359)胃酸分泌阻害剤(プロトンポンプ阻害剤)は抗がん剤や免疫療法の効き目を高める

図:がん細胞は解糖系によるグルコース代謝が亢進して乳酸が蓄積する。乳酸がイオン化して水素イオン(プロトン、H+)の量が増えるので細胞内のpHは低下する(酸性になる)。細胞内の酸性化は細胞にとって障害になるので、細胞はV型ATPアーゼ(vacuolar ATPase:液胞型ATPアーゼ)やMonocarboxylate transporter(MCT)などの仕組みを使って、細胞内の乳酸や水素イオン(プロトン)を細胞外に排出する。その結果がん細胞の周囲はpHが低下してがん組織は酸性化している。組織が酸性化すると、細胞傷害性T細胞やナチュラルキラー細胞のようながん細胞を攻撃する免疫細胞の働きが阻害される。塩基性の抗がん剤は酸性の組織に到達しにくくなり抗がん剤が効かなくなる。さらに、周囲の正常細胞がダメージを受け、タンパク分解酵素が活性化してがん細胞の浸潤や転移が促進される。腫瘍を養う血管の新生も誘導される。胃酸分泌阻害剤として使われているプロトンポンプ阻害剤はV-ATPaseを阻害することによって、がん組織の酸性化を抑制し、がん細胞の浸潤や転移を抑制し、抗がん剤や免疫療法が効きやすくする効果が報告されている。さらに、がん細胞内の酸性化が亢進すると、がん細胞を死滅できる可能性も報告されている。

359)胃酸分泌阻害剤(プロトンポンプ阻害剤)は抗がん剤や免疫療法の効き目を高める

【転移した固形がんでも根治する可能性はある】
「がんが転移して全身に広がると、その後の治療は延命治療になる」というのががん専門医の常識です。全身に広がったがんの増殖をある程度抑えることはできても、完全に消滅させる治療は現時点では存在しません。
「転移した固形がんは基本的には抗がん剤では消滅できない」したがって、「抗がん剤治療はあくまでも延命治療であって根治は困難」ということで、「効く抗がん剤が無くなるか、抗がん剤治療を受ける体力が無くなる」まで、延々と抗がん剤治療が行われ、「もう効かない」「抗がん剤を受ける体力が無い」という段階になって、緩和ケアに移行します。
これが、抗がん剤治療の現実です。進行がん(再発がんや転移がん)における抗がん剤治療は、がんを治す治療法ではなく、延命を目指す治療法でしかありません。
しかし、これは抗がん剤投与だけを行った場合であって、「がん細胞の抗がん剤感受性を高める」「がん幹細胞を死滅させる」ような工夫次第では、その常識を覆えすことができます。
西洋医学のがん治療は画一的で工夫や柔軟性(フレキシビリティ)に乏しく、あきらめが早いように思います。
がんが転移したり再発した時点で、もう延命治療だと決めつけて、ガイドラインやプロトコールに則った抗がん剤治療を実施し、効かなくなれば、それで終わりです。
治癒する可能性が極めて低い状況であるため、患者さんに「不確かな(確率の低い)期待感を持たせることは間違い」という理由で、進行がんの病状説明(告知)の場合に、多くの医師は悲観的な内容(多くの場合、それが真実ではありますが)を話します。
しかし、「根治はできない。延命治療しかできない」と決めつけた時点で「がんとの戦い」に負けたことを認めてしまうことになります。
たとえ可能性が低くても、根治する(させる)という意気込みがなければ、がんとの戦いには永遠に勝てないように思います。
がんとの戦いに勝つためには、がん細胞の弱点を知り、その弱点を攻める治療を併用するべきですが、そのような工夫が現在のがん治療には乏しい点が、がんに勝てない理由の一つのように思います。
がん細胞の弱点を攻めれば、抗がん剤治療も免疫療法も劇的に効き目を発揮し、根治する可能性も出てきます。
抗がん剤治療だけでは根治する可能性は限りなくゼロに近くても、工夫次第でその可能性を高めることは可能だと思います。

