Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 62

2019-09-30 13:57:54 | 日記

 私が台所を覗くと、遥か廊下の先に母らしい人影がポツンと見えた。私はその人を目当てに台所へと歩を進めた。廊下を下りて歩いて行くと、私にはそれがやはり母であり、背中を丸めて向こう側の方、外の方向を向いて腰かけているのだと分かった。母は裏口への降り口に腰を掛けているのだ。先程私がぼんやと腰を下ろしていた場所と全く同じ場所だった。

『同じ場所に同じ様に座っているなんて。』

そう感じると、その事が私には奇妙に感じられた。母と私は性格が違うのに…。私は一寸嫌な感じを受けた。

 彼女は肩を落とし、がっくりと頭を垂れて見る影もないという風情だった。

「お母さん、夕飯の準備をしてくださいって。」

私がこう声を掛けると、彼女は身動きせずに首を垂れたままだった。そこで私はお母さんと数回呼ぶ事になった。彼女は私の5、6回目の声掛けに、漸くああと声を出した。微動だにしなかった頭も動き出して顔が上に上がると、彼女は力なく私の方へその顔を向けた。酷く憔悴し切った顔付きだった。

「智ちゃんか。」

呻くように言って、母は私に関心を向ける事なく顔を外に向けた。彼女はその儘ぼんやりと裏庭を眺め出した。

 「夕飯にしてくださいって。」

私は言ったが、母は夕飯と口の中で呟くだけで心此処に非ずと言う感じだ。相変わらず腰かけたままの姿で外を眺め全く立ち上がる気配が無かった。そこで私は、父から頼まれた以上きちんと母に夕飯の支度をしてもらわなければ、という使命感に燃えた。ややきつい口調で、お父さんが、夕飯にしてくださいって。お母さんにそう言ってくれと私に言っていた。と言うと、母の体はぴくりと反応した。彼女はここで漸く我に返ったようだ。振り返って私の顔を見詰めた。そして何故私がそんな事を言うのだと不服そうに聞いてきた。

 お父さんがそう言えと言ったのだと私が説明すると、母は私から顔を背け、私が予想した通り子供のくせに、とか、子供の私から指図されたく無い等、2言3言不平を漏らしていた。その後、母は父が言ったから私が来たのは分かった、と言ったが、それにしても、と、何故父が私に言わせるのかが分からないと呟いた。

 「変だねぇ。」

「何で自分で言いに来ないんだろう。」

母が盛んに首を傾げているので、私はそうだ!と、思いつく儘に次の事を言った。

「私が跡取りだからだって。」

「お父さんが⁈。」

母は驚いて私の方へ顔を向けると、お父さんがそんな事をねと私の顔を見詰め直してきた。そして何やら考え出した。


今日の思い出を振り返ってみる

2019-09-30 13:56:09 | 日記
 
土筆(211)

  『これがよく聞く子供の反抗期なのかな?この年で?。』もう親の言う事に逆らうとは、こんな時どう対処するのかまた調べておかないといけないなと、父はこの場は、子の相手をするのはここま......
 

 次の台風が心配です。今週どうなるでしょうか。


今日の思い出を振り返ってみる

2019-09-28 09:51:57 | 日記
 
土筆(209)

  こんな遊びを、こんな所に穴を、そう呟きながら暗い表情で考え事をしながら、娘との遊びに参加する母のぎこちない動きに、母の番を待つ間の蛍さんは今日の遊びの中の色々な場面を蘇らせるの......
 

