東京都東部、世田谷で紫斑病の子が多いのことですが、
わが子も紫斑病に罹っております
答えはひとつ。 (ルナ)
2011-10-29 23:22:19
東京都東部に住むものです。
世田谷で紫斑病の子が多いのことですが、わが子も紫斑病に罹っております。
疎開をずっと考えており、今後新潟なら引っ越せる可能性がでてきました。
新潟の汚染状況は十日町や山際、魚沼辺りを避ければマスクをしなくても生活できるレベルになれるのでしょうか?
東京都世田谷区桜新町に住んでいる友達から
2歳の女の子が『紫斑病』と診断されたと
- Unknown (心配)
- 2011-12-12 10:52:45
最近、桜新町に住んでいる友達から2歳の女の子が紫斑病と診断されたと聞きました。
すぐに、このブログで読んだことを思い出して、友達にはどういう風に話そうか悩みました。
友達とはしばらく会ってなくて、放射能についてどう思ってるか話したことありませんでした。
結局メールではなく電話をして、彼女はあまり気をつけていないという事を聞き、自分が野菜など買い物で気をつけていることなどをやんわり話しました。
強く言えない自分がもどかしいです。
『紫斑』は去年の5月に子どもにでました。
私には動く出来物が出来ました。
東京に住んでいる兄弟、知人の子供たちの免疫力低下
- 風邪 (Unknown)
2012-11-07 10:28:52
西日本に避難中です。
紫斑は去年の5月に子どもにでました。
私には動く出来物が出来ました。
避難してからはおかしな身体の不調はおきていません。元気です。
私も子どもも風邪知らずです。
最近、東京に住んでいる兄弟、知人の子供達の健康状態が気になります。
いつも誰かの子どもが風邪、咳、頭痛。。。
大人でも咳やマイコプラズマ。
それでいて治りにくい。。。
免疫力がどうして低下しているのか考えて欲しいです。
免疫力が下がったまま育つ子供達の事も。
- 昨年6月は『紫斑』も出ました
- 東京滞在2日で帯状発疹になりました
- 体調がよくなったもの (Unknown)
- 2012-11-09 09:31:10
沖縄に移りましたが、時たま仕事で上京しています。
昨年3月~4月に気をつけてはいても被ばくしていると思います。
初期のフォールアウトは避けられましたが、昨年6月は紫斑も出ましたし、
甲状腺のしこりもありました。いつのまにか消えましたが。
先日も東京滞在2日で帯状発疹になりました。
水道水のせいでしょうか。
カリウムを含んだ果物は、私も今年の夏、沖縄で体調がよくなるのを感じ、
毎日食べていました。
ビール酵母とか、がんに効くようにいわれるものと同じですね。
体のさび、つまり老化が急速に進むのが被ばくなんだろうなと感じています。
そして、その人の一番弱いところに出る。
昨春の下痢にはEMゴールドは効きました。
私の場合ですが……。
ともかくがんになったつもりで何でもやって、
免疫を上げることが大切なのかなと思います。
もちろん逃げるのが一番いいとは思いますが。
『紫斑』かなりヤバイ
原爆症や劣化ウラン弾扱っていた米軍兵士にもおきていた症状
04. 2011年10月13日 14:24:28: GNcNi6mjs6
紫斑って原爆症や劣化ウラン弾扱っていた米軍兵士にもおきていた症状ですね…
かなりヤバイんじゃないですか。一刻も早く疎開させて治療しないといけません。
福島原発だけではなく、周辺の焼却施設の煙突からも放射性物質が漏れ出します。
微粒子となったα線核種が焼却施設によって再び継続的に大気を汚染している
可能性があります(二次汚染)。
世田谷の焼却施設が高濃度ダイオキシンで焼却を停止したとネットで読みましたが、焼却灰が高濃度に放射能汚染され、これ以上焼却を続けると作業員が大変危険ということで焼却を停止したというのが焼却停止の本当の原因なのでは?
