原発問題

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ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※16回目の紹介

2014-12-23 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。16回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※15回目の紹介

 この取材後、方面地区の残土問題について報じた「週間朝日」の記事は、地元で大反響となった。それに慌てたのか、JAEAは13年6月末、土地の借地料について改めて話し合いを求めてきたという。

「人形峠事務所の所長まで来ましたが、『借地料は一平方メートルあたり4円20銭。これしか払えない』というばかり。放射能が含まれた残土を住民に押し付け、私有地に放置しているというのに、勝手に値段を決めて、我慢しろという。まったく反省がない」

 この地から撤去された残土は一部で、実はまだ大量の残土が残されている。それゆえ、「工作」は現在も続けられているのである。

 亡くなった西村氏は、この人形峠と東京を頻繁に往復していたことが、残された手帳や資料からよくわかる。

 西村氏は総務部文書課長だった1991年10月、「捨石堆積場対策グループ副主幹」の兼務を命じられている。一向に解決しない人形峠のウラン残土問題に対応するための対策チームが組まれていたのだ。

 実際、「もんじゅ」の事故が起きた95年12月の西村氏の勤務表を見ると、一ヶ月に9日間も人形峠事業所に出張している。西村氏の名刺入れからも、鳥取県選出の社会党国会議員の秘書の名刺や、岡山県津山市の飲食店の名刺など、人形峠での工作の痕跡があちこちに残っていた。

「夫は出張先についてあまり言いたがらず、人形峠に何度も行っていたことは、亡くなって資料を見るまで知らなかった。あまり、積極的に関わりたくない仕事だったのではないでしょうか」(トシ子さん)

 現在、国内でウラン採掘は行われておらず、今後、新たなウラン残土問題が発生することはないだろう。しかし、「核のゴミ」の問題は、いままさに我々が直面している喫緊の課題である。

 動燃はウラン残土の処理にこれだけの「工作」を尽くしたが、結局、住民の信頼を得られず敗北した。しかし、これは決して”過去の話”ではない。原発が稼働する限り、大量の放射性廃棄物が発生する。JAEAは、いまも「核燃料サイクル」の旗をおろしていないのだ。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/24(水)22:00に投稿予定です。


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