泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

太古の昔から多くの神々が宿る 「飛鳥の神社(飛鳥坐神社・大原神社)」

2017年08月02日 16時12分16秒 | 歴史

 飛鳥地域には、太古の昔から多くの神々が宿り、現在では「ムラ」の鎮守として祀られています。

平安時代に著された「延喜式」には、延喜式内社が高市郡内54座の内、村内には「飛鳥坐神社」を含め11座が鎮座していたことが記されています。

これら延喜式内社は、古代には国家から奉幣が行なわれるなど、由緒ある神社として位置づけられていました。

前回に引き続き、太古の昔から多くの神々が宿る「飛鳥の神社(飛鳥坐神社・大原神社)」を紹介したいと思います。

「飛鳥坐神社」(あすかにいますじんじゃ、あすかにますじんじゃ)

古来、「飛鳥の神奈備」と呼ばれてきた森に鎮座しています。『日本書紀』686年の記事に、「飛鳥神社」の名が見えることから、この頃にはすでに創建されていたことがうかがえます。「日本紀略」によると、当地に遷って来たのは、829年のことです。平安時代の『日本紀略』には、天長6年(829)3月に飛鳥社を高市郡賀美郷の甘奈備山から同郡同郷の鳥形山に遷座するよう神託があり、この時に現在地に遷座したとされています。

「飛鳥坐神社」を有名にしているのは、毎年2月第1日曜日に行われるセクシャルな神事「おんだ祭」です。天狗とお多福演ずる夫婦和合の所作が笑いを誘います。子宝、安産、縁結びに御利益があると言われており、たくさんの方が参られます。

また境内には、数多くの「陰陽石」が点在しており、生々しい性信仰が、いまも息づいています。特に「奥の大石」と呼ばれている石があります。その名のとおり、境内のもっとも奥に鎮座しており、周囲は瑞垣によってかこまれています。高さは約1メートル。境内に点在する陰陽石のなかで、もっとも大きなものです。

飛鳥坐神社は「陰陽石」や「おんだ祭り」で有名な神社ですが、「子宝祈願のパワースポット」として、また男女の出会いを演出してくれる「縁結びの神さま」の神社です。

「飛鳥坐神社」は、太古の昔から神々が宿る不思議な場所ですね!

              

 

〇大原の里にある小さな神社「大原神社」

「大原の里」は、藤原鎌足の誕生地とされています。中大兄皇子とともに大化の改新を推進し、藤原氏の祖となった人物です。大原神社の右の田んぼには、明治初年まで「藤原寺(とうげんじ。鎌足誕生堂)」が建っていて、江戸時代の国学者である、本居宣長も訪れていたようです。

この辺りは、「藤原鎌足産湯の井戸」や、母親である「大伴夫人の墓」などが遺されています。

「大原の里」は、飛鳥時代に天武天皇と藤原夫人がかわした微笑ましい万葉歌に残っています。天武天皇と藤原夫人の微笑ましい歌のやり取りは、同じ石に万葉歌碑として遺されています。この歌が詠まれた時に、藤原夫人がいた大原がこの辺りです。天武天皇がいる飛鳥浄御原宮とは、わずか1kmほどの距離しかありません。

・天武天皇「わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後」(わがこの里に雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことだろう。)

・藤原夫人「わが岡の おかみに言ひて 落らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ」(私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらがそちらの里に散ったのでございましょう。)

この歌は、もちろん大原にも雪は降っていて、こちらが先と軽く言い合う微笑ましいやり取りになっています。

「大原の里」は、万葉集の世界がよみがえるような素敵な場所ですね!

次回は、クガタチで有名な「甘樫坐神社」・「難波池神社」・「引計皇子(おけおうじ)神社」を紹介したいと思います。

                 

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