特に焼却施設の風下は、かなり危険だと思います。
原爆投下で被ばく、腕には『紫斑』もでた。
うわさでは『紫斑』がでると1週間で死ぬと言われていたが、生き残った。
★一般的には放射能の影響はガンや白血病、心臓病、脳溢血、倦怠感、
免疫低下なども症状としてあらわれる(肥田舜太郎医師)
http://www.geocities.jp/yuuki11831/ishiyuuken.htm より(抜粋引用開始)
市島町有機農業研究会 橋本 慎司
私の父は1945年8月6日、広島に原爆が投下された日、爆心地に近い、広島駅にいた。当時は若い学生が動員されており、15歳だった父は食糧生産にかり出されていた。作業前に朝礼が行われている時、原爆が投下された。爆風とともに、父は大きな閃光を見て、あたりの建物は吹き飛ばされた。父とともにいた学生、先生は駅の建物があったため無事であったが、前列の学生は真黒に焼け、父も腕に火傷をおった。近くの川に友達と逃げたが友達は痛い、痛いと泣いて、その場を離れる様子がないので、とにかく逃げようと思い、郊外にある実家(矢野町)に向かって歩き始めた。しばらく歩いていると知り合いのお兄さんに出会い、自転車の乗せてもらって無事家についたそうだ。それから数日後から原爆症と思われる下痢が続いた。腕には紫斑もでた。うわさでは紫斑がでると1週間で死ぬと言われていたが、生き残った。紫斑を見た時、若い父はどんなに不安だっただろうか。
現在、父は80歳を超えた。当時、共に広島駅にいた同級生の多くはガンになった。父も前立前ガンを患っているが、免疫性を作る漢方薬を飲みながら生きている。家族にしたら心配が絶えない。原爆を受けて以降、ちょっとしたことですぐ風邪もひくようになったそうだ。放射性物質を人体に取り込むと免疫性がなくなり、外からのウイルスの侵入に弱くなるそうだ。風邪をひきやすい、倦怠感など多くの人が被爆後、症状を訴えた。原爆の後遺症に苦しむ被爆者は仕事もしないでぶらぶらするので「原爆ぶらぶら病」と呼ばれた。原爆が投下された後、医師として原爆症患者に対応してこられた肥田舜太郎医師は放射能の影響は低線量であっても10年、20年後に出てくると言われている。一般的には放射能の影響はガンや白血病という形で表れると言われているが、それ以外にも心臓病、脳溢血、倦怠感、免疫低下なども症状としてあらわれるとおしゃっていた。
当時の急性症状:発熱、脱毛、体の方々に『紫斑』(原爆症)
原爆被爆者の手記:紙碑
1981年、広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」入所者によって書かれた被爆体験証言集
http://dataforpeace.cocolog-nifty.com/written_monument/2004/09/post_1.html
戸田 照美(81才)
被爆地:西白鳥町・居宅の屋内(爆心地より一.七km)
当時の急性症状:発熱、脱毛、体の方々に紫斑が出来た。(原爆症)
現症:脳動脈硬化症・貧血症・認定病(顆粒球減少症)
<被ばく症状>「紫斑(しはん)」は最初は赤い小さな斑点で、やがて黒っぽい紫色になっていきます。これは皮下出血をした症状です。
しばらくすると、患者に未知の症状が現れ出しました。
初めのうちは「赤痢(せきり)」ではないかと思われていました。
高熱が続き、一日に何十回となく血便がでます。
そのため、伝染病棟に隔離される人たちもいました。
不思議と、症状はやけどや外傷の少ない人ほど進行が早く進みました。
吐き気、全身の脱力感が起き、歯茎などから出血し、出血が増えて体力が衰え、亡くなっていきました。
熱はみな40度を超えて、ぜーぜーと呼吸がみだれ、「肺炎(はいえん)」の症状にもにていました。
また、髪の毛が抜けたり、皮膚の表面に「紫斑(しはん)」もでました。
「紫斑(しはん)」は最初は赤い小さな斑点で、やがて黒っぽい紫色になっていきます。これは皮下出血をした症状です。
こうした患者たちが「急性放射線障害(きゅうせいほうしゃせんしょうがい)」〔原爆症〕だとわかるのは、後のことでした。
http://www.cf.city.hiroshima.jp/rinkai/heiwa/heiwa007/niinoshima%20and%20atom%20bomb.html