行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」⑦

2020-08-31 19:36:33 | 昔のコラム(2015年10月~15年5月
汕頭大学日本取材チーム「新緑」には貴重な支援者がいるが、中でも私の学生時代の友人はとても頼りになる応援団だ。私がウィー・チャットの「新緑」公式アカウントでそれを紹介したところ、中国語に堪能な応援団の一人、(旧姓)江守依子さんが、上手な日本語訳を作ってくれたので、以下、全文を掲載する。
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日本には“継続は力なり”ということわざがあります。

汕頭大学の日本取材チーム「新緑」は2017年から毎年1回実施され、今年で既に4回目になります。第1回は新しい道を“開拓”する試みで、全てが探索と模索の過程でした。第2回の任務は“継承”,だが決して容易な道ではなく、おそらく開拓以上に困難でした。第3回のテーマは“発展”,直面する困難を一つ一つ克服し、大きなプレッシャーがありました。第4回目は“イノベーション”に挑戦しました。容易ではない道のりの中、“継続は力なり”を実践してきました。

“継続は力なり”は「新緑」に活力をもたらしただけでなく、周囲の人たちの心も動かしました。その結果、「新緑」は、中国だけでなく日本でも多くの応援団に恵まれました。その中で特に重要なのは私の大学時代の同級生たちで、それは“友情+情熱”の応援団でした。


(木村純香さんが第3代「新緑」にプレゼントしてくれた「一期一会」の絵葉書)

(伝統舞踏の披露を終え、正定院で記念写真)

2019年4月下旬から5月初めにかけて、「新緑」第3代は京都、奈良、大阪を訪問しました。中でも多くの取材場所は、伝統文化の精髄が集まる京都でした。古い町のため、往々にして人々は保守的なので、外からの者、特に外国人にとって文化の核心的な部分に触れるのはとても難しいことです。ただ深い取材をするためには、どうしても中枢の人々に接する必要があります。

運の良いことに、私の大学の同級生、木村純香さんが京都出町柳正定院の住職でした。彼女は珍しい女性の住職です。もともと京都でお寺の地位はとても高いうえ、彼女は社交的で活発な方で、広い交際範囲を持っています。彼女が各方面の代表的な人物と連絡を取ってくれ、学生たちに得難い貴重な取材の機会を提供してくれました。

その中の一人は、冷泉家の第25代女性当主冷泉貴実子さん。冷泉家は明治時代以降、京都に残った唯一の公家で、冷泉家邸は200年以上の歴史があります。冷泉家は日本の和歌の伝統を守り続け、5件の国宝と47件の重要文化財を所蔵しています。「新緑」の学生にとっては、直接取材することは考えもつかないことです。

ところが木村さんが懇意にしていた関係で、取材を受けていただき、学生たちをお茶と和菓子で手厚くもてなしてくれました。取材の際は、日中の文化交流の歴史を詳しく説明していただき、興味深いエピソードや珍しい文物までご披露いただきました。

あと京都を代表する二人の女将がいます。日本語の女将(おかみ)は最高の敬称である「お上」から来ていて、一般には料理店や旅館の女性経営者を指します。彼女たちはお茶や生け花、歌謡などの伝統文化をたしなみ、日本のおもてなしを守っています。一期一会の精神を体現しており、学生たちとっては、日本のおもてなし文化を理解する重要な窓口です。

私たちが訪問したのは4月末で、ちょうど年号が令和に変わる大型ゴールデンウィークにぶつかり、超繁忙期を迎えた各店舗の取材は至難でした。ここでも木村さんが自ら直接出向いて取材をお願いし、アポイントを取ってくれました。

一人は、200年の歴史を有する「柊家旅館」の女将西村明美さん。柊家は江戸時代の1818年創業で、京都を代表する老舗旅館の一つです。かつては川端康成やチャップリンらの著名人が宿泊したことで知られ、西村さんは京都女将協会の名誉会長や京都観光おもてなし大使なども務めておられます。彼女は忙しい中、学生のため3時間も取材に時間を割いて、生け花とおもてなしとの関係など重要な心得について話してくれました。本当にありがたいことです!

