独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

北京で見つけた鯉のぼり・・・竜の門をくぐり抜ける縁起

2015-07-31 09:04:13 | 日記
29日、天安門と王府井でそれぞれ赤と黒の鯉のぼりを見つけた。いずれも観光ガイドが目印として掲げていたものだ。ちょうど日本でマンションのベランダに飾ってあるサイズのものである。

旧暦5月5日の端午の節句はもともと中国から伝わった。その日、憂国の情を抱いて川に身を投げた屈原を忍ぶための祭日だったが、日本では江戸時代以降、男児の栄達を願う日になった。そこで持ち出されたのが、竜の滝登りに象徴される縁起のよい鯉だった。中国では官僚を登用する難関の科挙に合格することを「鯉が竜門をくぐる」と言い、やはり出世と関係がある。

日中両国は2000年に及ぶ交流の歴史の中で、文化が行ったり来たり、循環するような関係を築いてきた。漢字も循環している。今回の滞在中に覚えた和製中国語がある。コンプレックスを略した「控(コン)」。好きなものの後につけて、人の性向を示すのに使われる。「羅莉控」は「ロリコン」、「正太控」は「ショタコン」(実はショタコンを今まで知らなかったのだが・・・)、「大叔控」は「おじさん好み」ということになる。

日中の文化交流史には埋もれてしまっている歴史もある。それらを語り継ぐべき本の編集に着手した。日本僑報社の段躍中氏と発案した発信力シリーズの第三弾である。2013年にはメディア界の声をまとめた『日中対立を超える発信力 中国報道最前線総局長・特派員たちの声』、2014年は『日中関係は本当に最悪なのか 政治対立下の経済発信力』を編集したのに続く文化編である。

一昨日は北京で『経済発信力』の中国語版について中国の出版社と打ち合わせをし、10月発行で基本合意した。33人の執筆陣もボランティアながら、翻訳作業も十数人の中国の若者が手弁当で仕上げてくれた。みな日本留学の経験がある力強い日中交流の力である。8月15日、9月3日と日中関係が緊張する局面が続くが、現地の空気は至って楽観的だ。日中の政治家たちには、少なくとも民間交流に水を差すことはしないでほしい、というのが私を含め多くの人たちの願いである。

悪化させた原因は政治家にある以上、元に戻すのが最低限の責任である。ハードルを上げておいて、少し下げて手柄にしようとするのが政治家の常だが、庶民はそんな詐欺的手法にごまかされるほど愚かではない。もうすぐ搭乗時間だ。8月15日を日本で過ごすのも10年ぶりだ。
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「放った矢は戻ってこない」と「走り出したら止まらない」の違い

2015-07-31 06:16:04 | 日記
昨晩、郭伯雄前中央軍事委副主席の党籍を剥奪し司法機関に移送することが党中央政治局会議で決定された。今回の旅は令計劃前党中央統一戦線工作部長の処分で始まり郭伯雄の処分で終わったことになる。同会議ではやはり「幹部は厳格に政治の掟を守らなければならない」ことが強調された。「政治の掟」はすっかり定着したが、今回はもう一つ加えられた言葉がある。「三つの"厳"と三つの"実"」だ。

習近平総書記が持ち出した新たな政治道徳スローガンで、「厳格に身を修め、厳格に権力を使い、厳格に己を律する」と同時に、「計画は実を伴い、仕事は確実で、人としても誠実である」との内容だ。7月1日、習近平が「"三つの厳と三つの実"は全面的に改革の深化において重要な試練である」と明言して以来、にわかに党幹部の学習会が強化された。私の訪問中、各レベルで頻繁に学習会が開かれ、反腐敗の道徳教育に疲れた党幹部たちは食傷気味の観があった。

政治道徳の学習会をいくら繰り返しても効果は期待できないが、党を超えた監督機能を認められない以上、党内の自律による伝統的手法に頼るしかない。高官の摘発を公表して脅しをかけ、それを反面材料として道徳キャンペーンを進めるのは常套手段である。8月1日は人民解放軍の建軍記念日で、9月3日には抗日戦争勝利70周年記念の軍事パレードも控えており、軍内の引き締めを強化するぴったりのタイミングである。習近平の権威が高まるにつれ、王府井の絵皿の売れ行きもよくなるのであろう。

