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まっさらで、まっすぐ

2023年06月05日 | 目覚め
「誰かの役に立つ人間でなければ」

という思い込みは、なかなか手強い。

役に立ちたい、という想いがいけないわけではないけど。

役に立たないと認められない、とか。
役に立たないと愛されない、とか。

自分は「欠けている」という思い込みのもと。

欠けている部分を埋める為の「手段」として
「役に立たなければ…」となると、喜びとは程遠くなる。


私も自分の不足分を埋めようと、ずいぶん空回りした。

特に男女の間においては。
自分が考える「役に立つ」ことと。
相手が考える「役に立つ」ことって。

ピッタリ一致することのほうが少ない。


でも、彼の行動のもとになっているのは、いつだって
「どうやったら、喜んでくれるだろう」
という想い。


こちらからすると。
私の為に、こんな面倒くさいことを…とか。
私の為に、わざわざこんなことまで…とか。
こんなことまでしてもらって、いいのかな…という思い。

同時に色々な葛藤が、まー、出てくるわ、出てくるわ。


でも、彼はいつも


「君の喜ぶ顔が見たいから」

「喜んでくれると、俺も嬉しいから」

そこに余計なものは、何ものっていない。


毎回、まっさらで、まっすぐ。


その想いに触れる度、自然にほどけていくものがあった。

私が、心から素直に「ありがとう」と言える(受け取れる)ようになった時には、
「役に立たなければ」という思い込みもなくなっていた。


パートナーシップって、本当に奥が深い。

パートナーを通して初めて知る「自分との出逢い」の連続で、
大人の恋愛の醍醐味のひとつの側面だと感じている。


写真は、まとめてご飯日記。
食の好みが似ているのと。
私の好みも熟知しているので、お任せでも安心。

なだ万のお弁当と、タカノフルーツパーラーのいちごのミルフィーユは、デパ地下で。








地元のお蕎麦屋さんと、これまた地元のケーキ屋さんで。




エゴ主体の世界から、愛に基づく世界の始まり

2023年06月04日 | 目覚め
「自分に嘘がない」
…ということが、どれだけ大事なことか、長い間わからなかった。

この「嘘がない」って。

嘘をつかないこととは違うし。
あけすけなことでもない。
なんでもかんでも自己開示することでもない。

じゃあ、この「自分に嘘がない」ってどういうこと?
と聞かれれば。

「本当の自分」で生きると言っていいと思う。


「本当の自分」って。
これはこれで曖昧な言葉で抽象的。
解釈も色々あるだろうし、様々な分野で目にする機会はすごく多い。

ということは。
それだけ「本当の自分」を皆が知りたいということなんだろうなぁと思う。


「本当」の対義語は「嘘」だけど。
何も、これまでが嘘で塗り固めた自分であり人生だった…ということではなく。
エゴが主体だった、ということ。

個人的には、「千と千尋の神隠し」に出てくる 「カオナシ」が
エゴを表すのにぴったりのキャラクターだなぁといつも思う。
(あくまでもイメージ)

不安や恐れ、罪悪感や無価値感が大好物で、いくらでも膨れ上がって暴走する。

でも、暴走するがままにしておくのではなく。
「本質」から流れてくる声に耳を澄ますうちに、
エゴの養分となる不安や恐れが徐々に減ってくる。

代わりに、増えてくるのが、
穏やかさや静寂といった「本質」、つまり「本当の自分」としてのエッセンス。


といっても。
エゴが騒がしければ、本質の声は繊細だから、すぐに搔き消されてなかなか耳には届かない。

たとえ聴こえ始めても、それがエゴか本質なのかがわからない。

だからといって、あきらめたらそれで終わりだと思う。



出来るとか、出来ない、ではなく…。


愛に基づいた世界を体験したい。


その為に、人が生まれてくるのなら、その世界を見たい。



拡がり続ける「答えがない世界」に、足を踏み入れれば…。

現実は動く。

不安も恐れも薄まり、栄養不足で干からびていくエゴの声は小さくかすれて、
もはや耳に入らない。


形勢逆転✌️


エゴが見る影もなくなってきたら、放っておいても、自然に顕れてくるのが「本当の自分」。

なぜなら、最初から何も変わらず、ずっとそこに「在る」から。

これが目覚めのプロセスとも言えると思う。

エゴ主体の世界から、愛に基づく世界の始まり。


そして、そこで展開されるストーリーは、エゴの脚本ではないから、予想外の展開ばかり。

私達が肉体を着て過ごす時間は、限られている。


不安と恐れを握りしめたまま「エゴ」の脚本で生きていくか。

全体性から差し出される、愛に拡がり続ける「本質」の脚本で生きていくか。

この違いは、桁外れに大きい。


*写真は、ジジさん😺用の猫草。
葉の先に、ふるふると水玉。


「こだわりを持つ」ことに、 こだわらなくなる

2023年06月04日 | 目覚め
「こだわりの〇〇!」

というキャッチコピーが、ずいぶん前に流行っていたと思う。

今も使われているとは思うけど。
目に入る機会はずいぶん減った。

というのも。
私自身、ここんとこ、
自分の中から「こだわり」という文字がすっかり消えてしまっていることに、
先日フッと気づいた。

じゃあ、なんでもいいかって言ったらそうではない。

こだわることがいけなくて、無頓着がいいという話でもない。

むしろ、以前は色々なことに対するこだわりは強かったと思う。

でも、いったい私は「何に」こだわっていたんだろうと、
今さらながら不思議な気持ちになる。


「〇〇でなければ」という「執着」が強かったのかもしれない。

「失敗したくない」という「恐れ」もあったのかもしれない。

執着と恐れがベースになった「こだわり」が、私に何をもたらしてくれただろう?