【がん治療においては、がん細胞の弱点を知ることが大切】
がん細胞の特徴を熟知すれば、抗がん剤治療や免疫治療などのがん治療を受けるときに、その効果を高める具体的な方法やそれらの治療を併用することの大切さが理解できます。
しかし、医学や生物学関連の研究者や学生でなければ、一般の人ががんの生物学を理解することは困難(無理)かもしれません。
私の日常の診療では、どのようにすれば抗がん剤や免疫治療の効き目を高めることができるかという理論をできるだけ平易に1時間くらいかけて説明していますが、多くの人はその内容の1割も理解できていないようです。
そこで、このブログで詳しく解説するようにしているのですが、内容が難解であるという指摘をよく受けます。
しかし、この程度のことを理解しなければ、がんに克つことはできません。ただ漠然と「免疫力を高めればがんが治る」という理解ではほとんど効果は期待できません。
それは、がん細胞は免疫細胞からの攻撃を防ぐ手段を幾つも使っているからです。
このうち、がん組織の酸性化が免疫細胞からの攻撃を防ぐ手段になっていること、がん組織の酸性化を軽減すると免疫療法や抗がん剤治療の効き目が高まる理由を解説します。

【がん組織の周囲は酸性になっている】
がん細胞の代謝の特徴は、酸素が十分にあってもミトコンドリアでの酸化的リン酸化によるエネルギー(ATP)産生が抑制され、解糖系が亢進していることです。これをワールブルグ効果と言い、今まで何回も解説してきました。(175話302話参照)
解糖系でできたピルビン酸乳酸に変換されます。
グルコースからピルビン酸まで分解したあと(この過程を解糖という)、酸素があればTCA回路(クエン酸回路)と電子伝達系による酸化的リン酸化によってATPを生成しますが、酸素が無い場合はピルビン酸からさらに乳酸に分解します。(がん細胞の場合は、酸素が十分にあっても、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を抑制しているので、乳酸の方に行きます
なぜ、ピルビン酸で止まらないで乳酸に変換されるかというと、その理由は、解糖系で還元されたNADH(還元型ニコチンアミドジヌクレオチド)を酸化型のNAD+に戻すためです。NAD+が枯渇すると解糖系が進行しなくなります。(下図)

 
図:解糖系ではグルコースからピルビン酸、ATP、NADH + H+が作られる。乳酸発酵では、NADH + H+を還元剤として用いてピルビン酸を還元して乳酸にする。この乳酸発酵によってNAD+を再生することによって解糖系での代謝が続けられる。
 
解糖系に依存したエネルギー産生は非効率的で、増殖には不利のはずですが、敢えてその方法をがん細胞が選択しているのには訳があります。それは、核酸や脂肪酸やアミノ酸など細胞の分裂・増殖に必要な物質(細胞構成成分)を合成する材料として多量のグルコース(ブドウ糖)が必要になっているからです。
細胞は、解糖系やペントース・リン酸経路と言った細胞内代謝系によってブドウ糖から核酸や脂質やアミノ酸を作ることができます。つまり、エネルギー産生と物質合成を増やすという2つの目的を両立させるためにブドウ糖の取り込みが増え、嫌気性解糖系が亢進しているのです。(355話参照)
また、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が低下するとがん細胞が死ににくくなる(アポトーシスに抵抗性になる)ことが知られています。
細胞分裂しない神経や筋肉細胞を除いて、正常の細胞は古くなったり傷ついたりするとアポトーシスというメカニズムで死にます。このアポトーシスを実行するときに、ミトコンドリアの電子伝達系や酸化的リン酸化に関与する物質(チトクロームCなど)が重要な役割を果たしています。
つまり、がん細胞ではアポトーシスを起こりにくくするために、あえてミトコンドリアにおける酸化的リン酸化を抑え、必要なエネルギーを細胞質における解糖系に依存しているという様に解釈できると言うことです。
実際に、がん細胞のミトコンドリアにおける酸化的リン酸化を薬で活性化させる(ジクロロ酢酸ナトリウムなど)とがん細胞にアポトーシス(細胞死)を引き起こすことができることが報告されています。
さらに、解糖系でのブドウ糖の代謝によって乳酸が増えると、がん組織が酸性になり、がん細胞の浸潤や転移に好都合になります。
組織が酸性化すると正常な細胞が弱り、結合組織を分解する酵素の活性が高まるため、がん細胞が周囲に広がりやすくなるのです。
血管新生が誘導されるという報告もあります。
さらに乳酸には、がん細胞を攻撃する細胞傷害性T細胞の増殖やサイトカインの産生を抑制する作用があり、がんに対する免疫応答を低下させる作用もあります。
抗がん剤の多くは塩基性なので、「酸性の組織には薬が到達しにくい、活性が低下する」ということも指摘されています。
また、解糖系でエネルギーを産生することは、血管が乏しい酸素の少ない環境でも増殖が可能になります。
つまり、がん細胞の生存に有利に働くように代謝が変化した結果がワールブルグ効果と言えます。
 
