行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

二代目「新緑」取材団が命名150年の北海道へ

2018-05-29 16:41:09 | 日記
昨年、九州で環境保護取材ツアーを行ったのに続き、今年は命名150年を迎えた北海道に学生6人を引率する。今夜は上海で一泊し、明日早朝、札幌に向かう。二年連、日本取材ツアーを実現できたのは、学生の日本に対する関心、大学の国際化理念に負うところが大きい。学内でただ一人の日本人教師として非常にうれしく思う。



チームの名前は、昨年使った「新緑」を引き継いだ。「新緑」は、中国の詩人によって好まれた主題で、日本の詩にも多く詠まれている。さらに「新」は大学の専攻にかかわる「新聞(ニュース)」の「新」である。「新緑(xīn lǜ シンル)」は中国語で、心拍を意味する「新率」と同じ発音で、生命の躍動にもつながる。今の季節にもピッタリで、申し分のないネーミングだ。

日中韓首脳会議のため来日した李克強首相がつい先日、北海道を訪問したばかりである。私たちの北海道計画は昨年秋からスタートしていたので、中国の首相訪問とはまったく関係なく進行してきたが、偶然とはいえ、私たちにとっては追い風となった。しかも、李首相が、高齢化社会への対応や、北海道の基幹である農業のハイテク化に関心を示したが、いずれも学生たちが選んだ主要な取材テーマと重なっており、メディアへの出稿がしやすくなった面もある。政治の風を重んじる中国において、中央指導者の意思表示は決定的な意味を持つ。

学生たちと計20回にわたって討議を重ね、絞り込んだ主な取材テーマは以下のとおりである。

1、日本の大学祭とは、その意義
北海道大学の大学祭が60周年を迎えた。模擬店を中心とした楡陵祭、留学生が母国の郷土料理を販売するInternational Food Festival(IFF)に加え、各学部・学科の特色を活かした催し物を行う8つの学部・学科祭を柱として構成される。外部から多数の来客を招く大学祭の意義を探索する。

2、高齢者介護とAI
公益財団法人テクノエイド協会(Association for Technical Aids)が行っている先進技術を取り入れた身体的、精神的な介護支援活動を通じ、高齢化社会におけるAI活用の将来性を探索する。

3、職人文化と地域の発展
かつてニシン漁で栄えた港湾都市の小樽市は、戦後、石炭需要の減少などによって衰退したが、ガラス工芸などの職人芸を伝える観光都市として復活した。また、アイヌの伝統工芸を生かした地域振興も成果を上げている。伝統的な職人文化の現代的意義を探索する。

4、現代農村と人の共生
ハンディを抱える人々が、労働を通じて、一緒に生きることの意味を考える試みが、北海道新得町の共働学舎で行われている。現地を視察し、代表の宮嶋望氏からこれまでの取り組みを聞く。

5、公共交通と地方振興
北海道の人口密度は全国最低の約65人/㎢で、全人口の3割以上が札幌市に集中している。しかも炭坑や林業の衰退で、地方は公共交通機関を維持するための深刻な財政危機に見舞われている。十勝夕張線は2019年に廃線、バスへの転換が決まった。一方、北海道新幹線は開業2年を迎え、札幌までの延伸への期待が語られている。

6、農村ツーリズムの可能性
北海道は自然豊かな農村の景観を生かしたグリーン・ツーリズムで多くの成功実績を持っている。先進的な取り組みをしている富良野や美瑛を実地調査し、中国でも開発が進む「農家楽」の参考とする。

7、森林保護と景観
北海道十勝の「千年の森」で、人間の時間軸ではなく、自然の尺度で景観をデザインし、新しいライフスタイルを提案する高野文彰氏との語らいを通じ、人間と自然との共生を考える。

どこまで中身のある取材ができるかは、学生たち自身の熱意にかかっている。私はそれを後押しする役割を担う。明日からの奮闘が楽しみだ。

本日、授業のある私よりも一足早く上海入りした女子学生6人は、半日、上海の浦東観光を楽しんだ後、合流した私と会議をしたところだ。今はもう寝ていることだろう。新品のパスポートを手に、初めての海外となる彼女たちの目にどんな日本が、どんな北海道が映るのだろうか。10日間の旅が始まった。



