独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

49日後の安息を得た劉暁波の魂

2017-08-31 17:12:27 | 日記
ノーベル平和賞受賞者、劉暁波氏が61歳で亡くなり、昨日で49日を迎えた。中国では、七日ごとの法要を七回重ねたという意味で「七七」と言い、これで追悼行事がひと区切りついたことになる。故人は苦難の続いた現世での戦いから解放されて、安らかな眠りにつき、天から我々を見守る神になった信じられる。彼を支え続けた妻、劉霞氏の消息が途絶えており、彼女の境遇が気がかりだ。



劉暁波氏の最終陳述「わたくしには敵はいない」(2009年12月23日)を読み返した。受賞者不在で行われた2010年12月10日のノーベル平和賞受賞式でも朗読された文章だ。



--恨みや憎しみは人間の知恵と良知とを腐らせ、敵対意識は民族の精神に害し、生きるか死ぬかの残酷な闘争を煽り、社会の寛容と人間性を破壊し、国家が自由と民主の道に進もうとするを妨害する。だから私は、自分が個人として遭遇したことを乗り越え、国家の発展と社会の変化に向き合い、最大の善意をもって政権の敵意に相対し、愛をもって恨みを解きたいと望む。

--私は期待する。わが国が自由に表現のできる土地になり、ここで一人一人の国民の発言が等しく尊重されることを。ここで異なる価値観や思想、信仰、政治的立場…がお互いに競い合いながら平和共存することを。ここで多数の意見も少数の意見もみな平等に保障され、特に政権と異なる意見が十分に尊重され、保護されることを。ここであらゆる意見がみな陽光の下で民衆の選択にゆだねられ、すべての国民がなんの恐れもなく意見を述べ、決して異なる意見を発表したことによって政治的迫害を受けないことを。私は期待する。私が中国で綿々と絶えることのなかった文字の獄の最後の被害者となり、今後はだれも二度と言論によって処罰をされることがないことを。

--表現の自由は人権の基本であり、人間性の源であり、真理の母である。言論の自由を封殺することは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することである。

--憲法が付与する自由な言論の権利は、まさに中国公民一人一人が果たすべき社会的責任だ。私は無罪である。たとえ罪をかぶせられても、恨みの言葉はない。


プラトンが書き残したソクラテスの弁明を思った。生涯、自ら文字に書き残すことをせず、死刑を裁く法廷で最後の弁明を行った。その才をねたむ狭隘な者たちは、ソクラテスが国家の信ずる神に背いたと誹謗し、法廷で彼が醜態をさらすのを楽しみに待った。だが、彼は全くひるまず、臆せず、恐れず、「私は、自分の無知を知っている」と言い放った。知ったかぶりをして知識をひけらかし、傲慢で厚顔無恥の者たちに比べれば、この点において優っているというのだ。

死の瞬間まで謙虚な心を保ち、真理への探究を貫いた点において、東西の偉人は接点を持ったと言える。したり顔をして饒舌になり、ひと晩たてばもう自分の言ったことも忘れて、また別の虚偽に手を染める。そんな偽物が多い世の中だ。

劉暁波氏が獄中において、どんな気持ちで人生の幕引きを待ったのか。私は「待つ」ということについて、深く考えさせられる。

テクノロジーの進歩によって、人は待つ時間を限りなく短縮してきた。交通も運輸も、そして情報、消費もすべてが高速化した。時間が金銭に換算され、欲望も無限大に膨張した。軽薄さや、虚偽がたちどころに拡散し、人間の脳をマヒさせる。無駄を省き、余裕の出た時間を、有意義に使う暇も与えられず、次への欲望へと駆り立てられる。

ビッグデータがますます巨大化する一方、人々に残る価値ある記憶は減っているのではないか。データベースから引き出される知識の断片ではなく、五感が覚えている真実のことだ。目の前を通り過ぎる事象に振り回され、自分と向き合う時間さえない。待つ時間が短縮され、同時に、人々は待つことの意味を忘れてしまった。まだまだ結論をじっくり待って、考えなければならないことが多い。劉暁波氏が待ち続けたものを、残された我々はまだ得ていない。
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倭から日本、大和へと語り継がれた「ヤマト」

2017-08-30 23:20:34 | 日記
本日、母校の中野区大和小学校を通りかかったら、すでに学校の表札が外されていた。少子化で近くの学校と統合されることが決まり、この春、閉校された。2020年の完成を目指し、統合後の新校舎が旧大和小に建設される。これから解体工事が始まろうとする人のいない校舎を見ていたら、幼少期の記憶がよみがえってきた。娘二人のこの学校に通った。思い出のたくさん詰まった学校である。