 
図:がん細胞ではグルコース(ブドウ糖)の取り込みと嫌気性解糖系が亢進し、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が抑制されている。この現象(ワールブルグ効果)は様々な点でがん細胞の増殖や生存に有利な効果を与えている。
 
このワールブルグ効果の結果、乳酸の産生が増え、乳酸がイオン化して水素イオン(プロトン)の細胞内濃度が高まり、細胞内のpHが低下します(酸性になる)。
細胞内のpHが低下して酸性になると細胞内のタンパク質の活性や働きは阻害され、pH低下が顕著になれば細胞は死滅します。そこで、細胞は乳酸や水素イオン(プロトン)を細胞外に排出しなければなりません。
乳酸はMonocarboxylate transporterというトランスポーターで細胞外に排出され、水素イオンはV型ATPアーゼ(vacuolar ATPase:液胞型ATPアーゼ)というタンパク質によって細胞外に排出されます。
がん組織の微小環境は血液やリンパ液の循環が悪いので、水素イオンはがん組織に蓄積します。その結果、がん細胞の周囲の組織は水素イオンの濃度が高くなってpHが低下します。
正常の組織のpHは7.2~7.5程度ですが、がん組織の微小環境のpHは6.5~6.9とより酸性になっていると言われています。
そして、このがん組織の酸性化した微小環境は、前述のようにがんの生存にとって様々なメリットを与えます。
組織が酸性化すると正常な細胞が弱り、結合組織を分解する酵素の活性が高まるため、がん細胞が周囲に広がりやすくなり、さらに血管新生が誘導されるので、がん細胞の浸潤や転移が促進されます。組織が酸性になるとがん細胞を攻撃しにきた免疫細胞の働きが弱ります。さらに乳酸には、がん細胞を攻撃する細胞傷害性T細胞の増殖やサイトカインの産生を抑制する作用があり、がんに対する免疫応答を低下させる作用もあります。抗がん剤の多くは塩基性なので、「酸性の組織には薬が到達しにくい、活性が低下する」ということも指摘されています。
したがって、がん組織の酸性化を改善できれば、抗がん剤治療や免疫療法の効き目を高めることができることになります。さらに、水素イオンの排出メカニズムを阻害してがん細胞内のpHを低下させれば、がん細胞を死滅させることもできます
がん細胞の水素イオンの排出に大きな役割を果たしているのがV型ATPアーゼ(vacuolar ATPase:液胞型ATPアーゼ)です。
がん細胞ではこのV型ATPアーゼの発現が亢進しており、がん組織の酸性化に関与しています。V型ATPアーゼの発現量が多いほど、がん治療に抵抗し、再発しやすく生存期間が短いという報告もあります。
V型ATPアーゼの阻害薬ががんの治療薬として開発が行われていますが、胃酸分泌阻害剤として使用されているプロトンポンプ阻害剤がV型ATPアーゼを阻害する作用があることが知られています。
実際に、動物の移植腫瘍を使った実験などで、プロトンポンプ阻害剤が腫瘍組織の酸性化を改善して抗がん剤や免疫療法の効果を高める作用が報告されています。
 
【がん組織の酸性化に関与するV型ATPアーゼ(V-ATPase)】
細胞膜を隔てた物質の輸送には、濃度の高い方から低い方に向かって行われる受動拡散と、濃度勾配に逆らって物質の輸送を行う能動輸送の2種類があります。
受動拡散の場合の膜を通るルートの膜貫通タンパク質はチャネル(channel)と言い、能動輸送に関与する膜貫通タンパク質はポンプ(pomp)と言います。
濃度勾配に逆らって物質を輸送するためにはATPによるエネルギーが必要です。
ATPのエネルギーを使って、水素イオンを能動的に輸送するトランスポーターとしてがん細胞における水素イオンの細胞外への排出に関与しているのがV型ATPアーゼ(vacuolar ATPase, V-ATPase)です。つまり、ATP依存性のプロトンポンプです。
V-ATPase は、細胞のゴルジ体、液胞、リソソーム、細胞膜等の膜系に存在し、10数個の異なるサブユニットから構成される複合体です。ATP の加水分解反応と共役した回転触媒機構により水素イオン(プロトン)を輸送し、空胞内部を酸性化します。
例えばリソソームは細胞内に蓄積された不要物を分解したり、細胞外から取り込んだ物質を分解する小胞で、リソソームの内部は酸性条件下で活性化される加水分解酵素が含まれています。このリソソームの空胞内部に水素イオンを輸送して内部を酸性にするのがV-ATPaseです。
細胞内では、外部の物質を取り込んで消化するエンドサイトーシスや、細胞内の古くなった小器官などを消化するオートファジーなど、細胞内での物質の分解は膜で囲まれた小胞内で行われ、この内部の加水分解酵素の活性化に必要なpHに下げる役割がV-ATPaseです。
そして、がん細胞では、細胞内で大量に生成した水素イオンを細胞の外に排出する役割も担っています。
 