根強い中国人の西洋崇拝を描いた卒論

2018-05-20 08:38:45 | 日記
今日から「答弁」と呼ばれる卒業論文の聞き取り審査が始まる。学生がPPTで卒論の概要を説明し、指導教師を含め複数教師が質問をする。重大な欠陥がみつかれば、即刻書き直しを命じられる。卒業生が最も緊張する場面だが、これを通過すれば、卒業が確定しホッとできる。教師は担当する学生以外の卒論にも目を通さなければならないので、この間はひたすら閲読に集中しなければならない。

私が指導した女子学生4人のの論文は概して出来がよかった。「人工知能(AI)が将来のメディア人に及ぼす役割の研究」や「ネット環境が“成人化児童”を生む作用の分析」など、それぞれの興味や将来の職業を踏まえたテーマを設定した。こちらの修正意見にも積極的に応じ、最大で計5回、書き直しをした学生もいる。


最も印象深かったのは、広告専攻の女子学生が書いた論文「国内の平面広告における外国人キャラクターの研究」だ。中国人の西洋崇拝を正面から取り上げた内容だった。平面広告とは、紙媒体で用いられるポスターなどを指す。現代ではネットで流される割合のほうが多い。

日本でもしばしば化粧品や洋服、自動車などのコマーシャルに、高級感を醸し出すため白人を起用するケースがある。西洋への潜在的なあこがれに訴える効果を狙ったものだが、彼女の論文を読んで、中国でも、いやむしろ中国の方がその傾向が強いように思った。

彼女はいわゆる優秀なタイプではないが、自分の独創性を大切にする長所がある。図書館にこもって、地道に、権威ある広告年鑑の過去十年分をめくった。異なる業界ごとに、人物が登場する約千件のサンプルを集め、分析した。

そのうち外国人、主として白人が使われているのは毎年ほぼ2割から4割の間で推移し、目立った上昇あるいは下降の傾向はみられなかった。 折れ線グラフは上下を繰り返し、2016年が37%を超え最高だった。つまり、高度経済成長を続け、生活水準が大幅に上がり、自分たちへの自信を強めている中にあっても、依然として西洋崇拝は根強く残っていることになる。日本へのいわゆる爆買ツアーをみても、中国人観光客はメイドインチャイナよりもメイドインジャパンを評価する心理が強く反映している。

中国は清朝末、西洋の圧倒的な科学技術、生産力を見せつけられ、それまでの夜郎自大な閉鎖体制を打ち砕かれた苦い経験がある。以来、列強に対抗する愛国精神と、劣等感の裏返しである西洋崇拝が混在し、その時々の情勢で、敵視、排外と崇拝、屈服の心理が交錯する複雑な歴史を歩んできた。この点については拙著『中国社会の見えない掟ーー潜規則とは何か』(講談社現代新書、2011)で指摘した。

中国における西洋崇拝はかくも根深い。それだけに、現代社会の中で広告に現れた外国人キャラクターを研究対象として取り上げることは、歴史的にも、現代的にも意味のあることである。

彼女の統計調査によって、興味深い業界の特徴が表れた。広告で最も外国人の起用が多かった業界は不動産と自動車、薬品・保健用品で、それぞれ55、50、50%にのぼった。一方、中国製が世界市場を席巻している家電製品では、外国人の出現率が顕著に減っており、メイドインチャイナのブランド力が着実に高まっていることを裏書きする現象として目を引いた。

自動車は外資メーカーが世界最大の市場を目指してしのぎを削っているので理解できる。薬品・保険用品も、健康に対する関心の高まりが、自国製に比べ安全で、有効な欧米製に対する強い信頼を敏感に物語っているといえる。だが、生活の場そのものである不動産に西洋崇拝が最も顕著であることは驚きだった。私の論文指導の重点の一つは、貴重な統計調査をツールとし、統計結果によって生まれたこの疑問に答えることだった。

確かにマンションの名前を見ても、「国際××」と前置きしたものが目立つ。デザインもヨーロッパの街並みをそっくりまねたような建物が多い。宣伝文句には、「地中海風」「スペインスタイル」「北欧調」などの文字が躍っている。ネットで検索すると、次から次へと外国人が登場した不動産広告が表示される。






中国人にとって家は、伝統的な宗族文化を支える家族の絆にとってのよりどころであり、社会主義体制において個人の私有財産が十分に守られていない中、帰属感、安全感を得るために不可欠な財産である。しかも、貧富の格差が広がる社会において、重要なステータスシンボルになっている。国家、国営企業が人民に家を分配していた時代にはまったく想像もできなかった光景だ。それだけに、家のあり方は、変動し、流動する社会の真相をはっきりと映し出す鏡になる。消費を記号化する広告は、その真相をつかむ格好の手掛かりとなる。