令計劃の処分を決定した党中央政治局決定の中で、「放った矢は戻ってこない。反腐敗に休止符はない」と宣言していたのを思い出した。「放った矢は戻ってこない」との表現は、固い決意を示す際に用いられる表が、習近平政権下で特に多用されている。まだまだ腐敗摘発の手を緩めるわけにはゆかない。政敵の反発を生む反腐敗は、いったん休息のサインを発すれば、反撃の危険にさらされる。摘発を受けた周永康前党常務委員による暗殺計画まで発覚した習近平にとってはなおさら息が抜けないのだ。

「放った矢は戻ってこない」を文字通り解釈すれば、いったん走り出したことはもう止められない、と読み取ることもできる。全面的な改革の深化を念頭に置けば、それは市場化の徹底を意味する。政府の権限を減らし、市場の作用に委ねる大方針は、持続可能な成長を実現するために不可欠な選択として得られた結論だ。後戻りはできないはずだが、それに味噌をつけたのが、6月中旬からの上海株暴落で政府が株式売却禁止などの強権介入を行ったことだ。

市場経済と逆行する動きに海外からの批判が高まったが、政府は市場化を犠牲にしても、民心の安定を優先させた。群衆の支持をあてにする政権としては当然の措置だったのだろう。市場が走り出したら止まらない状態にならないよう、しっかり手綱は締めておくとうことだ。市場化は目的でなく手段に過ぎないとすれば、それも十分理解できる。放った矢は勝手に飛んでいるわけではないのだ。しっかりと見えない糸で縛られ、行き先も定められているのである。固い決意は矢の方にあるのではなく、矢を縛る見えない糸の方にあると考えたほうがよい。

※昨夜は疲れて早く休んでしまったので、夜明け前に目が覚めた。これから目の前にある空港に行こうと思うが、今日こそは順調に飛んでほしいと願う。
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王府井で毛沢東よりも高く売られている習近平を見つけた

2015-07-30 17:47:03 | 日記
10日間の上海、北京も最終日を迎えた。少し時間ができたので29日の日中、天安門と王府井を歩いた。地方からの観光客でにぎわう場所である。習近平総書記が語るいわゆる「群衆」の中に身を置き、「群衆」の視点に立つ貴重な体験をしようと思い立ったのだ。

地下鉄一号線の天安門東駅で降り、毛沢東の肖像画が掲げられた城楼に向かう。にわか雨が上がり、太陽が照り付ける。観光客はみな汗でシャツがびっしょりだ。9月3日の抗日戦争勝利記念日にはこの城楼に習近平以下、国の指導者がずらりと顔をそろえる。長安街の反対側には軍事パレードの舞台となる天安門広場が広がる。反テロ対策強化の工事が行われているとのことで、広場は立ち入りが禁止されていた。がらんとした空間の中、国旗を掲揚したポールの左右で毛沢東記念堂に向かって起立する二人の武装警官が際立って見えた。

厳格な手荷物検査をくぐり抜け、まず目にしたのは小さな段ボールを手にした女性が、2人の男に取り押さえられている光景だった。男たちが笑っていたので、最初はじゃれて遊んでいるように見えたがそうではない。小柄で日焼けした女性は、2人の男性が奪おうとする段ボールを必死に守ろうと抵抗している。箱が破れ中からアイスキャンデーがこぼれ落ちる。拾おうとする女性を捕まえて、地面のアイスキャンデーを踏みつける年配の男性。「城管執法」と書かれた電気自転車が横にある。もう一人の若い男性はアイスキャンデーをいくつか拾い上げ、へらへら笑いながら持ち去っていった。騒ぎが収まると、清掃担当の別の男性が来て、女性に「ごみは拾っていけ!」と命じる。

天安門前の歩道は営業禁止だが、本来、営業のできる広場は閉鎖されている。彼女は少しでも金を稼ぐため唯一の生活の糧であるアイスキャンデーを持ち込んだのだろう。ルールを守らないのは悪いが、そこまで粗暴な扱いをする必要はない。明らかに過剰で不当な取り締まりだ。街頭での違法な営業行為を取り締まる「城管」は、粗暴な振る舞いで悪名が高い。人を暴力を振るって社会問題になることもしばしばある。

観光客の集団は見て見ぬふりをして通り過ぎていく。同情はしても、事件にかかわりたくないのが人情だ。城菅も社会的地位は低く、群衆の一部である。彼らの振る舞いを見てわかる通り、教育水準も高くない。社会の底辺にいる群衆同士がもみ合う光景を、肖像画の毛沢東はどう見ているのであろうか。

