行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」⑧

2020-09-03 19:47:40 | 昔のコラム(2015年10月~15年5月
「新緑」の伝統は、参加メンバーが必ず自分独自の取材テーマを一つ持ち、それを適宜その他のメンバーがバックアップして文章や映像の作品に仕上げる。そしてその作品はきちんとメディアで発表する。


(2019年12月27日、私の宿舎で「新緑」の新年パーティー)

単位にはカウントされないが、プロフェッショナルの記者と同じ仕事を経験する。功利的な社会風潮の中で、本人の熱意とチームワークだけを頼りに成り立つ貴重なプロジェクトだと自負している。もちろん、多くの善意の人々の支えなくしては成り立たない。参加メンバーにとっては、得難い機会、そして人の好意に感謝する貴重な学びの場でもある。

今回、取材自体は予定した7、8月には実現しながったが、事前の準備は怠らなかった。昨年9月の秋学期中、20回以上大小の会議を開き、各自の取材テーマを練ってきた。以下が主な例だ。

・染小紋や組紐、つまみかんざしなど江戸の伝統文化と継承
・五輪イベントを通じた水素社会の推進と課題
・「聖地巡礼」として知られるアニメツーリズムと地域振興
・ボルダリングなど新種目を通じた町おこし
・外国人にも配慮したバリアフリー社会の建設
・よさこい祭りイベントと若者の参加、継承
・五輪ボランティアに参加する高齢者、そして留学生の活躍
・東京五輪を通じた東北(町の駅「ならは」など)の震災復興

このほか、広告専攻の学生たちは、大学公認のイノベーション・プロジェクトとして、東京の都市ブランド戦略をテーマに、調査研究のリポートを書く準備を進めた。ありがたいことに、東京都市大学の北見幸一先生が力強いカウンターパートナーとなってくれた。

日本でまだコロナ感染が限定的だった春節の休暇期間、私は一時帰国の時間を利用し、学生たちの意向に沿った取材先との連絡に専念した。都内だけでなく周辺の県、さらには福島にも足をのばした。送ったメールは50通以上、直接面会したのは20人以上、その結果、25人の取材対象を確保した。手元には20枚の名刺が残った。


(主題歌『新たな出発』MVより)

東京五輪が延期され、コロナ感染が全世界に蔓延する中にあっても、彼女たちはあきらめず、最後まで当初の計画にそって準備を続けた。昨年9月以降、リモートを含め、第4代「新緑」の会議は計38回、64時間に及んだ。


(「新緑」第4代のリモート会議)

翻訳のスタッフを確保するため、SNSを活用して東京在住の中国人留学生18人を集めた。自分たちの取材計画をPRするため、ポスター風の表紙を作って、概要を紹介した。



すべてが学生たちの手作りである。

取材計画は中止ではなく、当面、来春までの延期となった。メンバー12人のうち半数は大学院進学の準備で継続参加を断念せざるを得ない。もうすぐ秋季の新学期が始まる。私自身、大学に戻る手続きに追われている状況で、今後のことは予想が不可能だ。

だが今回、学生たちは、今できることに全力を尽くすことの大切さを経験した。何事においても「新たな出発」という気持ちで臨むことも、身をもって学んだ。コロナ禍がいろいろなことを教えてくれた。

彼女たちの熱意に感謝し、賛辞を送りたい。誇るべき教え子たちである。そしていつの日か、彼女たちに日本を見せてあげたい。

(完)