独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

王安石の評価で分かれる“作家”毛沢東と“編集者”習近平

2017-01-31 09:18:14 | 日記
1月26日、北京の人民大会堂で、中国共産党と国務院の共催する恒例の春節団拝会が開かれ、約2000人の各界代表が参加した。日本でいえば賀詞交換会のようなものだ。習近平総書記のスピーチで目を引く言葉があった。古典や詩、故事からの引用を好む習近平だが、今回もまた、宋代の政治家にして名文家として知られる王安石(1021-86)の詩で締めくくった。



<飛来山上 千尋の塔、聞くならく 鶏鳴 日の升るを見ると。畏(おそ)れず 浮雲の望眼を遮るを、自(おのず)から縁(よ)る身は最高層にあり>

--浙江省ある飛来峰には高い塔がある。聞くところによると、ニワトリが鳴くころ、日の出が見えるそうだ。浮雲に隠れて見えなくなることなど気にかけない。わが身は最高峰にあるのだから--

浮雲は、君主に取り入って悪政を招く君側の奸をいう。高い理想を抱けば、そうした障壁にとらわれることなく、世界を見渡すことができる。そんな大志を感じさせる。国政の混乱にあって宰相に取り立てられた王安石は、庶民の税負担を軽減し、同時に財政も再建する各種の改革を断行した。だが、計画通りには政策が徹底されず、最後は失敗する。皮肉にも、王安石は対立派による政治闘争に敗北し、不遇の晩年を過ごす。

習近平は、この詩が抱く高い境地に、全国民が党の指導によって中華民族の偉大な復興を成し遂げる志を託した。ただ、「最高層」を自らの政治的地位になぞらえれば、政敵である抵抗勢力をものともせず、党指導部の「核心」ポジションを勝ち得た自信を読み取ることもできる。浙江省は彼がトップの党委書記を務めた古巣であり、そのころから最高指導者としての地歩固めが始まった。権力を握らなければ、高みから一望することはできないのだ。

習近平はどういうわけか王安石が好きだ。「その心を修め、その身を治めて初めて天下の政治ができる」(『洪范伝』)、「天下に法を立てれば天下は治まる、国に法を立てれば国が治まる」(『周公』)など。理想主義的な性格を物語る。

だが彼が尊敬してやまない毛沢東の王安石評は厳しい。毛沢東が22歳の時、地元湖南省の学友に送った手紙の中にこう書かれている(『毛沢東成功之道』人民出版社)



「王安石の変法が失敗したのは、古典に頼りきりの専門家に過ぎず、社会の常識や事情に疎いため、実際に行う政策としては適さなかったからだ」

世間知らずのインテリを嫌った毛沢東ならではの評価である。習近平も毛沢東の王安石評は知っているはずだ。理論より実際を重んじる政治哲学も、毛沢東から学んでいる。だが、断定的な評価を下さず、「中華民族の伝統文化」という大風呂敷を広げ、融通無碍にあらゆる思想を取り込んでいくのが習近平スタイルである。包容力はあるが、独自の思想は封じ込められる。実際、習近平はまだ自らの言葉で自らの思想を語ることはしていない。

過去の思想を乗り越え、文武の権力を手中に収め、自らの思想を打ち立てようとしたのが毛沢東だ。これに対し、「剣」を掌握しながらも、「ペン」において先人のコピーとどまる習近平は、中国の政治格言集を編む編集者のように見える。実際、習近平が引用した用語解説集が相次ぎ出版されてもいる。思想大全のように系統的な分類がされるわけでもない。寄せ集めのパッチワークと言った方がふさわしい。思想的には包容力があるようにみえるが、権威の強化ばかりが先行し、具体的な編集方針が示されていないため、実際の作業は金縛りにあったように融通が利かない。このアンバランスに多くの人々が戸惑っている。

毛沢東の王安石批判は、理論ではなく実際を欠いていることにあった。だとすれば王安石から学ぶべきは、いかにして実行させるか、つまり人をいかに動かすか、という点にある。どうすれば高い見地に立てるのか。どうすれば人は心を修め、身を治め、天下に法が立つのか。編集者の位置にとどまっている限り、肝心の答えを示すことはできない。
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高みに登れば、遠くを望むことができる・・・春節初日の感慨

2017-01-29 09:41:46 | 日記
2017年の春節初日は、大学の裏にある山に登った。高みに登れば、遠くを望むことができる。日常の些末なことにとらわれている自分を反省する。離れて眺めれば、どうでもよいことばかりだ。大きく澄んだ空気を吸えば、心まで洗われる心地がする。古今東西、人の気持ちは同じである。