大和町にあるから大和小、それを当たり前だと受け止めていた。これまで50年以上も。中国の学生に日本のことを伝えようと思い、日本の国名の歴史をたどるうち、「大和=ヤマト」誕生への理解を深め、自分が住んだ町の名を改めて見直すことになった。不思議なものだ。

かつて中国の史書は「倭(wo)」と記し、文字を持たない「倭人」はそれを受け入れるしかなかった。奈良地方に「ヤマト」という王朝はあったが、中国では認知されず、我(wo)、吾(wu)に通じる倭と名付けられたのだろうか。漢字を学び始めたヤマトの人々は、「夜麻登」「山跡」「邪馬台」などと表記したが、中国に対抗するため「日本」と名乗った。大陸から見ればこちらこそ日の出る場所だというのだ。聖徳太子が607年(推古15年)、遣隋使の小野妹子に託した国書に、「日出ずるところの天子、書を日没するところの天子に致す」と書いたのは、その端緒である。

701年(大宝元年)、唐の官僚制にならった大宝律令ができ、国家の体裁をなしてようやく、文書に「日本」と「天皇」を刻んだ。大陸と朝鮮半島の微妙な政治関係の中から「日本」は生まれた。自ら新たな国名を打ち立てたことで、日本は中国と朝貢関係を維持したものの、属国にはならなかった。当時のヤマト人たちには必死のドラマがあったに違いない。

だが、漢字の読みはまだ「日本=ヤマト」で、8世紀半ば以降、「大和」の表記も同時に使われるようになる。倭と和の音が似ており、よりよい意味の文字を選んだということなのだろう。そして大和言葉から大和絵、大和撫子、大和魂と、次々に独自の生きた表現が生まれた。「和敬清寂」は茶の湯の精神になった。「日本=ニッポン、二ホン」が一般化するのは近世以後だ。

明治以降、西洋文化が大量に入ってくると、「洋紙」「洋書」「洋服」「洋食」の誕生に触発されて、日本のものを「和紙」「和書」「和服」「和食」とあえて区別するようになる。「和」の文字が持っている、なごやかな、おだやかなイメージが日本文化を彩ることになる。『中庸』には、「発してみな節(せつ)に中(あた)る、これを和という。和は天下の達道(たつどう)なり」とあって、和は最高の徳を表している。

「和」は、中国と密接な接触をするなかで、中国の価値観を担って日本の名前に用いられ、西洋との出会いを通じて、さらに深い独自の文化を担うことになったわけだ。

そこでふるさとの名前に戻る。大和町は明治から昭和の初めまで沼袋と呼ばれ、田畑の広がる地だった。徐々に住宅ができ始め、昭和9(1934)年、大和町が誕生する。中野区の資料には、「『新旧住民が大きな和を以て発展させよう』という心意気を表して町名とした。軍国華やかなりし時代、日本を表す言葉であることも考慮された」と記されている。こんなことも初めて知った。そして昭和15年、東京府東京市大和尋常小学校が開校する。

戦前、大和町には青森から上京していた彫刻家の棟方志功が住んでいた。現在の我が家の目と鼻の先だ。そして大和町が誕生した昭和9年、佐藤一英の詩「大和し美(うるわ)し」をモチーフにした作品で、一躍脚光を浴びる。大和が結んだ機縁であろうか。「大和し美し」は、『古事記』にある倭建命(ヤマトタケルノミコト)の有名な歌による。

「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(こも)れる 倭しうるはし」

父の名を受け東方遠征を行い、精根尽き果てた倭建命が、ふるさとのヤマトを思って詠んだとされる。山々と草木に囲まれた風景は、ヤマトの語源が、「山跡」「山外」「山門」だとする推論に説得力を持たせる。

そう言えば、かつて小学校時代、天気の良い日は屋上から富士山が見えた。光化学スモッグに見舞われた都会といえども、山は身近にあったのだ。合併後の新学校の名前は「美鳩小」だという。ハトが平和の象徴であることを思えば、大和にも通ずる。母校の名がなくなったのは寂しいが、悪くない名前だ。
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AI時代のメディア論・・・「不立文字」の領域