図:V-ATPaseの構造。
V-ATPase(vacuolar ATPase)は液胞型ATPアーゼ, V型ATPアーゼ, 液胞型プロトンポンプなどと訳されている。ATPアーゼとはATP(アデノシン三リン酸)の末端高エネルギーリン酸結合を加水分解する酵素群の総称で、ATPを使って生物活動に行うタンパク質の多くがこの活性を持っている。
V型ATPアーゼは液胞のプロトン(水素イオン)の能動輸送を行うATPアーゼ活性をもったタンパク質で、ATPのエネルギーを使ってプロトン(水素イオン)を能動的に細胞膜を通して輸送する。V-ATPase は、10数個の異なるサブユニットから構成される分子量約 800 KDaの分子複合体で、ATP の加水分解反応と共役した回転触媒機構により水素イオン(プロトン)を輸送し、空胞内部を酸性化する。
 
【V-ATPaseを阻害するとがん細胞は大人しくなる】
Vacuolar ATPaseはATP依存性のプロトンポンプで、プロトン(H+:水素イオン)を細胞膜を通して外に排出します。
正常細胞では細胞内pHの調節に重要な役割を果たしています。
がん細胞では、さらに重要な役割を役割を担っています。
それはがん細胞では、解糖系の亢進によって乳酸と水素イオンの産生が増えて、細胞内が酸性になりやすい状況になり、細胞内の酸性化を防がないと細胞死を起こすからです。
したがって、がん細胞ではこのV-ATPaseの発現量が顕著に増えています。V-ATPaseの発現量増加ががん細胞の浸潤や転移や抗がん剤抵抗性と関連していることが明らかになっています
がん細胞の周囲が酸性になると、正常細胞(特に免疫細胞)がダメージを受けて働きが抑制され、結合組織を分解する酵素が活性化されて、転移や浸潤や血管新生が促進されます。
さらに、がん細胞の周囲が酸性だと、多くの抗がん剤は塩基性であるため、がん細胞内に集まりにくくなります。
そのため、がん細胞におけるプロトンポンプの働きを阻害すると、がん細胞の浸潤や転移や抗がん剤抵抗性を抑制できると考えられています
V-ATPaseそのものの阻害を目的にした抗がん剤の開発も行われていますが、まだ臨床で使えるものはありません。
しかし、胃潰瘍の治療に使用されるプロトンポンプ阻害剤が、このV type ATPaseを阻害することが報告されています。
プロトンポンプ阻害剤(Proton Pomp Inhibitor: PPI)は胃の壁細胞のプロトンポンプに作用し、胃酸の分泌を抑制する薬です。
医薬品としては、オメプラゾール(オメプラール・オメプラゾン)、ランソプラゾール(タケプロン)、ラベプラゾールナトリウム(パリエット)、エソメプラゾール(ネキシウム)など多数の薬が販売されています。
まだ動物実験のレベルですが、これらのプロトンポンプ阻害剤ががん細胞の抗がん剤感受性を高める効果、がん細胞に対する免疫細胞の働きを高める効果、がん細胞内の水素イオン濃度を高めてがん細胞を死滅させる効果などが報告されています
また、線維肉腫細胞(HT1080)を移植したヌードマウスの実験モデルで、ジクロロ酢酸(50mg/kg)とオメプラゾール(2mg/kg)は相乗的に増殖を抑制するという報告があります。Oncol Lett. 3(3): 726–728. 2012
さらに、プロトンポンプ阻害剤は抗がん剤治療による胃粘膜障害による副作用や消化器症状を緩和するという臨床試験の結果も報告されています
したがって、抗がん剤治療中や免疫療法を受けているときに、がん組織の酸性化を軽減し、胃腸症状を緩和する目的でプロトンポンプ阻害剤を併用する価値はありそうです。

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