もう一人は、京都の繁華街四条河原町の「ひさご寿司」二代目女将宇治田恵子さん。彼女は今年72歳ですが、朝から晩まで映像の密着取材を受けいただいたうえ、さらに学生を小鼓の師匠宅にまで同行し、貴重な小鼓の稽古風景も見せてくれました。

わずか十数日の京都の滞在で、中国の学生がこれほど実りの多い、素晴らしい内容の取材ができるのはとても想像出来ないことです。それも、木村さんの熱意とお骨折りで実現したのです。その時彼女は私にこう言いました。「私も『新緑』の一員になった気分。私自身も、取材対象が見つけられなかったら気持ちがすまなかった」と、「新緑」対する深い思いを話してくれました。

平成最後の日、2019年4月30日、彼女はわざわざ新緑チーム全員を彼女のお寺に招いてくれました。彼女と息子さん、ご近所の方々までもが来てくれて、学生たちのためにお豆腐料理のコースをふるまってくれました。さらに独特な祭事の演舞も披露してくれ、破格の待遇で学生たちに対する歓迎の気持ちを示してくれました。

第3三代メンバーの一人、付玉梅が卒業後に仕事で京都に行った際、彼女に会おうと正定院を訪ねました。その時、お寺の入り口に汕頭大学新聞学院の旗と私たちの集合写真が掛けられているのを見て、木村さんの気持ちを感じ、とても感動しました。

(中央が木村純香さん、右が付玉梅)


(正定院の玄関に掲げられた「新緑」の記念品)

感動したのは一度や二度ではありません。思いもかけず、新型コロナ流行後に、私は突然京都の木村さんからの速達を受け取りました。開けてみると、包装紙の上に「山川異域、風月同天、寄諸学生、共結来縁。」と書かれ、中にはマスクが入っていました。彼女は私が中国にこのマスクを持ち帰り、学生たちに渡すようにと、贈ってくれたのです。その時日本ではすでにマスクがとても入手困難な状況になっていたので、私はとても感動しました。



彼女が書いた詩の原作は「山川異域、風月同天。寄諸佛子、共結来縁。」で、1500年前に日本の王族の長屋の王子が鑑真和上を招待した時に贈った袈裟の襟に刺繍された詩です。木村さんは当時、学生たちの頑張り、真面目さ、努力がとても印象深かったので、困難に直面している学生たちを慰め、励ますために、「佛子」を「学生」に書き換えたのです。

昨年の経験によって、私の大学時代の友人たち間でも、「新緑」は既に見知らぬ存在ではなく、主要な話題の一つになりました。さらにうれしいことに、木村さん以外の友人も積極的に参加したり手伝ったりする方法を考えてくれるようになっています。

第4代はもともと2020年の東京オリンピック期間中、東京へ取材に行くことになっていましたが、大きな悩みの種だったのは、その期間の東京の宿泊料金は通常の数倍もの値段で、我々の予算をはるかに超えてしまっていたことです。

しかし、幸いなことに、私たち「新緑」は困難にぶつかると、いつも人の好意に恵まれ、助けを得られるのです。私の大学時代の親友、小林和夫君が無料で学生たちの宿の提供を申し出てくれたのです。彼の父君は数年前にお亡くなりになり、母君は老人ホームに入居され、奥方はお仕事で単身赴任されているので、たくさんの部屋が空いており、その上、彼の家は東京の練馬区にあり、交通の便もいいのです。まさに干天の慈雨です。

その後、コロナの発生により、今年の計画は考え直さねばならなくなり、ある日私は彼に会った際、計画を延期することを告げました。学生たちの半数が学業の関係で継続して参加出来ません。数日たって、彼から学生たちに向けた英語のビデオレターが届きました。英語で学生たちを励ました内容です。

“Your efforts to come to Tokyo this time will surely be the light that illuminates your way. Anyway, Tokyo is still here, and waiting you all.”
彼は、どんなことがあっても、全ての学生さんたちが東京に来るのを歓迎すると伝え、映像の背景にはわざわざ「加油(頑張れ)!」の文字がありました。またまた学生たちは感動しました。以下が全文です。


Hello新緑 members
I'm Kazuo Kobayashi, the host at your accommodation in Tokyo.
Tokyo is now in rainy season, hot & wet.

