原発問題

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ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※19回目の紹介

2014-12-26 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。19回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※18回目の紹介

ー調査当時、鉱山はすでに閉山して20年以上経過していたはずですが。

「麻畑地区では、土砂が近くの川に崩れ落ちて、それが下流に流れ込み、より汚染を拡大させていました。59年の伊勢湾台風の時は、汚染された土砂が崩壊し、田畑に流れ込んだ。集落総出でそうした土砂を除去したこともあったそうです。鉱山にはガス状の放射性物質であるラドンによる汚染があります。方面地区の鉱山跡地の坑口では、高濃度のラドンが噴出する場所があり、驚きました。ラドンは残土から空気中に逃げ出し、山からの風に乗って、汚染は集落にまで到達していました」

 ー動燃はラドンへの対策をとっていなかったのですか?

「動燃は高濃度のラドン噴出口となっていた坑口を、91年夏にようやく、ベニヤ板と土嚢などで塞ぎました。その後、かなり数値は減った。反対に考えれば、何十年間もラドンはほったらかし、汚染され放題だったということです。希ガスのラドン222は、容易に空気中に放出されるため、拡大範囲がとても広い。一方で半減期が3・8日と比較的短く、想定も難しく実態がわかりづらい。ウランの採掘中、労働者はラドンが充満した劣悪な環境の中での作業を余儀なくされたと推測できます」

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/29(月)22:00に投稿予定です。


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