頂上で携帯のデータを見ると、上った階数は100階を超えていた。汗をかいた体に涼風が心地よい。あいにくかすんでいるが、遠方に南シナ海に注ぐ榕江の流れが見える。狭い土地から逃れ、多くの人々が海の向こうに出かけて行った。ここは華僑の故郷である。

鉄林禅寺と清雲禅寺が山間に建てられている。信仰に篤い地元の人々が次々にやってくる。海外で成功した多くの華僑が寄進をしている。寺院内の表示はみな繁体字だ。町のインフラ整備が遅れているが、仏像は黄金に彩られ、豪華極まりない。



巨石に彫られた文字が目に入る。「佛」「福」「禅」「寿」・・・なぜか手を合わせたくなるのは、魂を宿す文字への信仰なのか。
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経済成長と伝統文化の保持が両立する広東地方

2017-01-27 16:01:16 | 日記
中国は多様な地方文化を持つ。概して北方は剛毅だが粗雑、南方は繊細で実際的だ。中国人は一般的に華美な牡丹を好むと思われているが、広東省佛山の花市ではあまり人気がなく、代わってもてはやされていたのが端正な胡蝶蘭だった。



案内をしてくれた友人は、地元の女性と結婚してこの地に定住している山東人だ。それだけに北方と比べた南方文化の特徴をわかりやすく説明してくれた。彼に言わせると、企業家も南方は謙虚で、地道に商売をするという。彼が設けた宴席の参加者も、目立たない服装で、さりげなく腰かけているが、話を聞くと日本企業を何社も傘下に収め、自家用飛行機を持っている経営者だったりする。いかにも金持ちだと振る舞う北方系の成金とはわけが違う。日本企業を買収しても、相手のメンツを立て、優れた技術力を学ぶ精神を忘れない、というのが彼の評だった。

ある苦労人の経営者は、しばしば日本に出かけているが、何よりも感心するのが新幹線の清掃だと話した。わずかな停車時間で、年配の清掃員がテキパキ作業をこなしていく光景が驚きなのだという。日本の多彩でレベルの高いコンビニ弁当が楽しみだという広東人もいる。北京から離れ、政治抜きで日本を見ている人たちが多いのも、南方の特徴だろう。

冬に花咲く梅は、中国人が強い精神の象徴として好む花の代表だが、亜熱帯の広東に梅の少ないこともあり、広東人は「梅(mei)」は「倒霉(dao mei)=運が悪い」を連想させると敬遠する。それよりも橘子(ミカン)の「橘」は「桔」と書かれるため、「吉利=縁起がいい」と喜ばれる。新年であちこちにミカンの木が置かれるのはそのためだ。



中国人全般から歓迎されるのは桃だ。古くから長寿の象徴と珍重され、邪気を払う効能があるともされ、「仙果」の異名を持つ。魔よけのため家門の左右に貼る赤い紙の対聯も、もとは桃の木が使われ、「桃符(とうふ)」と呼ばれていた。



陶淵明が迷い込んだのは桃林のある桃源郷だし、李白が詠んだ別天地にも桃花が登場する。

山中答俗人 李白
問余何意棲碧山  余に問う 何の意か 碧山(へきざん)に棲(す)むと
笑而不答心自閑  笑って答えず 心自から閑(かん)なり
桃花流水杳然去  桃花 流水 杳然(ようぜん)として去る
別有天地非人間 別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り

「緑深い山奥に隠棲している。人から「なぜそんな辺鄙なところに」と聞かれても、笑って答えない。説明する必要などない。心は自然のままで落ち着いているのだ。桃の花びらが川面に浮かび、遠くまで運ばれていく。ここは俗世間とは違う別天地なのだ」

この詩境がまさに中国人にとっての理想郷なのだろう。

「桃(tao)」は、「難から逃(tao)れる」にもつながる。また、喜ばれる野菜は、市場にうずたかく積まれている生菜(レタス)だ。「生菜(sheng cai)」は「發財(fa cai)=財を成す」に通ずる。何から何まで縁起を担ぐのも、広東地方に特徴的な文化である。信仰心も篤く、春節を前に各地の寺院には参拝客が詰めかけている。

山東人の友人が語った言葉が印象的だった。

「広東は改革開放がスタートし、最も経済が発展したの土地だが、豊かになればなるほど伝統文化を大切にする気持ちも強くなっている」

経済的に豊かになるほど、文化を見直す余裕が出てくるという側面があるのだろうか。なるほどと思った。政府が盛んにアピールしている「文化の自信」よりも、庶民の生活ははるかに生き生きとしている。

今夜は大みそかの「除夕(じょせき)」。中原から逃れ、大海に漕ぎ出した苦難の記憶を持つ広東人の歴史を振り返りつつ、とり年を迎える。「鶏(ji)」年は「吉(ji)」の多い年でもある。