I'm really sorry that I can't meet you this summer.
I think you had a very anxious day because of an invisible enemy called a virus. You worried it is possible to go to Tokyo or not.
My friend Kato was struggling in search of possibilities to the last minute.  You also worked very hard to prepare, study, and research to come to Tokyo until the very end. I think you all are really brave. but was really unfortunately it was impossible, considering your health and safety.
The virus closed your way.
But remember, the way is not the only one.
You can now follow the WAY of your choice.
And I believe that the way will surely lead you to hope.
Your efforts to come to Tokyo this time will surely be the light that illuminates your way.

Anyway, Tokyo is still here, and waiting you all.
Maybe next spring, or summer?
I’m waiting to see you all, magnificient12, as long as my life lasts.
We will surely see ya, 12menbers!
Until then I don't say goodbye.
See You very soon!
I wish your health, daily happiness and future success!

翌日の夜、私たちはSkypeでオンライン飲み会をしました。おおよそ7,8名の大学の同級生が参加しました。実は私たちは最近毎週土曜日の夜に、オンライン飲み会を開催しているのです。時には誕生日を祝い、時には自粛生活について話し合い、コロナへの不満をぶつけ、もちろん一番多いのは昔の思い出話ですが。

その日は、東京の感染状況が少しずつ収まりつつある状況だったので、皆ついに、オンライン飲み会ではなく、外で、居酒屋などでの飲み会を始めてもいいのではないかという話が出始めました。しかし小林君は突然、「まだ駄目だよ!もしも加藤がかかったら、中国の学生たちにとても迷惑をかけることになるから。もう少し我慢しよう」と言ったのです。私はそれを聞いて心が温かくなり、酒がますます進んでしまいました。人は酒に酔うのではなく、自分に酔うのですね。

「新緑」の存在により、私たち同級生たちの話題もますます増え、一緒に協力して助け合う機会も増えました。旧友の友情も深まりました。私たちの大学時代の友情が中国の学生たちのために生かされ、私たちはみなとても光栄で、とても嬉しく感じでいます。これも縁ですね。ずっと大切にし、感謝しなければ!

私たちは「いつでも新しいスタート」という心構えで、引き続き頑張っていきます!

(続)

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」⑥

2020-08-30 23:35:36 | 日記
コロナ感染の拡大で、東京オリンピック取材計画が暗雲に包まれていた時期は、いかにして学生12人の気持ちを盛り立て、準備過程の中でも学びの機会があると教えることに腐心した。じかに会うことができず、パソコンの画面でしか交流の場が持てない制約があった。そこで、ほぼ今年の実現が難しいと判断し始めた5月に入り、毎週末、各代の「新緑」メンバーに参加を呼びかけ、オンラインによる交流の場を設けた。先輩による励ましに期待したのである。

取材計画が難しいため、先輩たちには大学生活の思い出やアドバイス全般を話してもらった。大学院への進学や就職など、悩みは多い。中国は日本と違って先輩後輩の関係がさほど密ではないので、こうした交流の場は有意義だった。「新緑」による縁の尊さを実感する機会にもなった。


(初代「新緑」のメンバーと)


(第2代「新緑」のメンバーと)


(第3代「新緑」のメンバー+蒋翔と)

そして、何よりもうれしかったのは、歴代のメンバーが励ましのメッセージを寄せ、ウィー・チャットの「新緑」アカウントで流してくれたことだった。
(https://mp.weixin.qq.com/s/5vE4cr9riPOhPTn274Lzdw)









以下、いくつかのメッセージを抜粋する。

「変えようのない事実を平常心で受け止め、勇気をもって未知の可能性に挑戦し続けよう。『人間万事塞翁が馬』というではないか。ひとたび挫折をしても、それはもう一つのチャンスにつながる。みんなはより多くの準備期間を与えられたと考えるべきだ。辛抱し、あきらめず、厳しい寒さの冬を経れば、みんなの『新緑』の季節が待っている。頑張れ!」(初代 陳嘉雯)

「みんなには仲間や先生、そして『新緑』の大家族がついている。今回の経験を通じ、みんなは常に学び、探索し、絶えず自分の限界に挑んできた。外部環境のの変化はどうにもできないが、みんなの心はきっと強くなったと思う」(初代 李芹)

「『計画は変化に追いつかない』というけれど、それなら変化を受け入れよう。他の人は結果だけを重視するかもしれないけれど、私たちは当然のことながら、過程の大切さを大切にし、それを楽しめばよい。今回のことを特別な経験として、自分たちの人生を豊かにすればよい。頑張れ!一緒に励もう!」(初代 林家恰)

