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今日のうた

思いつくままに書いています

二十歳の原点 (1)

2019-08-20 05:40:19 | ⑤エッセーと物語
高野悦子著『二十歳の原点』を読む。
高野さんと私はほぼ同じ世代だ。
この本がコミック化されたという記事を読み、これまで小説を読んでいなかったので
本屋に買いに行った。
まさかないだろうと思ってはいたが、文庫コーナーにありました。
昭和54年発行、平成29年版は54刷になっている。

高野さんは1967年に立命館大文学部史学科に入学し、
大学紛争がエスカレートする中で、自ら行動すべくバリケードに入る。
そして1969年の6月に鉄道自殺している。
私が大学に入学したのは1969年なので、大学紛争が一番激しい時を知らない。
それでも立看やアジビラ、マイクからのまくし立てるようながなり声は日常だった。
内ゲバからキャンパスで人が殺されたり、キャンパス内で投石騒ぎがあったり、
学部の入り口にバリケードが築かれて、他のセクトの人間が締め出されたりして、
今では考えられないようなことが起きていた。
私は常に部外者だったので詳しいことは知らないが、
少なくとも当時の学生は、自らが社会の盾になるといった気構えがあったようだ。

高野さんは、「独りであること」、「未熟であること」、
これが私の二十歳の原点であると書いている。
どうやって生きたらよいのか分からずに悶々としていた当時を思い出すと、
この言葉が一番共感するところだ。
「私はいつもまじめであり真剣である。そして純粋さも持っている」と
ご自分を書いているが、繊細な感覚や周りに流されまいとする一途(いちず)さ、
そしてたくさんの本を読み、ジャズを愛し、煙草を愛した高野さんが
追い詰められていった時間は、あまりにも短い。
心に残った箇所を引用させて頂きます。

①私は弱い
 自分が何をやりたいのかさえわからない
 それでも朗らかに人と話し笑う
 しかし ふっと気づく
 なぜ笑い 話をするのだと不安になる
 その時 目に見えぬ世界が知らぬまに
 私の体を動かしているのに気づく
 それは地主の世界なのか
 サラリーマンの世界なのか
 マルクスの世界なのか
 資本の世界なのか 何もわからない

 自分の世界が私の知らぬまに存在している
 なんだかわからぬものによって
 私は動かされている
 激しい感情に身をまかせもせず
 生きる情熱も失せているまま

 私は煙草(たばこ)をすう にがい煙草をすう
 私はこの部屋の中で ここは私の世界だ
 しかし一たびここを出ると 私は弱くなる
 クラス討論の場で煙草をすわせない何ものかがある
 煙草を買うのを恥ずかしめる何ものかが存在する
 私は弱い

②自分の世界を作りあげようとすれば、すぐに政府という怪物にぶち当る。
 それは笑顔のうちに非情さと残酷さをもち、いつのまにかしのびよる煙のような
 怪物だ。ブルジョア新聞を読んで、あせりを感じるようでは、
 そんな怪物に太刀打ちできない。
 新聞、雑誌、本をよんで考えよう。人と話をしよう。これぐらいで自暴自棄になる
 なんて甘すぎる。政府や独占資本は巨大な怪物であることを銘記せよ。

 父と母の面前で煙草を吸って、両親と対決することができるだろうか。
 かみそりで指先を切るよりも、自分のほおを思いきり叩(たた)くことよりも、
 それは幾十倍の勇気がいることだろう。

③高石友也の「坊や大きくならないで」をステレオできく。
 ベトナムであの歌をうたっている数多くの女達がいるということを、
 一体どう考えたらよいのか。

  「マイケルズ/坊や大きくならないで(1969) YOUTUBE」からお借りします。
                 ↓
https://www.youtube.com/watch?v=vh0vtSmhQEw&list=PLbSHtUHzaL6lMWJNqX6aPnsnCPomN23aq&index=79&t=0s


④人間は醜い。ずっと前、横田君がいっていた。"I have my mother very much"
 翌晩、私は思った。"My mother is ugly, my father is ugry"
 彼らは動物的な肉体関係をもっているのに、そんなものとは遠く離れた世界の中に
 生きているふりをしている。その父と母から、性交によって生まれてきた私。
 キリストのいう原罪。そして私自身も醜い。鈴木との肉体関係をのぞむし、
 くさいくそもすれば、小便もする。メンスのときは血だらけになる。 ②につづく







 


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二十歳の原点 (2)

2019-08-20 05:40:00 | ⑤エッセーと物語
⑤もう五月である。じっとりと汗ばむ陽の光の中に、散りぎみの八重桜が重たく花を
 咲かせ、くまんばちが密(みつ)をすって花弁をのぞき回り、すっかり若草色になった
 地面には、黄色の可愛(かわい)いタンポポが青空の中で太陽光線をうけている。
 時々鳥の声がする。しかし、それが何だというのだ。それぞれ醜さをもって
 勝ち誇っている存在なのだ。