地下鉄で一駅戻り王府井を歩いた。全国各地の食べ物がそろうグルメ街の一角に、北京の土産品を売る露店が並んでいた。今年の1月来た際は、毛沢東の大きな絵皿と一緒に習近平の絵皿まで置かれているのを見つけ驚いた。その後どうなっているのかと興味が湧いた。現場を見てびっくりした。大きな習近平絵皿のほか、中型のものや彭麗媛夫人とのツーショットもある。同じ絵皿を置いてある店も以前より増えているが、数の上でも明らかに毛沢東を凌駕している。わずか半年で、習近平人気がここまで高まっているとは。

複数の売店で聞いてみると、地方からの観光客を相手に売れ行きは上々だという。値段は大きな絵皿が言い値で150から180元、中型のものが80から120元。同じ大きさでも毛沢東より習近平に高い値段をつけている店もあった。こんな現象はかつてなかったことだ。

習近平人気は容赦のない腐敗摘発と群衆を重視するパフォーマンス、ネットで習近平をキャラクター化させたアニメを流すなどの親民工作によるが、ここのところにきて少し陰りが出てきたようにも思える。反腐敗運動の長期化で役人の意欲が削がれ、人権派弁護士の相次ぐ摘発で知識人からの不評を買い、上海株の暴落で大損した都市部の若者たちの不満も政権に向かっている。その結果はやはり毛沢東と同様、群衆頼みということになるのだろうか。軍事パレードの意図が透けて見えたような気がした北京散歩だった。

※本日、北京から上海経由で東京に戻ろうと思っていたところ、北京発便が昨晩の雷雨により大幅に遅れ、上海で一泊することに。中国はそう簡単には帰してくれないのかな。明日朝の便に切り替えたので、夜の宴会には間に合います・・・上海浦東空港にて

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王岐山が煙に巻くような会見で言いたかったことは・・・

2015-07-26 23:31:08 | 日記
昨日、北京に着いた。ずっと続いていた雨は上がり、その分、上海が大雨に見舞われたようだ。1か月半ぶりの中国だが、上海でも北京でも、違和感が全くないのは、この地とかかわり続けることを誓った心の持ちようがそうさせているのだと思う。

上海株暴落の話はもう過去のものとなり、割増料金でタクシーを呼ぶ携帯アプリがすっかり定着した。多くは営業許可を得た正規のタクシーではなく、高級車でサービスの良い「専車」や素人の「順風車」だ。白タクが堂々と町を走っているのである。市場からルールへの異議申し立てが行われているわけだが、公共交通という別のルールがないがしろにされている。この国の社会は、行き先のわからない高速鉄道にみなが競って飛び乗っているような感がある。日々が実験なのだ。

先日、王岐山党中央規律検査委書記が4月23日、中南海でスタンフォード大学教授のフランシス・フクヤマ氏、青木昌彦氏と会見した際の王岐山発言が話題になった。王岐山氏の進める反腐敗の行方に注目が集まっている上、青木氏が1週間ほど前、亡くなったばかりだったこともある。会見のメモは同席した中国中信集団(CITIC)の徳地立人氏が作成し、多くの人の目に触れている。王岐山氏が一方的に国際的な学者を煙に巻くような印象がある。

気になったのが、王岐山氏が「自分を監督することは難しい。医者が自分に手術したのは世界に一例しかない」と腐敗撲滅の難しさを語った一節が独り歩きし、全体の意味が伝わっていないことだ。確かにその表現はあったが、王氏は続けて「実践の中から自信が生まれている」と述べており、反腐敗運動の成果には疑いのない自信を持っていることがうかがえる。習近平政権に反腐敗の迷いは感じられない。

毛沢東が「医者が盲腸を切ればその人は助かるの」と言い、それを受けて習近平氏が「人の思想や作風も病気になったら治さなければならない」と「治療」の必要を繰り返している。王氏の発言は「難しい偉業に我々は取り組み、成果を上げている」ということに本意があるとみるべきだ。

実際、王岐山会見での発言には、中国の自信を語り、相手を煙に巻くようなニュアンスがある。たとえば「中国文化には優秀なDNAがある」と独自性を強調し、「5000年の歴史を持った国が新たな出発点に立っている。執政党は13億人を忘れるわけにはゆかない。これが中国的特色であり、我々はこの尺度を知っている」「人類の文化の最も基本的な要素は中国もみな持っている」と述べている。

