算太郎日記

日々の日記を綴ります

三年日記(2)

2023年08月31日 | 日記
父の日記のページをめくるのは、少しばかりの後ろめたさを感じたが、それ以上に口数の少なかった父が、どんな思いで日々過ごしていたのかを知りたいという気持ちの方が勝ってしまった。

私の家に同居してからの頁をめくると、母への想いが度々綴られているのが目についた。父が施設に入所している母のことを口にすることは殆どなかった。そんな父を「母のことは気にならないのか。心配ではないのか。」と批判的に見ていたところがあった私は、父の母への思いがこもった文章に触れて、温かい感情に満たされた。そして、「ちゃんと母のことを考えていたんだ。」と安堵した。

母への思いを知り得ただけでも、後ろめたい思いをしながらも父の日記を読んだ甲斐があった。

三年日記

2023年08月30日 | 日記
父が亡くなり8ヶ月が過ぎた。父の遺品は殆どそのままにしてある。そろそろ片付けないとなと思い、本棚に無造作に並んでいる日記を一冊手にとった。見覚えのある日記だった。

父は若い時から、毎日ずっと日記をつけていた。日記は3年日記を使っていた。2020年から2022年の3年日記が最後になった。私が手に取ったのは、その最後の3年日記だった。

それは、2020年の正月に父に頼まれて私が買ったものだった。父が日記を買ってきてくれと頼んだ時、何気なく「いつもの3年日記でいいね。」と私が確認すると、「いつものでいい。」と直ぐに返事が返ってくるものと思っていたら、父はちょっと考え込んでいた。そして、「3年分もいるかなあ。」と呟いたのだ。

ハッとした。その時、父は、後3年間生きることができるのだろうかという思いがよぎったのだと思う。この時の父にとって、3年間は、とてつもなく長く感じられたのだろう。私は、「3年くらいあっという間よ。」と、その時の父には何の説得力もないことを言って、いつもの3年日記を買ってきた覚えがある。結果としては、父はそれからちょうど3年間生きたので、3年日記でよかったのだが。

初盆

2023年08月29日 | 日記
久しぶりの日記である。書く時間が無かった訳ではないのに、明日は書こう、明日は書こうと思っているうちに、今日になってしまった。

先日、庭でひぐらしの鳴き声を耳にした。酷暑は相変わらずであるが、確実に時は流れ季節は移ろっているのを感じる。

今年の夏は、父の初盆だったので、実家と家の往復にかなりの時間を費やした。

仏壇の父は涼やかな表情で、久しぶりに集まった私たちの賑やかな声を聞いていた。もともともの静かな人であった。ただ、慣習に則って人が集まるような場では、自分の役割を律儀に果たそうと努力する人でもあった。必ず父のキチンとした挨拶で会が始まるのが常であった。

私の挨拶をどう思っただろうかとそっと写真の父を見ると、「それでいい。」と言ってくれているようでもあるし、「もっとキチンと挨拶しないか。」と言われているような気もして、落ち着かなかった。