ぱぐぱぐ通信

環境にわるいペットボトル飲料を買わないジョー・てるりんの絵日記みたいなものです。

被災者はがんばらなくてもいい…

2011年05月06日 14時38分01秒 | ささいなことですが
微力ながら2~5日、東日本大震災の津波の被害にあった宮城県石巻市に行って

がれきや泥を運んできました。

浜松市や磐田市から集まった総勢71人の部隊。

この中には、ミニバスで頑張った選手のお父さんで、てるりんのご近所さんもいて、

お互いにびっくりしました。



石巻専修大の中に設けられているボランティアセンターで受付をしました。

石巻専修大の近くにある石巻市総合運動公園は、自衛隊の基地になっていました。



深緑色の車両がたくさん並んでいました。

たぶん、990台ほどのはずと想像しています。

石巻市は仙台市に近いから、というのがその理由です。






ボランティアセンターのコーディネートで向かった先は、石巻市雄勝町立浜の漁港。

ボランティアがほとんど入ったことのない場所らしい。

自衛隊が鉄板を何百枚も敷いてつくった仮設道路をすすみました。



漁村には震災前、約50戸がありましたが、ほとんどが流されたり、屋根まで海水につかったり。

50日ちかくたつのに、流されて道路をふさいだ家はそのままだし、

レンガや廃材も野積みされたまま。根元から折れて曲がった電信柱の周囲での作業は、

肝を冷やします。




「観光バスで何しにきたんだ」という小さな声が聞こえてきましたが、

浜松からの交通手段がほかになかったのでしかたがありません。



重機がないなか、手作業で柱やぬれて重くなったたたみを運び出します。

泥で汚れた子猫の縫いぐるみや、

同級生と笑顔で写っている写真が貼られたアルバムを、

「持ち主が現れてくれるといいね」と話しながら、日当たりの良い場所に置きました。


れんがやタイル、冷蔵庫、テレビなどは、所定の場所へ。

一車線にしか見えなかった道路は、約4時間の作業で、二車線に見えるようになりました。



土台だけが残った敷地で洗濯物をほしていたおばあちゃんが

「よく来てくれたなあ」と、すこしうるんだ目で話しかけてくれました。

そのおばあちゃんのお宅は、

漁港に浮かんでいるのです。



地震の影響で地盤全体が75センチ~1メートルほど沈んだといい、

満ち潮になると、海水がひたひたと道路に押し寄せてきます。

おばあちゃんの家も、この時だけは少しだけ陸地に近づきます。





被災者の人たちは

頑張らなくていいです。

そのぶん、私たちが頑張ります。




仲間の一人が、そんなことを言っていました。

到着したときに「観光バスで…」とつぶやいた若者が、

小さくうなづいてくれたように見えました。









あんずさん


ほら、卓球って、片仮名で言うと…。

だから卓球が「正解」なのです^^





双子のパパさん


道中、無事で何よりです。ふたごちゃんも大活躍でしたね。

これからが大いに楽しみ。次回はゆっくりとお話ししましょう。





つぐさん


初めまして。ロボットの動画というと、例の「パーフォーム」がダンスをする動画でしょうか。

あの4人の彼女たち、いまごろ何をしているのでしょう。

彼女たちのお父さんとは、8日にバスケの会場であえるのかな?


あしあと