王氏は「習近平総書記は中国の近代化が何世代、何十世代を要することを知っている」と言及し、いわゆる紅二代政権の大きな尺度を解説している。親たちの業績を背景に、「自分たちこそ国を救うために現れた救世主だ」と言わんばかりである。

「歴史は史記ではなく孔子から始まる」
「孔孟の道を学ばなければならない」

王氏の言葉には伝統回帰の意味がふんだんに盛り込まれている。

それと学者2人を前に、読書の必要性をアピールしているのも目を引く。知識の飢餓を経験した文化大革命世代は読書に対し、強いコンプレックスの裏返しとしての渇望がある。李克強首相も2014年、2015年と2年連続、全国人民代表大会に提出した政府活動報告で、全国民に読書の習慣を提唱する「全民閲読」を強調している。

問題はどの本を、どのように読むかである。読書が独立した思考を育てるためのものではなく、上からの思想教育に利用されるのであれば、世界と価値観を共有する道はますます遠ざかるしかない。あと数日、北京に残り、中国人の本音を聞いてみようと思う。
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万里を追悼した習近平の胸の内は

2015-07-23 18:56:31 | 日記
中国の指導者は、共産党旗に包まれて彼岸への見送りを受ける。99歳で他界した万里元人民代表大会委員長の追悼式典が22日、八宝山革命公墓で行われ、荼毘に付された。遺体の前で3回礼をし、遺族と握手をして慰問の言葉を伝える習近平氏の姿が放映された。神妙な顔をした彼の口が何を語ったのか。万感の思いがあっただろう。広東省深圳で不遇な晩年を過ごした父親の習仲勲を見舞った数少ない指導者の一人が万里だった。父親の大恩人である。

万里は安徽省党委書記として、社会主義の大原則である生産手段公有を破り、農民に田畑を分配して生産の自主権を与え、生産高を飛躍的に伸ばす実績を上げた。飢えに苦しむ農民を目の当たりにし、イデオロギーに縛られることの愚を悟り、それを実行する胆力を持った。同じ手法を四川省の趙紫陽も導入し、当時の胡耀邦総書記は「生産請負制は万里が一番で、趙紫陽が二番」と評価し、小平も支持を与えた。1970年末からの改革・開放政策は、こうした現場の実践から生まれた。

同じように小平に「独立国であれば自立できる」と大胆な権限譲渡を求め、広東省で改革開放の土台を作ったのが広東省第一書記の習仲勲だった。万里と習仲勲は開明的な思想を共有した盟友だった。習仲勲は胡耀邦を支持したことで小平の怒りを買い、北京を追われ隠居を強いられる。万里は保守派の反対で党中央政治局常務委員にはなれなかったが(政治局員止まり)、小平の強い信任を得て官途を全うした。明暗は別れたが、二人の関係は揺るがなかった。習近平氏もこのことは父親から直接聞かされているに違いない。

2009年の『万里国慶節講話』によると、深圳を訪れた万里に習仲勲はこう言った。

「この国家、この党に対し、うれしく思うことが一つ、そして遺憾なことが二つある。うれしいことは、自ら進めた華南地区の改革開放が国家発展の先駆者となったことだ。遺憾なことの一つは、歴史上の重大な冤罪を見直すことができなかったこと、もう一つは、党が異なる意見を受け入れる政策を推進できなかったことだ」

歴史上の重大な冤罪の見直しとは、習仲勲とともに陝西省で革命根拠地を築いた高崗の名誉回復を指す。後者の遺憾は、異なる意見を発表する権利を守る不同意見保護法である。これは彼の遺言となった。高潔な人柄で多くの人々から慕われた習仲勲は、党の利益を第一に考えながらも、党を支える個人の存在を大切にした。彼ほどの人格と信念を合わせ持った人物は共産党史に多くない。だから万里は、習仲勲の言葉を世に伝えることに使命を感じたのであろう。

万里も政界引退後は一切、政治に口をはさまず、後進に道を譲った。潔い生き方を貫いたと言える。年老いてなお権力欲から逃れられない「老害」がはびこる党内において、万里は高い人望を得ている。

今、多くの人が戸惑っている。習近平政権が進める強権的な施策、特に人権派弁護士の相次ぐ拘束、歴史月刊誌『炎黄春秋』への不当な弾圧、これがどうしても習仲勲の遺言とは釣り合わない。だから気になってしょうがない。万里の遺族にどうお別れの言葉を伝えたのか。「政治の掟」とは何なのか。今、窮屈を感じる知識人たちが米国に逃れている。残っている人たちに聞いても、だれも答えられない。



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