かつ、不動産価格は先進国並み、あるいはそれを超える異常な状況が生まれ、とても普通のサラリーマンが一人で購入できる水準ではない。一生の買い物どころか、親子何代にもわたる投資と化しており、より鮮明に消費者心理を投影する商品でもある。

そこに現れた西洋崇拝、西洋式生活へのあこがれは何を物語るのか。

習近平総書記が中華民族の偉大な復興を実現する「中国の夢」をスローガンに掲げ、ことあるたびに社会主義の優位に対する自信や中華文明への誇りを口にするのは、むしろ現実社会に蔓延する欧米志向にクギを刺すためだと思えてくる。自信や誇りを過剰に強調するのは、むしろ自信のなさの裏返しである。メイドインチャイナがいかにしっかりした地位を築くべきか。一学生の地道な論考が多くの示唆を与えてくれる。

母の日に思い出した男子学生のこと

2018-05-13 11:22:47 | 日記
先日、卒業論文の最終稿提出が締め切られた。この間、盗用を防ぐため、他論文との重複率をチェックするシステムを2回通過しなければならない。2割を超えないことが目安とされているが、1回目は5割に達する学生もいる。即刻、書き直しを命じられる。4年生になって慌てて用意するのだから、他文献の引用に頼らざるを得ないのは当然だ。

中国では、あまりにも粗雑で浅薄な学部生の卒論に対し、修士や博士課程を除き、論文を廃止すべきとの議論も起きている。盗作の字句を手直しして重複率を下げたところで、自分の独創でないことは本質的に変わらない。最初から書き直さなければ同じことだ。コピペ文化は見方を変えれば、共有、共感のシェアリングを支える前向きな面もある。インターネット空間が生んだ世界的な現象でもあるので、根が深い。

4年生の春季、つまり後半16週は、必修のインターンシップがあるので、ほとんどの4年生が大学を不在にする。当地の広東省だけでなく、北京や上海まで行き、訓練を受ける者もいる。4年生のインターンは学生のニーズに応じ、単位目的のため、見分を広めるため、正社員への登竜門として、すでに内定を得ており、事実上の前倒し入社として、といくつかパターンがある。卒論は、インターンの前に初稿を提出するが、実際に仕事が始まってしまうと、なかなか手直しの時間はとれない。粗雑な内容はこんな背景事情もある。

だが、もし卒論を廃止したら、それこそ大学は3年で事足りるような状態となり、職業技術を身につける専門学校と化す。私のジャーナリズム学部でも、卒論作成を前倒しにするか、インターンを選択制にして卒論に専念させるか、様々な意見が出ているが、結論は出ていない。ジャーナリズム学部では、長編記事やドキュメンタリー・フィルムなどを卒論と同じ「卒業作品」として認めているので、中身のない卒論を書くぐらいならば、こうした作品を残したほうがいいと奨励する教師も多い。

私は今季、学生5人の卒論指導を担当した。男子1人、女子4人で、男子は「深度報道」と呼ばれる長編の記事作成を選んだ。実はしばしば授業をエスケープし、宿題の提出を先延ばしして教師を困らせる札付きの学生だった。以前、私の授業でも同じ現象が見られ、単位を落とした。彼は改めて私の授業を取り、もう一度やり直したいと申し出てきた。そのうえで、卒業作品の指導も私に頼ってきた。

何度も何度も話し合いをし、相手の意志を確認したうえで引き受けた。心から改心したいのだという彼の言葉を信じた。だが、とうとう彼の作品を目にすることはなかった。自分の力が足らなかったことを反省した。途中で私が留年を宣告した。取材が十分できていない。私への報告に虚偽がある。締め切りの約束を守らない。以前の彼に戻ってしまっているのを発見したからだ。

あの強い意志はどこへ行ったのか。影も形もなく、ひたすら「卒業させてください」と懇願するばかりだった。器用で、一見人当たりがいい。すでに実家のある地元の新聞社に就職が決まっていた。能力も高い。

彼はこれまでの学生生活の中で、教師の足元を見ることを覚えていた。粘れば最後は教師が音を上げて、「なんでもいいから書いて出しなさい。そうすれば通してあげるから」と言ってくれるはずだと踏んでいた。確かに、留年を出せば、指導教師の責任が問われる。彼はいつの間にかそんな取引を覚えて、私にも「先生を困らせたくないから」と立場を逆転させるロジックを持ち出した。