2017-08-29 21:32:37 | 日記
私が好きな言葉の一つに、「本来無一物」がある。中国・南宗禅の祖である慧能大師が残したと伝えられる。世界にはもともと煩悩も無く、身も心も無い。だから振り払う塵や埃もない。これ以上ない高みの悟りだ。地位や名誉、財物への執着が人の目を曇らせる。真理に到達したいと思う者にとって、かくありたいと心に刻むべき言葉である。

日本語の中で、中国から伝わった漢字、いわゆる漢語の中には、禅を中心とする仏教典からの転用が多くある。仏教が及ぼした影響の大きさを考えれば、それも当然だ。儒教と仏教はほぼ同じ時期、大陸から日本にもたらされたが、儒教が統治階級の教えだったの対し、仏教は庶民の生活に直接かかわるものだったのだ。もちろん大きく意味の変わったものもある。

鈴木修次氏の『漢語と日本人』(みすず書房)が、『碧巌録』や『無門関』など代表的な禅の書から、日本語となった漢語の実例を多数挙げていて、参考になる。禅書には、道理、理論、理路、議論、意識、知識、見解、心境など思惟にかかわる言葉が頻繁に使われており、日本語に少なからず影響を与えたことが推測される。応用、葛藤、工夫、向上などもまたしかりである。、

禅家が愛用した言葉の中に、「言語道断」がある。日本では「とんでもない」という意味に転じているが、もとは、言葉での説明では到達のできない奥深い真理を語る際に用いられた。言葉は因果を語り、論理の中に閉じこもる。そこから解放されるために必要なのは、あらゆる執着を断ち、無一物となって感じるしかない。

『碧巌録』の第一則にはには次の言葉がある。

「不立文字、直指人心、見性成仏、もしこのように会得すれば、すぐに自由の身となることができる」

鈴木大拙の『禅と日本文化』(原著『Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture)』)は「不立文字(ふりゅうもんじ)」を禅の核心とする。言葉によらない、直観による悟りだ。本読んだり、実験をしたりして得られる知識ではなく、執着を解き、超越的な孤高の境地を極めるうちにたどり着く知識である。まさに無一物の悟りに等しい。

慧開の『無門開』は、「無」を説くところから始まる。

僧が禅師に、「犬に仏の心はあるか?」と問う。「草木国土悉皆成仏」である以上、あらゆるものに仏性があるのだから、あえて問う必要のない言葉だ。だが、禅師の答えは「無」だ。有る無しを答えたのではない。そうした二元論の思考を超越した境地、それが「無」だというのだ。

言葉にできるのはここまでだということなのだろう。あとは直感によるしかない。実は、荘子の斉物論も同じことを言っている。言葉が生まれて対立する概念が生じ、人の目を曇らせた。だから真理にたどりつくのは言葉によるわけにはいかず、感じるしかないのだ、と。東洋の知恵は偶然にも一致をみている。

言葉を捨てて虚無に陥り、厭世や退廃に向かうのではない。むしろ、言葉をぎりぎりまで信じたがゆえ、その先にある境地だと考えたい。人は容易にそこまでたどり着くことができない。もしかすると永遠に。だからこそその営みが尊い。

コンピューターはすべての情報を「0」か「1」に分け、それを組み合わせる二分法によって無限の認識をすると設計されている。そこには「0」と「1」を超越する「無」の入り込む余地はない。最初から、言葉でとらえることのできない人間の直感は排除されている。

われわれのコミュニケーションは、言語によるもの以外、触覚や視覚、聴覚、さらには直感といった非言語の要素で成り立っている。ときには非言語が、言語以上にコミュニケーション能力を発揮することがある。ネット空間のスクリーンを見ているだけでは体感できない世界がある。だからわざわざ教室に足を運んで、同じく気を吸い、顔を見合わせながら議論するのではないか。

シリコンバレーの人々だけで構想されるバーチャル世界を、一緒になって、無批判、無反省に追いかけるだけでなく、少しでも異なる価値観をぶつけ、技術を人間の手の内に引き戻すことを考えてもいい。
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AI時代のメディア論・・・「必然」の法則12

2017-08-29 00:05:26 | 日記
『WIRED』誌創刊編集長、ケヴィン・ケリー氏の最新著『THE INEVITABLE』(服部桂訳『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』)は2016年1月、世界に先駆け中国語版が先行出版されてベストセラーとなり、日本では同年4月に発行された。中国のネット人口は7億を超え、世界一である。強力な国家政策の後押しもあり、EーCOMMERCEは日本より進んでいる面もある。出版社からすればこの読者市場を無視するわけにはいかない。

