行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

新元号「令和」の出典に関する無意味な議論

2019-04-02 14:48:48 | 日記
4月1日に発表された日本の新元号「令和」について、中国では出典をめぐる議論がかまびすしい。私のところに転送される意見の大半は、もともとは中国のものではないのか、という疑問に関するものだ。日本でもこうした議論が報じられたが、中でも『環球時報』が公表直後にネット配信したニュースが目を引き、多く引用された。

「日本の新年号“令和” 中国の痕跡は消しようがない」という見出しが刺激的だったこともあるだろう。同メディアはもともと民族主義的論調を売りにしているので、いつものことながら中国を主にして見出しをつける。それ自体はどうでもいいのだが、記事に私のコメントが引用されていて、各方面から問い合わせを受けた。





私の同紙記者に話したとされるコメント部分は、『万葉集』梅花の歌の序文が漢文によって書かれ、かつ当時、梅を詠んだ歌には中国の審美観が反映されている一方、「和」は日本の感性を代表するものなので、「日中融合」の意味合いを含むと指摘したものだ。正確に言うと、私が微信(We-Chat)で年号の感想を書いたものを知り合いの同紙記者が見つけ、引用を求めてきたので了解した。実際に取材を受けたわけではない。

中国のネットでは、後漢の文人、張衡の詩『帰田賦』に「仲春令月、時和気清」とあるのを根拠に、「令和」の出典は万葉集でなく、やはり中国古典だいう主張が幅を利かせている。当時、『日本書紀』が中国の歴史書を引用して天地の成り立ちを記したように、漢字を借りざるを得なかった日本人が、文章表現までまねたのはごく自然なことである。だからどちらが先かと言われれば、漢籍が先に決まっている。漢字自体が借り物なのだから。

それでもやはり、『帰田賦』あるいは同作品を収めた詩文集『文選(もんぜん)』からの引用とせず、あえて『万葉集』からとしたことの意味は大きいと考える。つまり中国の詩文を受け入れた万葉人の心がそこに介在しているのである。厳格な初出論が大切なのではなく、万葉人が苦心の末に選んだ漢文を、現代の日本人が受け継いだという点にこそ意義がある。

別の例をあげれば、日本の文人は中唐の詩人、白楽天を重んじ、白氏文集を詩文作文の模範とした。白楽天自身は、天下国家を論ずる風諭詩を自らの代表作と考えたが、日本人が受け入れたのはむしろ平易な表現で、花鳥風月をめでる閑適詩だった。異文化のものであろうと、そのどれを、どのように受け入れるかという点においては、独自の文化が介在する。

かなによってきめ細かい感情を表すのには、なお『古今和歌集』の誕生を待たなければならなかったが、万葉人は漢字の音を頼りにした万葉仮名によって、少しずつではあるが、大和心を表現するすべを探った。まだ途上であるがゆえに、手本を必要とした。それは優れた文化を受け入れる、素直で、謙虚で、寛容な心なのではないか。そんな素朴さが「令和」に含まれていると考えることは、出典を詮索するよりもはるかに尊い。ことさら自分たちの文化だと意地を張る必要もない。そもそも文化とはもっと雑で、多様なものだ。

周囲の学生たちにはそう話し、多くの共感を得られている。それだけをもってしても、漢字を用いた日本の元号、そして「令和」の誕生は意味があると思える。


万葉集から生まれた新年号「令和」の和風と漢風

2019-04-01 12:40:40 | 日記
本日の新元号(中国語では「年号」)「令和」決定のニュースは、中国のSNSでも最大級の関心を集め、多くの若者が実況中継を見守った。発表が当初の予定より遅れたことに、「日本人も遅刻するのか」などとジョークも飛び交った。フィギュアスケート、羽生結弦選手の大ファンという学生からは「『羽生』の年号を期待していたので残念」とメッセージが届いた。発表後にはすぐ、出典にちなんで梅をあしらった画像も出回った。





中国から伝わった元号は645年の「大化」から始まり、今回の新元号は248番目になるという。異なる民族による王朝の交代や革命を経た中国は、しばしば伝統の断絶を経ている。天皇が途切れなく存在し、それとともに伝統文化が形を変えながらも脈々と受け継がれて日本を見て、中国人は自分たちの忘れ去られた文化の原型を感じる。元号もまたその一つである。

てっきり中国の古典から引用されると期待していた中国の学生は、「初の日本古典」に少しがっかりしたようだった。だが、よくよくみれば万葉集第五巻「梅花の歌」序文の原文は以下の通り、中国にならった文体である。

「梅花謌卅二首并序
 天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」

私がこの原文を微信(We-Chat)で紹介すると、王羲之が蘭亭曲水の宴で書き残した「蘭亭序」を読んでいるみたいだ、という感想を寄せてくる学生もいた。日本の歌集とはいえ、非常に身近に感じたようだった。

「令月」は、中国の古典『儀礼』士冠礼や「後漢書」明帝紀に、「令月吉日」の記述があり、吉祥の月を示す。「令」にはもともと、美しいものを形容する意味が含まれている。日本の古典とは言っても、中国の影響が色濃く残っている。われわれがふだん目にする万葉集はすでに書き下されているが、歌の原文はすべて表音文字としての漢字、いわゆる万葉仮名が用いられているのである。

梅の花自体、中国から伝わったもので、梅に対する審美観もまた一緒に取り入れられた。だから万葉集には「萩」に次ぎ、「梅」を歌ったものが二番目に多い114首にのぼる。その後、ひらがなが用いられ始めた古今和歌集では、桜が61首で最も多く、梅の28首を大きくしのいだ。ひらがなの誕生によってようやく、日本人本来の感性にあった美的感覚が表現できるようになったのだ。

「漢風」の色濃い万葉集だが、「風和」の「和」を取り入れたことで、和風の風合いが生まれた。初めて日本の古典から元号を引用した意味もここに読み取ることができる。

ただ漢字二文字の条件が付いている以上、日本人が作り出した和製漢字・国字でも使わない限り、中国の影響を脱することはできない。あまり日本独自の文化を強調しても意味はない。むしろ漢字文化を受け入れ、それを独自の仕方で継承し続けてきていることを再認識することにこそ意味がある。この点で、日中の共感も生まれるからだ。