「みんなのこれまでの成果の裏には、みんなが苦労し、努力して成し遂げたものがある。私は静かにみんなの努力を見守ってきたが、心の中ではこの上ない誇りと感動を感じている。みんなの努力が『新緑』により大きな活力を与えた。今年はコロナのため、取材活動に影響が出るだろうが、どんなことがあっても、みんなの努力は無駄にならないと信じてほしい。必ずや将来、みんなに報いが訪れる日が来る。4代目はいつまでも『新緑』の大家族だ。頑張れ!先輩はずっとみんなの後ろで支えている!」
(第2代 李鈺欣)

「今すぐ役に立たないからといって、将来も意味がないわけではない。学びに際し、功利主義だけで考えるのは非常に狭い。意味があるかどうかは周囲の状況によって変わるからだ。かつて無意味に思えたことが、ある時、振り返った時突然、意味を持ってくることがある。みんながみさらに成長し、もっと幅広い人間になってほしい。『新緑』の大家族に加わった時から、みんなはきっとたくさんの出来事を経て、多くの貴重な経験をしたはずだ。先輩はいつもみんなを応援している。We are together!」
(第2代 蔡少頴)

「今年は特別な一年で、コロナの発生は『新緑』プロジェクトに大きな挑戦と想定外の事態をもたらしたが、第4代のみんなは大きな挑戦に向き合い、非常に優れた結果を残した。みんなの努力は、多くの人が見て、心に刻んだ!日本の水素社会の発展や、バリアフリーの日本、アニメ文化と都市振興など、とても興味深い取材テーマで、実に素晴らしい!これからみんながどのような計画を持ち、日本に行って取材活動を続けることがでるかどうかはわからないが、それぞれの立場で『新緑』のために奮闘しさえすれば、思い残すことなどない。『新緑』に巡り合ったのは、私たちの縁なのだから」
(第2代 李青彤)

「私が以前、絶望的な日々を送ったとき、この歌詞に支えられた。『自分が動けば、太陽を見ることができる。太陽はずっとそこにあるのだから』。第4代のみんなもまさに、光を探して前に進み、一度も歩みを止めなかった。この间、みんなは私たちの光となり、希望と暖かさを伝えてくれた。人生は長い。この間、お疲れ様。次の一歩も勇敢に出発しよう。助けが必要なときには声をかけてほしい。私たちはずっと待っているから」
(第3代 付玉梅)

「どの道にも多く想定外のことがあり、さまざまな挫折、困難があるが、しっかりと進んでいけば、きっと違った風景が見られる。『若者は、愛され、受け入れられる。あなたが立派からではなく、たくさんの勇気にあふれているから』。後輩たちよ、勇敢に前に向かって走れ!」
(第3代 蒋楚珊)

疾風に勁草を知る。今回の試練は、「新緑」の大家族にとっても大きな意味を持っていた。次のステップに向かって、自信と勇気を与えてくれた。

(続)

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」⑤

2020-08-29 15:55:53 | 日記
コロナ感染が世界に蔓延する中、3月からの春季学期はすべてオンライン授業となったが、「新緑」チームのメンバーたちは、果たして東京オリンピックに向けた取材計画が順調に進むのか、大きな不安を抱えていた。本来競技自体を取材することは不可能なので、当初から「東京五輪のもう一つの物語」をテーマに、二度目の五輪開催に関する社会、文化などの話題を取り上げるべく準備を進めてきた。五輪の開催延期は、取材計画に直接の影響を与えるわけではなかったが、メンバーたちが落胆したのも当然だった。

そんな中、私は東京にいて、様々な形でメンバー12人を励まし続けた。オンラインの会議では、国際オリンピック委員会(IOC)が発表した声明を繰り返し、自分たちも希望を持つようにと訴えた。



「指導者たちは、東京でのオリンピックが、困難に直面している世界を照らす希望の灯火となり、オリンピックの聖火が、世界が置かれているトンネルの出口を照らす光となるに違いないと確認し、したがって、聖火は日本にとどまり、また、オリンピックとパラリンピックの大会名称は東京2020を引き続き使用することも合意された」


(延期発表の翌日、東京駅丸の内口前広場のカウントダウン表示が、通常の時間表示に変わったが・・・)


(都内にはあちこちに2020年東京五輪を宣伝する旗が掲げられている)