⑥暗闇(くらやみ)でもなく、明るい光線にみちあふれているのでもなく、ぼんやりとした
 何もない空間の私の世界。国家権力、そんなものは存在しているのかさえ定かでない。
 私自身の存在が本当に確かなものなのかも疑わしくなる。他者を通じてしか自己を
 知ることができぬ。他者の中でしか存在できぬ、他者との関係においてしか
 自己は存在せぬ。自己とは?自己とは?自己とは?・・・・・・

⑦人と話しても、どうということもありません。くだらないことを話しているよりも、
 黙っている方がよいのです。言葉が一体何なのでしょうか。
 言葉に束縛されるのは嫌いです。不誠実なことばかりしゃべるのもいやです。
 ただ黙って行動するだけです。
 どうしてみんな生きているのか不思議です。そんなにみんなは強いのでしょうか。
 私が弱いだけなのでしょうか。でも自殺することは結局負けなのです。死ねば何も
 なくなるのです。死んだあとで、煙草(たばこ)を一服喫ってみたいといったところで、
 それは不可能なことなのです。

⑧現在の資本が労働力を欲しているが故(ゆえ)に、私は、そして私たちは学力という名の
 選別機にのせられ、なんとなく大学に入り、商品となってゆく。すべては資本の論理に
 よって動かされ、資本を強大にしているだけである。

⑨はっきりしていることは、己れが存在し、矛盾と混沌に満ちておることだ。それは、
 己れがまた現代に生きる人間、もの、動物、すべてが商品となって間化、物化、
 機械化され、資本という怪物により支配されているという矛盾であり混沌である。
 考えることも感じることも、行動することも、支配されている現代の人間。
 いかにして現代社会から人間をとり戻すのか。いかにして己れの人間としての存在を、
 自らのものとして発展させるのか。方向は支配者との闘い、独占との闘いの方向に 
 しかないことは明らかなのだが。私の存在の軸は何なのか。

⑩未熟である己れを他者の前に出すことを恐れてはならない。
 マルクシズムのマの字も知らないからといって、帝国主義の経済構造を知らない
 からといって、現在の支配階級に対する闘いができないという理由にはならない。
 私の闘争は人間であること、人間をとりもどすというたたかいである。自由をかちとる
 という闘争なのである。人間を機械の部品にしている資本の論理に
 私はたたかいをいどむ。
 その一方で私は私のブルジョア性を否定して行かなければならない。
 その長い過程で真の己れを形成し発展させていく。それは苦しいたたかいである。が、
 それをやめれば私は機械になる。己れが己れ自身となるために、そして未熟であるが
 故(ゆえ)に、私はその全存在をさらけ出さなければならない。  ③につづく







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二十歳の原点 (3)

2019-08-20 05:39:07 | ⑤エッセーと物語
⑪なぐられたら殴りかえすほどの自己愛をもつこと。

⑫「ティファニー」にて
 一切の人間はもういらない
 人間関係はいらない
 この言葉は 私のものだ
 すべてのやつを忘却せよ
 どんな人間にも 私の深部に立入らせてはならない
 うすく表面だけの 付きあいをせよ

 一本の煙草(たばこ)と このコーヒーの熱い湯気だけが 
 今の唯一(ゆいいつ)の私の友
 人間を信じてはならぬ
 己れ自身を唯一の信じるものとせよ
 人間に対しは 沈黙あるのみ

⑬一・00PM
 生きている 生きている 生きている
 バリケードという腹の中で 友と語るという清涼飲料水をのみ
 デモとアジ アジビラ 路上に散乱するアジビラの中で
 風に吹きとび 舞っているアジビラの中で
 独り 冷たいアスファルトにすわり
 煙草の煙をながめ
 生きている イキテイル

 機動隊になぐられ 黒い血が衣服を染めよごしても
 それは非現実なのか!
 おまえは それを非現実というのか!
 しかし何といわれようと 私は人を信じてはいないのだ!

 警察官総数八万四千人
 十万の人をもってすれば警官は打ち破れる
 自衛隊員の総数二十五万人
 三十万人の人をもってすれば自衛隊はうち破れる
 しかし その十万人の人 三十万人の人とは一体何なのだ

⑭旅に出よう
 テントとシュラフの入ったザックをしょい
 ポケットには一箱の煙草(たばこ)をもち
 旅に出よう

 出発の日は雨がよい
 霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
 萌(も)え出でた若芽がしっとりとぬれながら

 そして富士山の山にあるという
 原始林の中にゆこう
 ゆっくりとあせることなく

 大きな杉の古木にきたら
 一層暗いその根本に腰をおろして休もう
 そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
 暗い古樹の下で一本の煙草を喫(す)おう

 近代社会の臭(にお)いのする その煙を
 古木よ おまえは何を感じるか

 原始林の中にあるという湖をさがそう
 そしてその岸辺にたたずんで
 一本の煙草を喫おう
 煙をすべて吐き出して
 ザックのかたわらで静かに休もう
 原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
 湖に小舟をうかべよう

 衣服を脱ぎすて
 すべらかな肌をやみにつつみ
 左手に笛をもって
 湖の水面を暗やみに漂いながら
 笛をふこう

 小舟の幽(かす)かなるうつろいのさざめきの中
 中天より涼風を肌に流させながら
 静かに眠ろう

 そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう       (引用ここまで)

※この美しい詩で終わっています。







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