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ただ…そのままに

2021年04月07日 | 目覚め
感情をこれだけ「そのまま」感じたことって、今まであったかなぁと思う

 
赤ちゃんから幼児の頃はそれが自然だったんだろうけど。
自我が芽生え始め、成長して大人になるにつれて遠ざかっていった。

 
怖さをそのまま感じるのは怖い。
寂しさをそのまま感じるのは嫌だ。
哀しみをそのまま感じるのは苦しい。
 
 
だから、色々な理由理屈を引っ張ってきて。
感じないように…感じないように…と、
ずっとしてきたんだなあということがわかった。
 
でも、目覚めていく過程で遮るものがなくなり、
この肉体を超えた存在が本当の自分であることがわかってから。
おこる感情をそのまま感じている自分に気づいた。
 
 
それをどんな風に表現すればいいかなぁと思っていたら。
映像とメッセージが流れてきた。
 
 
分かりやすくするためにプールを想像してみてほしい。
プールの水を「感情」と仮定してみて、と。
 
 
水は透明で無色。
でも私たち人間は。
その透明で無色な水を、その時々の自分の都合だったり状態だったりで、
喜びや悲しみなどで色づけしている。
 
 
嬉しいとか楽しいとか。
自分が心地よくなるように色づけしたプールには飛び込んでいくし、そこでの感覚に浸る。
でも、プールの水は抜かれてしまい…いずれなくなる。
 
 
そしてまた、水が湧いてくる。
 
 
今度は、「哀しみ」で色づけされたプール。
されたって言っても、これも自分がしていることなんだけど。
心地よくない色については被害者意識が強くなり、他人がやったという気持ちになる。

 
そんなの…入りたくない。
だから、足の指先を水面につけるのが精一杯。
あるいは見て見ぬ振り。
プールの水がいずれ抜かれてなくなるのを待つ。
 
 
でも実は。
頭では水は抜かれてなくなったと思っているけど、心のレベルではなくなっていないし、
むしろ凝縮されたエッセンスのように貯蔵されていく。
そしてこれが後々…折にふれて漏れ出てくる。
 
 
私は「個」を超えた存在だとわかった後は。
ちっちゃな個の私の都合などお構いなしで…
どんな色のプールだろうと有無を言わさずドボン!と落とされる感じ。
 
 
個の私がどこに逃げても隠れても、
大きな私に見つかって、ヒョイとつままれ「哀しみ」にもドボン!
「寂しさ」や「孤独」にもドボン!!
 
 
正直「ひーーーっ」という状態。

 
でも、もう…逃げも隠れも出来ないとわかって降参して、投げ込まれたプールの中に沈んでいると。
哀しみという色の中にも、実に様々な他の色が混じっていることに気づく。
切なさだったり、愛しさだったり、決して…ひと色ではないんだなぁと。
 
 
さらに抵抗せずに静かにしていると。
だんだんと透明で澄んだ水へと変わっていくことにも気づいた。
 
 
その中を漂っていると。
「愛」でないものはないんだなぁ…と安心感が訪れ、
「個」の私が水にとけて一体になっているような感覚になる。
その時、自然に癒しが起こっているのかなと思う。
 
 
ただ…そのままに。
大丈夫だから。