魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

【意識拡大リトリート第5期②】

2021年02月12日 | 目覚め
昨日は、岡田歩さんとのコラボ・意識拡大リトリート第5期の2回目。

前回同様、時間いっぱいまでの濃い講座となりました。


前半部分では。
参加者さんは「???」だったのですが貴重な体験が訪れました。

「事実」を通じて「全体」に触れる。
それしかない顕れ…根拠のない軽さをただそのままに感じる。

こうやって文字にするとシンプルすぎて素っ気ない感じになるけれど、
それを分かち合えたのは本当にラッキーでした。


また後半部分では。
人が思考マシンになっていることに無自覚で、
いかに自分の中の現実に自分で気づいていない状態なのか。
人生の羅針盤としているものが実は・・・。

など、どれだけ「非現実」に埋もれて生きているか?
という手がかりを見つける実験も行いました。

思考を別の思考で塗り替える。
事実を自分の思考にそって捻じ曲げて解釈しなおす。
わざわざ…ということを無意識にやってしまっている。

私自身は自分の体験を通して。
「非現実>現実」という割合から「非現実<現実」に変わっていったことによって、
探そうとしなくても使命(のようなもの)は勝手に顕れると感じています。

次回は、ZOOM参加が続いていた参加者さんもリアル参加。
恒例のお抹茶タイムも含めて、本当に楽しみです!!




そこに理由はない

2021年02月10日 | 日記
自分の為に、花を買う。


そんな生活がしたい…と長らく思っていました。
実際に何度か買ってきて、家の中に飾ったことはあります。


でも「花」と「私」との間に、何かよそよそしいような…距離感がありました。
自分の気持ちに余裕がないから?
疲れきってしまっているから?


その時はわからなかったけど。
今思うと…せっかく買っても、気持ちが花に向いていなかったなぁと。


「私は欠けている」「私は足りない」
そんな想いから手にしたものは、やはり欠けているし足りない…
という想いを生みだしていたことが今はわかります。


そしてそれは、花に対してだけではありません。
人に対してもそうだったと思います。


知らず知らずのうちに相手にケチをつけていたり。
やってもらって当たり前という気持ちがどこかにあったり。


本当は欠けているものも足りないものも…何ひとつない。
そうなった時に、久しぶりにお花を買いたいなぁと思ったのです。


いつも眺めていた駅前のお花屋さんで選ぶのも。
自宅で花瓶にいけた花を眺めているのも。
そこに理由などはなく、ただただ嬉しくて喜びが湧いてくる。
昔感じていた…よそよそしいような距離感は消え失せました。







ふんわりした気持ちになっていたら。
花も団子も…という流れになって、友人がケーキを買ってきてくれました♪


少し前に、期間限定のモンブランを買い損ねてしまった話を覚えてくれていて。
美味しいモンブランを探して、開店と同時に買ってきてくれたようで…すごく嬉しかったなぁ(*^_^*)



濃厚だけど甘すぎないモンブランは美味しかったし、
見た目がリアルなレモンケーキは酸味の効いた爽やかなムースが意外性のある美味しさで感動。






色々なものや人との間の壁がなくなってくると、
こんなに心地いいものなんだということを日々感じています。

ただ…静けさとともに在る

2021年02月05日 | 目覚め
クライアント様とのセッションや遠隔ヒーリング。
そしてリトーリートを通して…。
今年に入って今まで以上に感じることがある。

 
それは、メッセンジャーとして「個」の「私」がなくなればなるほど。
クライアント様がご自身の叡智と繋がっていることを思い出すよりも前に、
必要なものを受け取っていらっしゃるということ。