卒業は一生の問題だから、何でもいいので形だけは書かせて追い出せばいい。そうすれば指導教師として留年の責任も負わずに済む。だが、長い目で彼の人生を考えれば、このまま、人間としての基本ができていないまま、記者になって成功するはずはない。むしろ、個人にも、大学の後輩たちにも、禍根を残す可能性が高い。彼に対して責任を負うということは、彼の人生をとことん面倒見るという覚悟でなければならないはずだ。そこで私は、本人に私の考えを伝え、了解を得た末、後者を選んだ。

彼と話をしていて、家庭のことに話題が及んだ。母はおらず、父親もほとんど構わないという。父親がいない女子学生に話したら、そんな事情は言い訳にならない。両親がいなくても奮闘している若者は山のようにいるのだから、と猛反論を受けた。確かにそうだ。両親が不在で、節約をしながら、必死に学んでいる学生はいる。だが、我が身を振り返れば、今は亡き母の存在はとてつもなく大きい。私の心に広大な大地と、しっかりした根を残してくれた。もし、これらがなかったら、砂漠の中でさまようような経験をしたかも知れない。

昨日は母の日だった。ウィー・チャットでは学生ばかりでなく、教師も参加して、みなが母親への感謝をつづった。ふと彼を想った。今、どんな気持ちでいるだろうか。単位も足らないので、すでに実家に帰っている。来年のことを考えているのか。それとも、母のことを想っているのか。さまざまな思いがめぐる卒業シーズンがやってきた。

教え子が贈ってくれた素敵なプレゼント

2018-05-05 22:43:57 | 日記
4日、北京師範大学で行われた第19回北京大学生映画祭オリジナル映像作品コンクールの受賞発表会に出かけた。今年で25年を迎える北京大学生映画祭の目玉イベントで、大学生向けでは非常に権威のあるコンクールだ。昨年の日本取材ツアーで4年生女子学生の制作したドキュメンタリー・フィルム「師村妙石的人生之旅」(Life of Shimura)がドキュメンタリー部門で入選し、この日は学生と一緒に、指導教師として招かれた。





各部門とも、受賞は最優秀賞の1作のみ。ドキュメンタリー部門では、卒業作品として1年をかけたという北京電影学院の学生による作品が選ばれた。レベルの高い作品が集まった中で、専門性では見劣りするわが大学の学生が奮闘し、入選できたことは素晴らしい。日本大使館の好意で、同大使館の微博(ウェイボー)で作品の入選が紹介された。日中の橋渡しができ、非常にうれしかった。



実際に足を運んでみて、彼女は全国の厚い壁を感じるとともに、大きな励みにもなった。はるか遠くにあると思っていた世界が、手の届くのところにあることを知り、自信を得たようだった。「またチャレンジする」と前向きに話していた。夢を抱き続けることに意義がある。

夜は三里屯の串焼き屋でお祝いの会を開いた。北京のメディアで働く汕頭大学の卒業生2人、実習中の4年生、そして、私の北京時代の若い仲間も含め計14人が集まった。かつて一緒に日本語の本を翻訳し、中国語版を出版した日本留学組の仲間が中心だ。みなが彼女にお祝いと励ましの言葉を贈ってくれた。得難い気持ちを分かち合いながら、旧交を交わすことができたことに感激した。至福の時が流れた。





めったに参加のできない授賞式に同席できたこと、そして何よりも、日中の旧友との温かい再会の場を作ってくれたこと。思いがけない、素敵な贈り物をしてくれた学生に対し、ありがとうの言葉を返したい。

柳絮が鼻をくすぐる北京の1週間だった。物価が高く、競争の激しい首都で、厳しいメディア環境の中、理想を追い求め、歯を食いしばって奮闘する卒業生に会い、頼もしく感じた。ほとんど休みがないという卒業生とは、天安門で待ち合わせをし、景山公園まで歩いた。私は1980年代の留学時代、1人で景山公園の山に登り、夕日を受けて黄金色に輝く瑠璃瓦を望みながら自分の将来を案じた。そんな思い出を語りながら、自分の道を手探りで歩むことの意義、大切さを伝えた。

彼女たちにはもちろん、深い悩みもある。それでも乗り越えていこうとする気持ちを持っていることが尊い。私の若い旧友たちが、学生たちの人生の先輩として、温かい目を注いでくれたことにも感謝したい。

大学に戻ると、すぐに悩みを抱える学生が訪ねてきた。また気の抜けない生活が始まった。明日は、入選した学生を補講授業に招き、作品を一緒に鑑賞しながら経験を分かち合う場とする予定だ。