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広州白雲空港で見つけた男女別のセキュリティ・チェック

2017-01-25 22:25:32 | 日記
広州から空路で汕頭に戻った。春節前で空港もさぞ人が多いだろうと思ったが、すでにピークは越えたのだろか、思ったほどではなかった。その分、警官や武装警察の姿が目立った。広州白雲空港で思いがけない光景に出くわした。





安全検査のゲートが一部、男女別に分けられていた。当然、担当の公安も男女がそれぞれ担当している。通常であれば商用関係の乗客が多く、圧倒的に男性客の割合が多いが、帰省であれば男女の比率は均等だという計算なのだろう。公安に「これは新しい試みなのか」と尋ねると、「まあそういうことだね」と答えが返ってきた。かわいらしいキャラクターを登場させているのは、日本のアニメ文化の影響なのだろうか。

広州や佛山を歩いた今回の旅では、同じ広東でも私の住む潮汕地区とは、中央からの独立心の強さにおいては共通しているが、また一味違った文化を体感できた。日を改めて整理してみたい。日本では中国経済減速のマイナス面ばかりを強調する報道が多いが、現場は活気に満ちていた。地元の民営企業家たちはまだまだ発展すると確信しているし、それが花市に集まる人々の表情からも読み取ることができた。日本をしばしば訪れ、細かく観察している経営者も多い。
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とうとう環境取材ツアーの訪日ビザを取得!感激と感謝!

2017-01-24 09:35:41 | 日記
昨日から広州入りした。さすがに大都会である。スワトウで暮らし、しかもほとんどの時間を大学で過ごしているだけに、町中の繁栄がまぶしく見える。





3月、大学の学生6人を連れ、福岡で環境問題に関する取材する計画が進んでいる。九州大学の先生から招請状を頂き、昨日、在広州日本総領事館にて念願の短期訪日ビザを取得できた。日本人である自分が、訪日ビザにこれほど感激するとは思わなかった。紆余曲折はあったが、日本と中国の多くの方に支えられ、ようやく実現に向け大きな一歩を踏み出すことができた。お力を頂いた方々に深く感謝申し上げたい。

ありがとうございます!非常感謝!

日本ではとかく中国に冷めた空気が強いと聞くが、今回の件を通じ、主として日本の中国駐在経験者ネットワーク、さらに日本に根を下ろして働く中国人ネットワークの底力を感じた。そして、両国の懸け橋となる人々の輪をさらに広げ、確固としたものにしていく必要を痛感した。

取材のテーマは、日本社会が、高度成長期の公害の経験を経てどのような教訓を汲み取り、現在の環境保護に生かしているかを、行政や企業、研究機関、メディア、教育、民間活動、市民生活などの側面から多角的に検証することにある。そして、中国が直面している環境汚染問題に対する解決の糸口を探求する。また、環境保護に関する日中協力プロジェクトの取材や日本人学生との意見交換を通じ、日中民間交流の意義を再認識できればよいと考えている。

全国に先駆け、北九州市がエコタウン事業(廃棄物を原料として活用し、最終的に廃棄物をゼロにする資源循環型社会の構築を図る事業)を進めている。巨大な製鉄所を抱えた「煤煙の空」「死の海」を克服し、現在は水素社会を支える資源循環型の都市モデルを模索している。生産から消費、ごみ分別回収、リサイクル企業、製品・資源化に至る3Rの一貫した流れや、政府、企業、地域、家庭の多面的な関与から、学生たちは多くのことを学べるのではないかと期待している。

参加者6人はみな女子学生である。北九州の公害問題では、女性が母親として社会運動を盛り上げ、広範な世論の関心を得る功績を残した。女性が社会で果たす役割について、学生たちも強い関心を持っている。また、日本の自然農法を、消費者の食品安全・環境意識、日本人の米文化、自然との共生意識を含めた幅広い視点で掘り下げること、環境保護意識の向上において、学校・社会教育がいかなる役割を果たしているか、など、具体的な研究テーマの検討が進んでいる。

日本への関心はしばしばアニメブームが指摘されるが、中国の若者たちの視野は、とっくにそうした趣味を超え、より深い分野に向かっている。今回の訪日には、こうした中国の現状を日本に伝える役割も担っているのではないかと思う。

取材の成果は学内だけでなく、著名なネットメディアや新聞、雑誌にも発信したい。それが送り出す大学からの強い要請でもある。社会にアピールし、大学のプレゼンスを高めることが求められている。生き残りに必死なのだ。広州では地元の有力メディアへの売り込みもしなければならない。あと2日、滞在する予定だ。



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