベータ・エンドルフィン(1976年)などの内因性オピオイドが多数発見されました。
つまりオピオイドとは、中枢神経や末梢神経に存在するオピオイド受容体への結合を介してモルヒネに類似する作用を持つ物質の総称で、植物由来の天然のオピオイド、合成・半合成のオピオイド、体内で産生される内因性オピオイドがあります。
モルヒネなどの外来性のオピオイドはアルカロイドという化合物ですが、内因性オピオイドはアミノ酸が数個から数十個つながったペプチドです。この内因性オピオイドは脳内に多く存在し、モルヒネと同様の作用を示します。鎮痛作用があり、また多幸感をもたらすため脳内麻薬と呼ばれています。
アヘンの歴史は極めて古く、紀元前3000年以上前にメソポタミアではケシの栽培が行われており、古代エジプトでは紀元前1500年前に、すでにアヘンを鎮痛薬として使用していたという記録が残っています。このようにモルヒネの鎮痛作用や麻薬作用は古くから知られていたのですが、脳内にモルヒネと結合する受容体が存在することが明らかになった時は衝撃的でした。そのモルヒネ受容体(オピオイド受容体)に作用する体内成分がもともと存在し、強い痛みや苦痛やストレスを和らげる体の抵抗力や治癒力となっていたのです。
【内因性オピオイドはがんに対する抵抗力を高める】
生体内のオピオイドは作用する受容体の違いによってエンドルフィン類(μ受容体)、エンケファリン類(δ受容体)、ダイノルフィン類(κ受容体)の3つに分類されます。エンドルフィン(endorphin)は「体内で分泌されるモルヒネ」という意味で、アルファ、ベータ及びガンマの各エンドルフィンがあります。
ベータ・エンドルフィンは31個のアミノ酸からなるペプチドで、強い鎮痛作用があり、抗ストレス作用や忍耐力の増大や、身体的や精神的な苦痛を和らげる効果があります。ベータ・エンドルフィンは、免疫にも非常に大きく関係しています。
体内に侵入した異物や体内に発生したがん細胞を攻撃するナチュラルキラー細胞やリンパ球にはベータ・-エンドルフィンに対するレセプター(受容体)が存在し、このレセプターにベータ・エンドルフィンが結合することによりこれらの免疫細胞が活性化します。
このように、ベータ・エンドルフィンは、強力な鎮痛作用の他に、抗ストレス作用、忍耐力増強、免疫増強などの効果があり、がんの治療にも役立つことが理解できます。
エンケファリン (enkephalin) は、5つのアミノ酸からなるペプチドで、C末端のアミノ酸がメチオニンのものと、ロイシンのものと2種類が存在します。すなわち、メチオニン-エンケファリン (Met-enkephalin) はTyr-Gly-Gly-Phe-Met 、ロイシン-エンケファリン (Leu-enkephalin) はTyr-Gly-Gly-Phe-Leuの5つのアミノ酸がつながった構造です。
このうち、メチオニン-エンケフェリンは別名「Opioid growth factor(オピオイド増殖因子)」とも呼ばれ、がん細胞の増殖を抑制する作用が報告されています。このオピオイド増殖因子の受容体が膵臓がんや肝臓がん、卵巣がん、頭頸部扁平上皮がんなど多くのがん細胞に発現しており、オピオイド増殖因子(=メチオニン-エンケフェリン)が結合すると、細胞の増殖がストップすることが報告されています。
膵臓がん細胞を移植した動物実験においてメチオニン-エンケフェリンを投与すると、がんの縮小や延命効果が得られることが報告され、進行した膵臓がん患者を対象にした臨床試験でも腫瘍縮小効果が報告されています。
【内因性オピオイドの産生を高める低用量ナルトレキソン療法】
ベータ・エンドルフィンやメチオニン・エンケファリンのような内因性オピオイドの産生量を高めれば、体の治癒力や抵抗力を高めることができます。さらに、がん細胞の増殖を抑える効果も得られます。
ベータ・エンドルフィンは気持ちがいい、楽しいと感じたときに分泌され、免疫力を強化し、自己治癒力を高める作用があります。
瞑想や気功・太極拳をするとα波が出てリラクゼーションになるといわれますが、このときにもベータ・エンドルフィンの産生が高まることがリラクゼーション効果と関係することが報告されています。がん治療におけるイメージ療法や気功の有用性が報告されていますが、その作用機序としてベータ・エンドルフィンの関与が指摘されています。
鍼灸が効くメカニズムの一つに、鍼灸の刺激によって体内のベータ・エンドルフィンの分泌が高まることが報告されています。漢方薬に使用される生薬の研究でも、ベータ・エンドルフィンの分泌との関連を指摘した報告があります。体力増強や抗ストレス作用などのアダプトゲン効果の作用機序の一つに、ベータ・エンドルフィンの関与を指摘した意見もあります。
