大阪府南河内郡河南町東山・太子町葉室 にある国指定史跡の「一須賀古墳群」は、「近つ飛鳥風土記の丘」として保存公開されています。
「風土記の丘」には102基の古墳があり、そのうち32基は整備され実際に石室内に入ることができます。
今回は、、近つ飛鳥風土記の丘にある「一須賀古墳群」を紹介したいと思います。
「一須賀古墳群」は、葛城山地から北西方向に延びる丘陵地帯に、6世紀前半から7世紀中頃にかけて次々と墳墓が造られました。23支群・総数262基からなる古墳群です。
この群集墳の存在は、江戸時代からすでに知られていたようです。
古墳の大半はほとんどが直径10メートルから20メートルの円墳ですが、方墳も一部見られるようです。石槨はほとんどが横穴式石室ですが、木棺直葬や石棺式石室も一部に見られます。
石室の羨道は短く、玄室の平面プランは正方形に近く、石室内には2~3体を埋葬していたケースが最も多いようです。遺物は須恵器、土師器、鉄拳、玉類等です。
発掘調査された古墳から、ミニチュアの炊飯具が多く出土しており、百済系渡来氏族との関連が指摘されているようです。
多くの古墳の中でも特にD-4号墳は、一須賀古墳群の中でも最大級の古墳で、直径25メートル・高さ2・3メートルの円墳です。石棺、木棺を合わせ4基の埋葬が確認されています。出土品は金銅製飾金具、かんざし等が発見されているようです。
発掘調査による出土品の一部は、隣接する「大阪府立近つ飛鳥博物館」において展示されています。この博物館の展示物は、とても充実していました。特に、巨大な古墳の石を運ぶ発見された本物の「修羅(しゅら)」は、一見の価値があります。
「一須賀古墳群」の古墳は、大阪平野の南東部の藤井寺市と羽曳野市にまたがる巨大な「古市古墳群」とは全く違っていて、見るだけでなく実際に石室内に入ることが出来ます。
「一須賀古墳群」は、とても興味深く歴史散策することが出来て楽しかったです。古墳に興味がある方は、是非お勧めします!
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