自分たちで状況を変えられるわけではない。事態は一国の問題から世界の感染症対策に拡大している。最後は国や大学が方針を決めるのであって、個人ではどうにもならない。まだまだ時間の猶予があるときに、無駄なことを考えるより、今何ができるかに力を注ぐべきだ。結果を云々するヒマがあったら、まずは一つ一つの過程を大事にするべきだ。五輪が延期したのであれば、それに伴う新たな取材テーマを探すことができる。とにかく前に進もうではないか。そんなことを訴え続けた。





実際、「結果よりも過程」という考え方は、「新緑」の初代から私が強調していることである。世の中が功利的になり、人間関係さえも打算づくで成り立つような社会だ。目先の利益ばかりを追い求め、長い人生における価値を見失っている。目の前にある小さなことに誠心誠意取り組んでこそ、実り多い未来が待っている。「新緑」プロジェクトの意味もここにある。コロナは困難をもたらしたが、逆に、大切なことは何かを気付かせるきっかけにもなった。

(続)

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」④

2020-08-29 08:20:33 | 日記
今年で第4代となる汕頭大学日本取材チーム「新緑」だが、コロナの影響を受けながら、どうしてテーマソング『新たな出発』を生み出すに至ったのか。それは、私と作曲者、この7月に卒業したばかりの工学部土木工程専攻・蒋翔との縁に始まる。



彼との出会いは、2019年春季、私が担当する全校対象科目『日中文化コミュニケーション』の授業だった。彼は音楽が好きで、ギター演奏の名手でもあり、おとなしそうな見た目からは想像つかないが、ロックミュージックの大ファンだ。授業では、他の学生と一緒に日本のロックグループに関する研究を発表した。

これまでの慣例として、クラスの学生を何グループかに分けて私の宿舎で一緒にお茶を飲んだところ、ある時、10人ぐらいの中に彼がいた。自己紹介の時、彼は「ギターが弾けます」と言うので、じゃあ、私が歌うから一緒にコンビを組もうと誘ってみた。半ば冗談のつもりだったが、彼は次の授業で、突然教壇まで来て、「ギターを持ってきました。先生、今日歌いますか?」と迫った。私は彼の真面目さに感動し、「じゃあ、最後の週にしよう」と応じた。

その後、彼と宿舎で何度も練習をし、しばしば「新緑」の活動についても話しをした。「新緑」第三代のボランティア用に作ったTシャツもプレゼントした。そして最後の授業に、私たちはキロロの『未来へ』と中島みゆきの『糸』を披露したが、なんと、彼はその時、私がプレゼントした「新緑」のTシャツを着て現れたのだ。彼は口数が少ないが、言行が一致しており、とても信頼できる学生だった。わざわざTシャツを着てくれたことからも、「新緑」チームに対する深い思い入れを感じることができた。





その後も交流は途切れなく続いた。しばしば一緒にお茶をしたり、みなと一緒に食事を作ったりした。「新緑」歴代の卒業生が学校に戻ってきて、パーティを開くときも、彼を特別ゲストとして呼んだ。彼はすでに「新緑」チームの一員のように扱われた。


(一番左が蒋翔)


(手前右が蒋翔)

私の誕生日には、紙を折った手作りのバラとカードをプレゼントしてくれた。カードには、「白バラは純潔で美しいという意味を持っています。先生がいつまでも若く、いつまでも青春の活力にあふれていますように」と書かれていた。



そのカードは、彼が出場したある音楽祭の記念品で、限定版の貴重な一枚だった。

昨年末、大学の学食で彼と会った際、彼が高校二年の時、学校のクラス対抗歌合戦で、作曲にかかわったことがあると思い出話をしてくれた。私は早速、「それなら『新緑』の曲も作ってほしい」とお願いした。今度は冗談ではなく、本気で。彼は「そんなにプロフェッショナルではないので・・・」と謙遜しながら、その場で応諾してくれた。期末で忙しい時期だったが、彼は1月4日、エレキギターで演奏した曲を送ってくれた。そして、テーマソング作りの工程まで作ってくれた。



彼は、別の学生の作詞作業と並行して何度も手直しをし、きめ細かい仕事ぶりを発揮した。その間、卒論、大学院進学の準備など、4年生としての重要な学業を抱えながら、7か月をかけて完成させた。コロナで卒業式もなかったが、かれにとってこのテーマソングは、それに匹敵する有意義な記念となった。