偽の薬であっても、薬を飲んだという暗示によって治癒効果が現れる現象をプラセボ効果といいます。プラセボ効果は、薬に対する期待感や、治療を受ける安心感、医師に対する信頼感などによって高くなりますが、プラセボ効果が最も良く現れるのが痛みに対する効果だと言われています。この痛みに対するプラセボ効果も、期待感や安心感によって内因性オピオイドの産生が増えるためという意見もあります。
もともと、内因性オピオイド(脳内麻薬)は強い痛みや苦痛やストレスを和らげるための体の治癒力の一つです。
さらに、最近注目されているのが、低用量ナルトレキソン療法という治療法です。
ナルトレキソンはオピオイドとオピオイド受容体の結合を阻害する薬で、麻薬やアルコールなどの依存症の治療に使用されています。(アルコール中毒に対しては、アルコール依存症の原因の一つとなる飲酒の報酬効果をブロックし、飲酒に伴う高揚感などを失わせることで、断酒を続けやすくする効果があるとされています。しかし、ある臨床試験では有効性が認められなかったという報告もあります)
モルヒネ中毒など薬物依存症の治療に使う量の10分の1くらいの低用量のナルトレキソンを投与すると免疫力やがんに対する抵抗力を高める効果が報告されています。
薬物依存症の治療に使用する量(1日50mg)では、脳内におけるオピオイドとオピオイド受容体の結合を完全に1日中阻害し、薬物依存を治す効果があります。
しかし、この量の10分の1程度(3~5mg)の低用量を投与すると、その阻害作用は数時間しか続きません。このように、内因性オピオイドとオピオイド受容体が1日数時間阻害される状況が続くと、体はその阻害されている状況を代償するために、より多くのベータ・エンドルフィンやメチオニン・エンケファリンを産生するようになり、さらに細胞のオピオイド受容体も増加すると言われています。たとえば、睡眠前に低用量(3~4.5mg)のナルトレキソンを服用すると、朝には体内でベータ・エンドルフィンやメチオニン・エンケファリンの産生が著明に高まると報告されてます。体内でのベータ・エンドルフィンの産生増加は、免疫力増強や抗ストレス作用や耐久力増強や鎮痛作用の効果を引き起こすことが想定されています。
さらにメチオニン・エンケファリンは、がん細胞の増殖を抑える効果があります。
マウスを使った実験では、低用量ナルトレキソン療法が、DNA合成と血管新生を抑制し卵巣がん細胞の増殖速度を低下させることや、抗がん剤のシスプラチンの副作用(毒性)を軽減し、抗腫瘍効果を増強することが報告されています。
低用量ナルトレキソンががんに効く機序としては、前述のような、内因性オピオイドの産生を高める効果が主に提唱されていますが、最近の研究では、断続的なオピオイド受容体の阻害ががん細胞の直接的な増殖抑制効果を示すことが報告されています。すなわち、培養がん細胞を使った実験で、継続的にナルトレキソンを作用させるとがん細胞の増殖が促進され、断続的にナルトレキソンを作用させると、がん細胞内でのオピオイド増殖因子(=メチオニン・エンケファリン)とオピオイド増殖因子受容体の産生が増え、がん細胞の増殖が抑制されることが報告されています。
細胞はその細胞自身あるいは近接する細胞の増殖を制御するような伝達物質や増殖因子を分泌しています。これをオートクリン(自己分泌:分泌された物質が分泌した細胞自身に作用する)やパラクリン(傍分泌:分泌された物質が、分泌した細胞の近隣の細胞に作用する)と言います。オピオイド増殖因子はオートクリンあるいはパラクリンの機序で細胞の増殖を抑制する因子と考えられています。そして、低用量ナルトレキソン療法によって、オピオイド増殖因子とその受容体の反応が断続的に阻害されると、オピオイド増殖因子とその受容体がともに増え、その結果、細胞レベルでがん細胞の増殖が抑制される機序が報告されています。
すなわち、低用量ナルトレキソン療法は、全身的に内因性オピオイドを増やす作用の他に、がん細胞レベルでのオピオイド増殖因子とその受容体を増やすことによって、がん細胞の増殖を抑えると考えられています。
低用量ナルトレキソン療法は、体内におけるオピオイドとその受容体の作用を利用した副作用の少ない(ほとんど無い)がん治療であり、低用量ナルトレキソン療法にイメージ療法や瞑想、気功、鍼灸、漢方薬、適度な運動、入浴など内因性オピオイドの産生を高める方法を併用することはがん治療に役立つと言えます。
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