と振り返ってみれば、さらなる「執着」と「恐れ」だったように思う。


それに、こだわりが強い時のほうが、迷いも多く、自分に自信もなかった。

柔軟性もなかったから、頑固だったし、見栄や競争意識だけが膨らんでいった。


目覚めの過程で様々なものが削ぎ落されて、「こだわりを持つ」ことに、
こだわらなくなったんだと思う。
(ややこしい日本語になるけど)

そんなことを思っていたら。
「大人は、シンプルなことを、わざわざカオスにするね」
と本質からメッセージをもらって、そうかもな~と。

メッセージと同時に送られてきた映像が、
子供の頃に大好きだった黒くて平たくてスベスベした楕円形の石。

理屈抜きで、好き。
誰になんて言われようと、好き。
理由なんてわからない。

込み入ったストーリーなんてまるでないけど、執着や恐れは見当たらない。

大人になった今は、それぞれのストーリーにも惹かれるけど。
この世界における価値なんて、本当に人それぞれ。


ハートが開いていくにしたがって。

必要なもの(こと)は目の前に用意されるから、
むしろ選択肢が少なくなっていることを、実体験を通して見せてもらっている。

そして、それに伴って幸福度が増してくるのが面白い。



「この私が悪いからだ」という思い込み

2023年05月30日 | 目覚め
23歳で、最初の結婚をした私だけど。

離婚するまでの期間、
ざっくり言うと「この自分をどうにかしなきゃ」という想いで
塗り潰された毎日だったなぁと思う。


私のなにがいけないんだろう。
私のどこが悪いんだろう。

なにを直せばいい?
どこを正せばいい?

相手を責めたり。
自分を責めたり。

行ったり来たりを、散々繰り返したけど。


現状がほとんど変わらないという思い込みの行き着く先は…。


「この私が悪いからだ」


まるで、昭和の歌謡曲さながら💦
「2人でいるのに、ものすごい孤独感」が押し寄せて来た。

今度は、その孤独感を追い払おうと必死になった。

心の平安や穏やかさとは、程遠いものだったなぁ。


根底にある「悪いのは私だ」という思い込みの根深さって、それはもう強固。

実は、先日彼と話していた時。

なんの気なしに
「あなたから見て、ここ直してほしいところとかある?」と口からポロッと出た瞬間…。

「うわっ、ひさびさー!!」

と自分で気づいた😅


この期に及んで、まだ言ってる。
(日本語の使い方変かも…だけど)

彼は「ないよ」と即答。


実際これまでも、そういった類いのことを彼が口にしたことはない。
思ったこともないよ、と以前にも話してくれた。

…なのに。

どうにかこうにかして「私が悪い」をでっちあげたい。

ある意味、スゴいな。
(狂っておる)

ここまで来ると、もう滑稽としか言いようがない。

嘲笑うとかじゃなくて。
まだ、いたんですね~、という感じ。

でも、それだけ。

どうも出来ない。

「どうにかしなきゃいけない自分」をでっちあげたいエゴに対して、
これまたどうにかしようとしない。

思い出すと、ちょっと笑えるけど。



NOと言わないことが愛情だと思い込んでいた

2023年05月28日 | 目覚め
かつての私自身もそうだったし。

クライアントさんとのセッションでも、度々出てくる…。

「NOといえないんです」

断り切れなくて…。
あんなことや、こんなことが、自分の意に沿わない結果になって。

程度の差はあれ、なんだかモヤモヤモヤモヤ。

これ、特定の誰か、ということもあるだろうし。
日常で関わる様々な人全般に対して、ということもあるかもしれない。
その時の状況にもよるかもしれない。


今でこそ、「NO」と言うことに抵抗がなくなった私だけど。

特に、近しい間柄においては。
相手に「NO」と言わないことが「愛情」なんだと、
自分に都合よくすり替えていたな~と、今になって思う。

別の言い方をすれば、なんでもかんでも、
ハイハイと受け入れることが愛情だと勘違いしてた。

これは、裏を返せば。

私にとっては、相手が「NO」といわないことが、
イコール、自分への愛情だと思い込んでいたから。


今日、彼とやり取りをしていて、
「NO」を言う言わないは、愛情とは全く関係がないとあらためて思った。

やり取りの部分は端折るけど。

ふり返った時に、あまりに自然に「NO」を言っている自分にびっくりした。

まるで他人事みたいな言い方になるけど。
「そのままの自分」って、こうなんだ…と。


本当は、自分に無理をさせてまで、相手に合わせることなんてないのに。

以前の私は、嫌われたら…という不安と同時に。
不機嫌になったら…という不安が、その何十倍も強かった。

私が「NO」ということで、
相手が途端に不機嫌になるという体験が幼少期からあったからかな。

小さい頃のことは、細かいことまで覚えていないけど。
身体に「怖い」という記憶は、長い間残っていたように思う。
(この記憶は「NO」と言ったそのことだけではないだろうけど)


言うのも。
言われるのも。
どっちも、めちゃくちゃビビッていた。

パートナーシップは、一番近い関わりなだけに、
色々な事柄のあらたな出発点にもなるし、確認点でもあると感じた1日。



昨日のお昼ごはんは、先日伺った地元のお寿司屋さん。
ネタが厚くて、お腹いっぱい😍




その後は、買い物ついでに、
スニーカーを一緒に見てもらって、結局2足も買ってもらった。
(いっぱい歩くど〜!)




おやつは、京都のどら焼き。



お土産のハーゲンダッツは、初めてで、どんな味か楽しみだ〜😋