 今日はこれだけ載せておきます。来週はまた台風が来そうだし、曇りや雨の天候不順の予報です。大丈夫かしら、心配ですね、塗装工事の作業。


うの華 61

2019-09-27 09:38:04 | 日記

 夕刻近く、父は夕飯の用意をするように母に言ってくれと私に言いに来た。

「お母さんに?。」

私が?。私が母に夕飯の準備を催促するなど生まれて初めての事だった。「子供の私がそんな事していいの?。」驚いて聞く私に、しかし父はそうだと答えた。

「お父さんより、今はお前が言った方がいいんだ。」

と言った。

 何故大人の父より子供の私の方がと疑問に思った私は、私より家の大人の祖母にそう言ってもらった方が良いのではないか、と父に進言した。実際、普段の食事準備の母への声掛けは祖母の方が父より多かったのだ。父はそんな私に対してそれ迄に無く酷く優しい目をすると微笑んだ。この時の彼は笑顔だったが、その笑顔から何だか寂しそうな雰囲気が漂って来るのを私は感じた。そして、縁側にいて座り込んで庭を見ていた私に合わせてしゃがみ込むと、元気の無い声で言った。「この家の跡取りのお前からの方がいいんだ。」

 この家の跡取り、私に取ってこの言葉を聞くのはこれが最初では無かった。家内でも祖母から、外では近所の商店の誰それ、おかみさんやご主人等言う人もいたし、家の商いの取引先等でも、祖父や父と共に連れられて行った先でこう言った人がいた。

「跡取りさんが出来て良かったですね。」

仕事先ではそういった物言いだった。つまりその家に子供が出来て、後の後継者が確保されて目出度いというような褒め言葉、お愛想、追従のような言葉だったが、私はぽつぽつとこれ迄に聞いたこの言葉に、この時迄に既に慣れて来ていた。

 そうか、それなら引き受けたと私は合点した。分かったよお父さんと私が言うと、父は可笑しそうに目を輝かせて笑った。へぇそうかいと、私の反応を愉快がってはははと笑った所を見ると、父の言葉は何時もの冗談だったらしいと私は思った。父はよく子供の私を揶揄うように冗談を言った物だ。

「お母さんは裏の出口の方にいるよ。」

そう言って父は母の所在を私に教えてくれた。


うの華 60

2019-09-27 09:12:58 | 日記

 私が母の用意したお茶を盆に載せて、重い足取りでしぶしぶと廊下を進み、そっと廊下の端から居間の様子を覗いて見ると、居間は空っぽで誰の姿も見えなかった。私はほっとした。直ぐに台所に取って返して、未だ流しの傍に憂鬱そうに佇んでいた母に向かってあの人はいなくなったと告げた。母はえっ!と声に出して驚いていたが、それ迄緊張していた力が抜けたらしく、よろりとよろめいた。彼女は目に見えて安堵していた。

 「ああ良かった。一時はどうなる事かと…。」

脱力した彼女の体を支える為流しに片手を着いて、母はそう言い掛けていたが、私の何思う所の無い朗らかな笑顔を見詰めると後の言葉を飲み込んだ。彼女はむっつりした顔付きになると私に向かって「こうなったのも、大体お前のせいだ。」と言った。

「障子の穴は皆お前が開けた事にしておいておくれ。」

「こんな時は何でも、子供がした事にすれば皆何でも丸く収まる物なんだ。」

と言う。私は面食らい随分勝手な言い分だと思った。さっきの人といい父といい、今度は母までも、まぁ、母の方は元々可なりいい加減な人物だと前以て思っていた私だが、この母の言い分は承服しかねた。

「ねぇ、そうしておくれよ。」

その方がいいんだよ。これも人助けだ。お前は人助けが好きだろう。等々、母は笑顔で言葉を並べて行く。そこへ何処にいたのか私の父が、縁側の方から廊下に出て来ると私達の方へとやって来た。

 「いや、よく分かったよ。」

父はそう言うと、何だか不満そうな不服そうな、それでいてツンと取り澄ました生真面目な顔をして、ちらりと私を見ると、お前お祖母ちゃん達の所へ行っていてくれと言う。そしてさぁと言うと私の肩を軽く1つ叩き、私の背をぽんと押して台所から送り出した。

 私が廊下に入り縁側に向かうと、「何です。」そういう母のごく在り来たりの声音の声が聞こえて来た。それから、台所でのその後の事を私は知らない。