行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

中国の鉄鋼生産の裏側にあるもの・・・『BEHEMOTH』(ベヒモス=怪物)

2016-10-12 17:27:52 | 日記
中国の鉄鋼過剰生産が世界的な政治問題と化しているが、果たしてどれだけの人びとがその背景に思いを致しているであろうか。鉱物採掘から製鉄に至る生産過程で農民がどのような労働環境に置かれているか、都市部に住む中国人でさえまったく知らない。昨晩、学内の映画鑑賞会で趙亮(チャオ・リャン)監督の作品『BEHEMOTH』(中国名『悲兮魔獸』)を観て、そんなことを考えた。



北京の大気汚染は、大半の根源は隣接する河北省にある。同省は、中国での鉄鋼生産量が第一で、工場からの排煙に加え、旧式の大型トラックが猛烈な排ガスをまき散らしている。北京でのスモッグは大ニュースになるが、発信源のことは切り捨てられている。直接の被害者である農民たちが情報の過疎地に追いやられているからだ。都市と農村の格差は経済面よりも、メディア、情報の格差こそ深刻だということは、国慶節前に授業で取り上げた。

同作品は2015年の「第72回ベネチア国際映画祭」の審査員賞部門にも出品され(受賞はならなかったが)、国際映画祭「第16回 東京フィルメックス」では審査員特別賞を受賞した。フランスの制作会社による作品だ。



舞台は内モンゴルである。爆破音とともに大地が裂ける。重機が打倒された大地を削っていく。トラックが鈴なりになって鉱物を運んでいく。近くで羊の群れが草を食んでいる。放牧生活のために必要な草原もいつまで残っているかわからない。農民たちは家財道具を持って次々と移転を迫られる。聖書に登場する怪物ベヒモスがあたかも大地を荒らし回っているいるかのようだ。でも実際は怪物の仕業ではない。人間が動かしているのだ。





鉱山には出稼ぎにきた男女の労働者たちが、煤だらけになってつるはしを振り下ろしている。シャベルで鉄鉱石の山を三輪バイクの荷台に移し、ゴトゴトとエンジンの音を鳴らして運んでいく。家に帰って真っ黒になった顔を拭いても、油が肌にしみ込んでなかなか落ちない。そして、粗末な食事を済ませる。また次の日の労働が待っている。彼らはいずれ肺を侵され、多くは入院する羽目になる。損害を求め政府に掛け合うが、満足のゆく補償がされることはない。

登場する人物は一切、言葉を発しない。黙々と仕事を続ける。カメラは固定したアングルでそれを写し続ける。沈黙は激しい怒り、抵抗を表現しているようにも見えるし、失望、絶望に打ちひしがれた無力を表白しているようにも感じられる。荒れ狂う怪物を前に、答えがないから黙るしかない。独白のセリフは、ここを「地獄の谷の果て」と形容し、過酷な労働と自然破壊の犠牲によって成り立つ都市部の繁栄を、「欲望の天国」「蜃気楼」と呼ぶ。

カメラは最後にゴーストタウン化した内モンゴルの都市、オルドスの町を歩く。鉱物の富によって建った高層ビルが立ち並び、その下でごみ広いの仕事をする農民がいる。町にはだれもいない。だがこのビルを建てるために、多くの鋼鉄が作られた。農民が鉱山で煤だらけになり、油まみれになり、製鉄所では汗びっしょりになりながら、真っ赤に燃えて溶ける鉄を鋳型に流し込む。

なんという矛盾、不条理であろうか。だがだれもどうすることもできない。学生たちの議論は、それに気づいてかどうか、作品の芸術性や映像テクニックに終始する。撮る側にとどまり、農民の側になかなか立ち入っていかない。溝を乗り越えようとしても、その先が見えないから、手前で踏みとどまってしまう。でもみんなで堂々巡りをしながら、答えを探そうとする。その健気な姿が心地よかった。

鉄鋼の過剰生産について同じニュースを繰り返すメディアよりは、よほど人間の真実に近い。

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