中国語のタイトルは『必然』である。中国では外国の著作物について、忠実に直訳を用いることがほとんどだ。読者の目を引くため、凝った訳が考えられる日本とは異なる。



技術の実用化には、旧技術の更新を伴うため、むしろ一足飛びに進むことのできる後発の利がある。中国やインドはそのメリットを生かし、IT分野での主導権争いに加わっている。中国の大学や研究機関では猛烈な勢いでインターネット研究が行われている。私のいる汕頭大学でも、世界のインターネット報告を文書化するべく、私にはこの夏休み、日本編をまとめるミッションが与えられた。中身はともかく、とにかく走り出そうというお国柄である。

7億超のネット人口とはいっても、全人口の半分余りだ。ネット人口が8割を超える日本などの先進国とは大きな差がある。マックス・ウェーバーがすでに中国の「二重構造の文化」を指摘したように、この大国には常に階層が存在している。王朝体制のもと、支配階級は儒教に縛られていたが、庶民は生活や人生の難題を解いてくれる仏教や道教を信仰した。だが、若年層の携帯普及率に限れば、ほぼ先進国並みだ。後発の利は間違いなく発揮されている。

手元に長く置く本ではないと思い、同書を近くの区図書館で借りようとしたら、25人の先約があった。すでに出版から1年がたっているというのに、とんでもない人気だ。順番を待っていたらさらに1年かかる。やむなくアマゾンで購入した。わからない用語はすっ飛ばし、パラパラとめくるように速読した。すでに多くの感想が書かれていると思うので、率直な感想だけを記す。

読みながら、「これがシリコンバレーで交わされている日常会話なのか」と知り驚いた。世界の半数がまだネットに接続できていない状況で、すでに人間と技術が過剰なまでに共生する姿が、エネルギッシュで、煽情的な表現で描き出される。人はもはや携帯も持つ必要がなく、体に身につけたデバイスが目となり耳となる。人はコンピュータの中にいて、「身体がパスワード」と化し、「テクノロジーはわれわれの第二の皮膚になる」。どこでも目の前にスクリーンが浮かび上がり、欲しいものを注文し、読み、書き、自由に人の顔を見ながら会議ができる。

「もし未来において、誰かがぶつぶつ言いながら目の前で両手をダンスするように動かしていたら、それはコンピューターで仕事をしているということなのだ」

こんな世界が遠くない将来に出現するのだと予測する。どこの国でも、どんな言語でも…というのだが、ネットに接続していない人々が半数いることは切り捨てられている。後発の利どころではなく、遅れて加わったものは、たちまち迷子になり、バーチャルのスラム街に駆け込むしかないような不安も抱かせる。どれほど楽天的に考えても、みなに自由で平等な楽園が生まれるとは、とうてい思えない。

それでも、光明が感じられる点があった。筆者が当初、可能性はないとみていたウィキペディアだ。不完全な内容ながらも、無料で、自由にシェアリングすることによって、人々の知的好奇心を刺激し、多数の参画が絶えず改良を進めている。

筆者は、ウィキペディアを「集合精神の有効性を示す生きた証拠」だとし、率直に語る。

「私はかなり強固な個人主義者で、自由主義(リバタリアン)教育を受けたアメリカン人だが、ウィキペディアの成功によって、社会の力についても評価するようになった。そしていまでは集団の力や、個人が集団に向かうことで生じる新たな義務について、より関心を抱くようになった。市民の権利を拡張するのと同時に、市民の義務も拡張しなくてはならないと考えている」

まるで、独立した市民が公共空間で共有財産を築いているようなイメージを起こさせる。現代のメディアに欠け、ネット社会が直面している最も深刻な問題に答える鍵が隠されていることは間違いない。これが遅ればせながら、同書から得た最大の収穫だ。

中国ではエリート層を中心に、我先にと新技術に飛びつく人々がいる。と同時に、天命を信じ、足ることを知りながら生活している庶民らの光景も、私の頭の中には浮かんでくる。世界に先駆けた出版だが、たぶん、町の図書館に予約をする人はもういないだろう。これがこの国の面白いところだ。
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AI時代のメディア論・・・「豊かな娯楽」への抵抗

