算太郎日記

日々の日記を綴ります

二人が借りた本

2021年09月27日 | 日記
最近、図書館からある本を借りた。
220頁ほどの文庫本である。

新聞で書評を読んで、興味を持ち借りたのだ。

先日その本が見当たらず、家の中を探していると、なんと同じ本が2冊あるではないか。
妻に聞いてみると、妻も同じ書評を読み、図書館から借りたとのこと。
気が合うというか、家庭内でのコミュニケーションが無いというか・・・・。

二人が借りた本は、「洟をたらした神」(吉野せい著)という本。

著者の吉野せい氏は、阿武隈山麓で農業に従事しながら、70歳を過ぎてから筆を執ったという。その文章は、一文一文が味わい深く、氏の強く繊細な感性を見事に反映させているように感じる。まだ読み始めたばかりで、これから先、読み進めるのが楽しみだ。



母の人生について

2021年09月23日 | 日記
友の母のお参りに行った。

久しぶりに友人とも直接会って話すことができた。
思ったより元気にしていて安堵した。

聞けば、母上が入院されていた2ヶ月で心の準備をしていたとのこと。
気持ちの整理をする時間があってよかったと言っていた。
少々無理しているようにも感じたが、そうやって自分を納得させようとしている友の言葉に頷くしかなかった。

「挨拶文」と書かれた白い封筒を渡された。

通夜・葬儀の時に配られたものだった。
折りたたまれた一枚の用紙には、「母の人生について」と題した文章が記されていた。
読み進めていくと胸が熱くなり、涙をこらえるのがやっとだった。
そこに書かれていた友の母の人生は、美輪明宏氏の「ヨイトマケの唄」の母の人生そのものだった。

友の母の人生に思いを馳せると同時に、施設にいる「我が母の人生について」も思った。
「同じように、苦労多き人生だったろうな。」と。

友の母との別れ

2021年09月12日 | 日記
幼き頃からの友人から電話があった。

早朝からの電話に、急ぎの用かなと思いながら電話に出た。
電話に出た友の声は、どこかうつろな感じがした。

私であることを確かめると、「母が亡くなった。」と静かに言った。
予想だにしなかった言葉に、私は声を詰まらせた。

友は、通夜・葬儀の日程を手短に伝えた。
何か言葉をかけようと思うが、思いが言葉にならずもどかしかった。
結局、「分かった。落ち着いたら話そう。」というのがやっとだった。

電話を切った後に、友の母とのことをあれこれ思い出していた。

優しい母上だった。

中学一年の春だったか、初めて友の家に遊びに行ったときが初対面だった。
優しい笑顔で迎えてもらったことを今でも鮮明に覚えている。
それから、よく遊びに行った。
居心地の良さに、ついつい長居してしまうことはしょっちゅうだった。
大人になり、酔って泊まったりすると、翌朝は必ず朝食を出してもらった。ありがたかった。
ここ数年は会う機会もなかった。

今までのお礼を会ってきちんと言いたかった。

お世話になりました。ありがとうございました。安らかにお眠りください。合掌


父からの電話

2021年09月02日 | 日記
入院している父から2回ほど電話があった。

最初に受けたときには、「病院の食事が美味しくない。」等と訴えたものだから、「また、わがままなことを言う。」と思ったが、あまりにか細い声だったので言い返すのをやめた。

そして父は、「早く帰りたい。」と訴えるように言うのだ。
父の訴えに私の気持ちは推されてしまい、「リハビリを頑張ったら早く帰れるから。」と言うのがやっとだった。

2回目の電話は、「病院はエアコンが効いていて寒いから服を持ってきて欲しい。」という電話だった。
私は、電話に出るときに、父がまた早く帰りたいと悲痛な訴えをしてくるのではと思い、電話に出るのを一瞬ためらってしまった。

電話を切る直前に父が言った。「早く病院から出られるように、リハビリを頑張る。」と。

それは一生懸命に自分に言い聞かせている父の声だった。