テーマソング『新たな出発』には、二つの縁がある。一つは私と彼との縁。もう一つは彼と「新緑」の縁。MV最後の字幕には、彼の肩書が「特別メンバー」となっていた。名実ともに「新緑」の一員となったのである。

(続)

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」③

2020-08-28 08:43:33 | 日記
汕頭大学日本取材チーム「新緑」のテーマソング『新たな出発』が、コロナ渦の中にもかかわらず、学生たちの努力と熱意によって誕生したことはすでに述べた。3月にはいってオンラインによる春季学期が始まり、すぐに東京オリンピック・パラリンピックの1年延長が決まり、それでも「一步一步 终会抵达(一歩一歩 いずれはゴールにたどりつく)」という歌詞の通り、女子のみのメンバー12人が地道に成果を重ねてきた集大成だった。

作曲は「新緑」のメンバーではないが、この7月に卒業した土木工程専攻の蒋翔、作詞は「新緑」副チーム長でジャーナリズム専攻4年の陳元。作曲者については改めて紹介をするとして、今回は作詞をした陳元について触れたい。なにしろ今日がちょうど彼女の誕生日だからだ。早朝からグループチャットでメンバーたちの祝福が飛び交っている。






(上段左から3人目が陳元)

テーマソング誕生の経緯については、陳元本人が「新緑」公式アカウントですでに詳しく紹介している(https://mp.weixin.qq.com/s/VwhuyijBZxAAfmBzDD-eQg)。まず今年1月4日の元宵節に蒋翔が曲を試作し、それからほぼ7か月をかけ、作詞、オンライン合唱を行い、7月30日に完成した。

作詞者を募集したとき、真っ先に手を挙げたのが彼女だった。副チーム長として、十分な仕事をしていないのではないか、という反省から、何とか役に立ちたいという気持ちが生まれたのだった。作詞は初めての経験だったが、彼女は大学合唱団の一員で、歌が好きだったことも自信を支えた。

では何から手を付けたらよいのか。彼女はまず、今風の若者がよくやるように、Youtubeで作詞の方法を学び、作詞に二つの基準を定めた。つまり「人事時地物の5Wを表現する」「『新緑』の精神を表現する」こと。そして曲を何十回も繰り返し聞き、歌詞のイメージを口ずさみながら、どのような歌詞が望ましいか、イメージをつかんだ。何よりも困難な状況下で、オンラインによるコミュニケーションをとりながら、難題を克服し、準備を進めている自分たちの境遇が思い浮かんだ。

彼女は、3月29日の定例オンライン会議で、私がみんなに伝えたエピソードも取り入れた。今年は桜が満開の後、雪が降った。私はその様子を写真に撮り、みなと共有した。東京にいなければ見られない光景だ。桜にははかない、弱いイメージがあるが、雪の重さに耐えながら、しっかりと花をとどめている。冬の厳寒があるからこそ、春の絢爛な美が訪れる。「疾風に勁草を知る」という言葉の通り、「新緑」のメンバーも、今の困難があるからこそ、熱意と力量を試され、鍛えられ、それを克服することできっと素晴らしい成長が待っている。艱難汝を玉にす、ともいうではないか。私はまた、王陽明の「事上磨錬」を取り上げ、実践から学ぶことの大切さも訴えた。それこそがジャーナリズムの真髄だからだ。







彼女は私のメッセージを、

山间 路两旁 淡雪化     山間の道端 雪は溶け始め
樱花 绽放挂满了 枝桠啊    桜の花が 小枝にぎっしり咲いている
迎寒风 饮霜雪     寒風を受け 雪に打たれても
她期待春日     春の日を心待ちにし
终于开出了花     とうとう花開いたのだ

看 春来了 窗前树 茂盛挺拔     見てごらん 春が来た 窓の外の木に力強く生命が宿っている
坚强的根 绚烂的花     たくましい根に 美しい花
梦想 不是吗    夢ではないでしょう
用热情 浇灌它     情熱の水を与え
终有一天会长大     いずれ大きく育つ

と歌詞に表現した。彼女の初稿に、他のメンバーがアイデアを出して、さらに磨きをかけた。『新たな出発』に込められた思いは、彼女たちが今回の経験から学んだ、そして、これからさらに険しい道を歩んでいく上での、貴重な土台なのだ。

(続)