*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。15回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介
前回の話:ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※14回目の紹介
◎今も終わっていない人形峠の「住民工作」
13年2月、我々取材班は、鳥取県側と岡山県側の両側から人形峠に向かった。
倉吉の市街地から山に向かって車を走らせると、急に気温が下がる。この日の朝は氷点下を記録していた。人形峠にさしかかると、公衆電話ボックスよりも高い雪の壁に行く手を阻まれるほどだった。まったくの異次元の土地に来たような感覚にとらわれた。
動燃は人知れず、この土地に放射性物質を含む危険な残土を「隠蔽」し、すべてにフタをしようとしていたのか。
実は現在も「隠蔽」は続いているのだ、と榎本さんは言う。
方面地区の坑道周辺に残ったままの約1万3千立方メートルのウラン残土は現在、崩落や流出を防ぐために整地され、土砂止めの堰堤などが設けられた堆積場となっている。
取材班は榎本さんの案内で、堆積場を訪ねてみた。
「立入禁止」の看板を越えて榎本さんのジープで進んでいくと、舗装された山道は、堆積場に近づくにつれて土がむき出しとなり、やがて石などが転がるガタガタの路面になった。数十センチもの段差の中、榎本さんは車を進めていく。体は上下に揺さぶられ、頭が天井に当たり、「うわぁ!」と思わず悲鳴が上がる。
ようやくたどりついた堆積場は整地され、竹が植林されるなど一見するとキレイに整備されていた。
だが、ここは榎本さんをはじめとする地元住民の私有地がかなり含まれている。JAEAは土地を継続して使用するための借地契約の延長を求めているが、榎本さんら地元住民の一部は、現在も応じていない。榎本さんが、こう憤る。
「つい先日も、定年した人形峠事業所の総務課長が自宅を訪ねてきて、『(応じないのは)どういう考えなのか』と聞いてきた。『それが気に入らないなら、貸さないまでだ』と答えると、『(住民の)多数決で決めましょう』と言う。それどころか『(堆積場は)もううちの土地であなたのものではない』とまで言ってきた。そこで改めて確認しましたが、私に所有権があるのは間違いない。つまり、ウソをついてまで住民を揺さぶり、自分たちの思いどおりにコトを運ぼうとするのです。動燃からJAEAと名前は変わっても、体質や手法はまったく変わらない」
※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/23(火)22:00に投稿予定です。