Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

新しい目、1

2016-10-13 17:30:55 | 日記

 それは入学式から何日目だったでしょうか、

まだクラスの後ろの壁に名簿が飾ってあった時期の事です。

私の名前は難しい読み方なので、生まれてこの方、初対面で読めた人がいませんでした。

それで、今回もこの名前が読めないという事で、散々な目に遭ってしまいました。

所謂苛めの代表格のような物、ばい菌扱いされてしまいました。

 私はその内収まるだろうと高を括っていたのですが、どちらかというと収まるより段々酷くなって行ったのです。

今までの小学校では誰もこんな事はなかったので、行き成りの苛めにはびっくりするというより、

全く慣れていなかった現象に戸惑ってしまい、あれよあれよと傍観(自分の事なのに)する内に拡大して行ったのでした。 

 元々のんびりしていた私の事、気にしなければその内収まるだろうと思っていましたが、

1学期も終わる頃には、段々と向こうから来た小学校の男子が苛めグループと化して、

皆で攻めて来るといった感じになっていました。

 これには、如何にのんびりとして押取りした私でも青ざめてしまいました。

こんな中、暗い気分でも学校を休まずに通えたのは学問が好きだったからでした。

休むと勉強が遅れる、分からなくなってしまう、塾にも行っていなければ参考書も無い、

学校の勉強だけで来ていた私には、授業を休むという考えが全く浮かびませんでした。

 また、這う這うの体でも中学に通えたのは、女子の方は全く苛めに参加していなかったという理由がありました。

女子からは全然嫌がられているそぶりが無かったのでした。

これでクラス全体から苛められていたら、やっぱり登校拒否になっていた事でしょう。

所謂針の筵というほどの酷い状態でしたからね。

 こんな絵に描いたような苛めも、一時引きかけた頃がありました。

中間試験の頃です。そんなに成績が悪くなかった事と、苛めに遭っても動じない態度でいたのが良かったのでしょう。

のほほんとしていたので、男子が静かになり始めていたのですが、如何いう訳かまた苛めの波が復活し、

前より酷くなる様相でした。

そんな中で期末試験を乗り切り、やっと夏休みへと辿り着いたのでした。

 しかし、夏休みに入って2、3日した頃、私は遂に思いを吐き出すように父に言いました。

「私転向しようかな、転向したいんだけど。

ポツンとした言い方でしたが、

父は如何してかとすぐに相談に乗ってくれました。

 

 


新しい目

2016-10-13 17:13:50 | 日記

 中学生になると、小学校2校が合わさるので生徒数がガバッと増えました。

1学年に、一気に今までの2倍以上のクラスがあり、新しい顔ぶれのクラスメートと同級生に、気持ちも新たなスタートとなったのです。

私服の小学校時代と違い、制服がありました。皆同じ出で立ちです。

女子はスカートです。スカート嬉しい響きです。

 何故こう私が喜ぶかというと、小学校の高学年はほとんどズボンで過ごしたからでした。

父が母に私にはズボンを穿かせておけと煩かったからでした。

しかも、着古しなので膝小僧が飛び出したズボン姿でした。

6年生の3学期には、今どきあんなズボンの穿き方、着せ方しないぞと、

クラスの男子が陰口を言うのを聞いたものでした。

 実は、自分でも酷いズボンだと思い、終戦直後でもないのにと思ったものでした。

あんなズボン穿かす家の子、貰わない方がいいぞ、といった類の陰口でした。

それは当たり前な気がして、私自身も苦笑いでした。

 そんな訳で真新しい制服に、真新しい学生鞄、新しい生活のある中学校に希望を抱いて私は入学したものです。

慣れていない、新しく顔を合わせるもう一校の生徒達に不安を抱きながら、それでも同い年、人の事

仲よくなれるだろうと目算していました。

しかし、私のこの目算は外れました。

特に1年時には大きく外れたものです。

入学式直後の1週目から、いきなりクラスの男子のいじめに会ったのでした。

 


青い事典、まとめ23

2016-10-13 11:28:22 | 日記

 朝のホームルームが終わると、先生と私の目が合いそうになり、どきっとしました。

私はまた、先生に職員室に来なさい、話があるからと呼ばれ、きー君の件で職員室で叱られるのかなと

心の準備をしなければ思っていました。

 ところが、先生に名前を呼ばれたのは私では無く、別の人物だったので、あれっと、びっくりしました。

一難去った気分でした。

とにかく今朝は難を逃れたという感じでホッとしましたが、

何となく名前を呼ばれた人物が、今回の「きー&F事件」に何故か関わっている気がしたものです。

 Fさんの顔を見ると、にこやかに夢見る乙女でした。

名前を呼ばれた人物は、割と平然としていたので、今回の事は関係ないのかなと思ったりしました。

私は、大体この2人の間に位置していたので、左右を見比べて、先生の顔を見て、きー君の後ろ姿を見て、

ぼーっと思案に暮れていました。

 『また、私の方に危難が降りかかってくるのかな?

そんな事を危惧していた物です。

結論から言うと、この件で私は職員室には呼ばれませんでした。

その後数日、先生に呼ばれた人物は一人に限りませんでした。

入れ代わり立ち代わり複数に及んだようでした。

 きー君が付属中学に行くのを決めたと聞いた日だったでしょうか、

私はきー君から話があるという事をFさん経由で聞きました。

それでもう1度、渡り廊下できー君と話しをしました。

私の忠告にお礼を言いたかったのだそうです。Fさんの気持ちに気付いた事も嬉しかったそうでした。

  と、思うんです。

そろそろ記憶が定かではありません。本当です。 

 そのお礼にと、きー君は私に忠告してくれました。

「人が皆、自分と同じ考えだと思わない事だよ。

というものでした。 

 私にはこのきー君の忠告もよく分からなかったものです。

人それぞれと思うから、2人の気持ちを確かめた上で事に当たりたいと思っていたのに、

と、内心思いつつ、

「私って、馬鹿だから、人の気持ちがよく分からなくて、ごめんね。

とか何とか、 当時の世相、女の子は馬鹿だのイメージを前面に押し出して、

その場のお茶を濁して、兎に角、きー君との話を早く終わらせて、

この件からは早く手を引きたいと思うのでした。

以降、きー君と直接話はしたことはありません。

中学は当然違いましたし、その後の進学経路も違いますし、Fさんとの事が無ければ、全然関係無いままであったなぁと思います。