 
もちろん「私」がなくなると言っても。
トランス状態になるとか(実際なれません)、
話を聴いていないということではありません。

 
私自身が体験した限りなく透明になる…あの感覚です。
ただ、これも「なろう」と思ってなるわけではなく。
セッションが終わってから、そう言えば…と気づく感じ。
 
 
メッセージはいつもと変わりなく流れてくるし、
口調が今までと変わるようなこともありません。

 
でも、感じるのです。

 
目の前にいらっしゃる誰もが、
自分が本当は「無条件の愛」だとわかっている。

あれやこれやと条件をつけて自分を愛そう、受け入れようとしているけど…
思い出すだけなんだと。
 
 
その為に、私がサポートをさせていただいている。
お互いに共振共鳴しながらメッセージをお伝えすることによって増幅していく感覚が、
まるで楽器のようだと。
 
 
私自身がその時々で、どんな楽器となってどんな音を奏でるかはおまかせ。
調律も旋律(メッセージ)もおまかせ。
 
 
後は、クライアントさんが、その時に必要な旋律にご自身の叡智から触れていく。

見つけるとか、掴むとか、選ぶ…でもなく。
触れていく。
 
 
人によってこれだけメッセージの表現が違っても、根底に流れるものは一緒。
もはや、頭で考えてどうこう言えるものではないし、やろうと思って出来ることではない。
 
 
私は、ただただ…静けさとともに在ることが大切だと実感している。
 
 
 

40数年ぶりに復活

2021年02月04日 | 日記
家の中で、そのほとんどの時間を過ごす場所。
そこに先日から登場したのが…フランス人形。
 
 
私が小学3年~4年の頃、つまり今から40数年前に
はるばる海を渡って日本にやってきた子。

実は、このお人形は母がフランス旅行に行った際に、
私へのお土産にパリで買ってきてくれたもの。
 
 
当時は「リカちゃん人形」が大流行。
リカちゃんだけでなく、大きめのバッグのような形で開くとおうちが登場する
「リカちゃんハウス」なるものも持っていた。

リカちゃんだけでは登場人物が少なすぎたので、キキララ(サンリオ)も参戦?
弟をつかまえて、あれこれセリフを並べ立てては一緒に遊んでいた。
 
 
そのような時代、フランス旅行から帰宅した母のスーツケースから出てきたのが写真のお人形。
「リカちゃん」や「モンチッチ」とは全く違う雰囲気にとても魅力を感じた。

腕と脚の付け根が動くようになっていて、靴も脱げるし、コットンの下着もちゃんとつけている。
私にとって「玩具」ではなく、特別な「お人形」になった。
 
 
自分の部屋のピアノの上が置き場所となった。
(その経緯は覚えていない)
…が、毎日ピアノの練習をする度に気になる。
つい手に取り遊んでしまい、途中で人形と別世界にいってしまう。
 
 
練習は中断され、そして母に叱られる。
また次の日も次の日も、叱られる度に「この子が遊ぼうって言うだもん」。
…でついに母がブチ切れたような(^_^;)
 
 
私は私で「この鬼ババ!」と思い、リュックサックにこの子を入れプチ家出を
(近所のお寺さんをぐるりと一周して帰宅)したというエピソードがある。

成長するにつれてこの人形と遊ぶことはなくなり、実家を出る時も置いて出た。
私が家を出た後も、母は大切にとっておいてくれた。
 
 
その母が2年前に「年齢が年齢になってきたから、少しずつ色々なものを整理していきたいの」
「あなたのものは送るわよ」と。

母のおかげで、あの当時のまま…本当に綺麗な状態で再会した。
「わ~、懐かしい!」と嬉しくなったものの、
どこに飾ればいいのか決めかねて結局2階のあまり使っていない部屋へ。
 
 
でも、友人の一言がきっかけでメインの居間に。




さらに、このお人形と空間に合わせた色のアドバイスをもらって生地を探し、
クッションまで作ってしまった♡
ミシンがないからチクチク手縫いだけど、久しぶりのお裁縫もなかなか楽しかった~♪


 
 
想い出がいっぱい詰まったお人形。
同じくフランスのアンティークの椅子にちょこんと。
部屋を見渡せる場所が定位置になりました。

目に入る度にあったかい気持ちになります(*^_^*)