2017-08-28 09:17:19 | 日記
夏休み中でも学生からチャットで様々な連絡が届く。

7月、メディア業界に就職したばかりの卒業生は、すでに仕事に対して疑問を持ち始めた。秋の第19回共産党大会を控え、多少なりとも政治に触れるテーマは取り上げることが禁じられる。果たして自分にとって価値ある仕事なのか、答えが見つからない。別の会社の面接を考えているという。両親は自分の好きなようにしていいと支持してくれているが、これ以上、経済的な負担はかけたくない。

企業でインターン中の新4年生は、自分だけが暇で、時間を浪費しているように感じている。インターンは必修科目でもあり、就職につながる機会でもある。このままではみなに遅れを取るのではないか。不安なのだ。他の同級生と同様、3年間ですでに全単位を取得した。最後の1年は就職にかける。まるで大学が職業専門学校に変わってしまったように感じている。

実家の農村に戻って夏休みを過ごしている学生は、将来に備え、自動車の教習所に通っている。どこへ行っても、友人とおしゃべりをするのに携帯は欠かせない。だが先日、祖父母の前で携帯をいじっていて、話しかけられているのに気づかなかった自分を反省した。老人を無視したことで、不孝者のレッテルを貼られるのではないかと恐れている。まだ伝統的な観念が強いのだ。

かつてないスピードで社会が動いている。携帯のソフトは日々アップグレードし、新しいニュースが次から次へと消費されていく。先生からは読書しろと言われる。だが、とても落ち着いて分厚い本を拡げていられるような雰囲気ではない。更新されていくサイトのページを追うことで精いっぱいなのだ。歴史や経験の重みが失われ、迷信からは解放されたが、伝統や価値観が同時に流出し、不安におびえている。わらでもすがりたい気持ちになる。

学生の一人から、ネットで話題になっている社会批評の文章が送られてきた。筆者は、町中で見かけたある光景について考える。中国の大都市で大ヒットのミルクティー店「喜茶」に行列ができている。何時間も並んで待つという。その間、何をしているのかと思えば、9割以上は人気の電子ゲームソフト「王者栄耀」で遊んでいる。



マクルーハンは、我々は道具をつくり、道具が今度はわれわれを形作っていると言った。消費娯楽文化は我々のために鳥かごをこしらえ、我々は心から満足して、一歩一歩中に入っていく。

マクルーハンの言葉を引用した後、筆者は1995年9月から10月にかけ、ゴルバチョフ財団がサンフランシスコで開いた国際会議に触れる。サッチャー元英首相やブッシュ元米大統領ら政治経済のリーダー500人が集まり、グローバリズムについて議論した。世界の富が2割の人口に集中し、8割の人々は片隅に追いやられている。この現状を放置すれば、格差が深刻な対立に発展するとの危機感がある。

そこで、カーター政権で国家安全保障問題担当補佐官を務めたブレジンスキーが、8割の人間の口を乳首(titty)でふさぎ、受けのいい娯楽ニュースを与え、徐々に戦いの熱意や欲望、思考能力を失えばいい、と提唱する。自主的な思考や判断能力を失えば、やがてはメディアが代わりに考え、判断してくれると望むようになる、というわけだ。これは「titty」つまり栄養と、「entertainment(娯楽)」を合わせて、「tittytainment(=豊富な娯楽)」戦略と呼ばれる。

この戦略については初めて知った。筆者は、ミルクティーと電子ゲームの組み合わせを「tittytainment」の典型として挙げ、「目下ところ、この戦略は成功している」と述べる。衆愚を利用した専制に等しい状況だ。専制は、ある時、急に上から降りかかってくるものではなく、日々の生活の中から無自覚の中で育っていく方が恐ろしい。

やがて、ミルクティー店ではAIが製品を作り、レジに立っていることだろう。AIの恩恵で余暇を余した人々が、娯楽にはけ口を求め、飽くことのない消費に溺れるとしたら、将来は決して楽観できない。思考と判断を他に委ねれば、重荷から解放され、安逸をむさぼることに熱中できるだろう。つかの間の不安からも逃れることができるだろう。だが、誘惑に負ければ、大きな代償として自由と独立を失う。それは為政者にとって、願ってもない予想図なのだ。

人間は自ら作った技術によって、自分たちを作り直すことになる。メディアに服従すれば、主人公の地位は放棄したことになる。いかにメディアに参画し、身の丈に合ったものに育てていくか問われている。電子ゲームの時間を半分削り、読書に自足する余裕を持つだけで自由と独立を守れるのであれば、十分割に合うはずだ。

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