タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
巨匠とマルガリータ(承前)
――続きです。
巨匠は、もともと博物館に勤めていた。
宝くじが当たり、半地下のアパートを借りて引きこもり、ピラトについての小説を書きはじめた。
巨匠には、運命の女性であるマルガリータがいた。
彼女も巨匠の小説を自分の命のように思うようになった。
ところが、小説が完成し、文壇の連中にみせたところ、酷評を受けるはめに。
巨匠は精神を病んでしまう。
自分の小説を燃やすが、マルガリータがそれをみつけ、焼け焦げた小説の一部をすくいだす。
彼女は、夫と別れて巨匠に尽くすことを誓う。
が、巨匠は彼女からはなれて病院に入る──。
物語の後半、マルガリータは大活躍。
ヴォランドの誘いに応じ、魔女となり、巨匠をすくいだすために、悪魔たちによる大舞踏会の女王役を演じる。
後半の主人公はマルガリータといっていい。
そして、ラスト。
小説と巨匠が出会う、美しい瞬間が訪れる。
語り口についてもふれておきたい。
この作品は3つの層からなっている。
「悪魔ヴォランドとその一味が巻き起こす、モスクワでの騒動」
「ユダヤ総督ピラトとイエスの物語」
「巨匠とマルガリータの物語」
の3つ。
この3つの層をひとまとめにしているのが、力強く、自信に満ちた、いささか大仰な語り口だ。
マルガリータの大活躍がはじまる、第2部の冒頭の文章はこう。
《我に従え、読者よ! この世に本物の確かな永遠の愛などないと誰が汝に言ったのか? そんな嘘つきはその下劣な舌をチョン斬られますように!
我に従え、我が読者よ、我にのみ従え、されば我は汝にそうした愛を見せん!》
また、この語り口は大仰であるばかりでなく、大変映像的。
魔女になったマルガリータが、ブラシにまたがり空を飛ぶシーン。
《マルガリータがもう一度強くブラシを握ると、屋根の群れはことごとく地中へと消え、代わって下に揺らめく電灯の湖が現れ、この湖が突如垂直に立ち上がったかと思うと、次の瞬間マルガリータの頭上に現れ、足元で月がきらめいた。自分が逆さまになったのに気がついたマルガリータが、正常な体勢に戻って振り向くと、そこにはもう湖はなく、遙か後ろの地平線に桃色の照り返しが残っているだけだった。それも一秒後には消えて、気がつくとマルガリータは彼女の左頭上を飛ぶ月と2人きりになっていた…》
とてつもない速度で飛ぶマルガリータを描写した、みごとな文章だ。
作者のブルガーコフは不遇だった。
ソビエト体制下で、ろくに活躍の機会があたえられなかった。
おそらく、悪魔一行が巻き起こすモスクワでの騒動に、当時の体制についてのさまざまな風刺がこめられているのだと思う。
でも、知識が乏しいので、このあたり、詳しいことはわからない。
世界文学全集の月報で、池澤夏樹さんはこう書いている。
「ソ連という社会は彼の溢れる才能に気づくほどには開明的であったが、彼の執筆活動をすべて許すほど開放的ではなかった」
さらに、池澤さんはこうも。
「作家として何が辛いと言って書いたものが印刷されないほど辛いことはない」
でも、ブルガーコフは天才だったと池澤さんはいう。
なぜなら、ブルガーコフは活字にならないとわかっていても書き続けたからだ。
ただ書いたのではない。
世界文学全集の水野忠夫さんによる解説によれば、「巨匠とマルガリータ」は第6稿まで書かれたという。
発表のあてがないにもかかわらず、そこまで稿を起こしている。
そして、稿を起こすごとに、小説は豊かになっていったもののよう。
やはり、ブルガーコフは天才だった。
ブルガーコフの生前、陽の目をみることができなかったこの小説は、発刊後、大いに読まれた。
水野さんの解説によれば、1973年から2000年までに、1200万部出版された。
また、群像社版の法木さんの解説によれば、ブルガーコフが一時住んでいた――そして、かわいそうなベルリオーズが死んだあと悪魔一行の一時宿泊所となる――サドーヴァヤ通りの50号室は、訪れるひとが絶えず、本書や作家をたたえる落書きが寄せられ、自然発生的な記念館となり、その後公式に博物館となったという。
作中で、一度は暖炉にくべられた巨匠の原稿は、ヴォランドの手によりよみがえる。
すわっている黒猫ベゲモートのお尻の下から、復活した原稿があらわれるという、感動的であると同時になんとも可笑しいこの場面で、ヴォランドはいう。
「原稿は燃えたりしない」
本書の運命を先どりしたかのようなセリフだ。
で。
話はもどって。
DVDはどうだったか?
DVDは5枚組みの全10話。
全部あわせて500分ほど。
2005年ロシア作品。
パッケージには、いろんな賞をとったことが書かれている。
現実世界はモノクロ。
それ以外はカラー。
つまり、回想や、ピラトの小説や、悪魔たちが活躍する場面はカラーにするという趣向。
普通、回想シーンがモノクロになるのが映像作品の定石だけれど、その逆をしているわけだ。
驚いたのは、内容はほぼ原作のままだということ。
原作には、なかなかきわどいシーンがある。
ベルリオーズは市電にひかれて首を切断されてしまうし、魔女と化したマルガリータは裸になってブラシにまたがり空を飛ぶ。
悪漢悪女がよみがえって踊る大舞踏会のシーンも、悪女たちはみな裸だ。
こんなシーンも原作に沿って映像化している。
じつに果敢。
面白いのは、デッキブラシに乗るマルガリータ。
マルガリータはブラシ部分を前にしてブラシに乗るのだ。
そんな乗りかたがあるとは、よもや思いもしなかった。
特撮の部分が古くなるのは、これはもう仕方がない。
マルガリータが空を飛ぶシーンは、やはり原作のほうがはるかに上だ。
黒猫ベゲモートが巻き起こす、ラスト近くの銃撃戦は、まったく迫真力に欠けている。
でも、それが楽しい。
登場人物もそれぞれ魅力的。
詩人のイワンは線が細い人物だと想像していたので、その体格がよいのにはいささか面くらったけれど、デリケートな表情がとてもいい。
巨匠は気むずかしそうで、マルガリータは意思の強そうな顔立ち。
なにより、愉快な黒猫ベゲモートが原作そのままの姿で登場したのは嬉しかった。
後半、作中に古い映像が挿入される。
ひょとしたら、ブルガーコフが生きていたころの映像なのかもしれない。
というわけで。
このDVDはみるに価する。
原作と映像両方あわせて、とても楽しかった。
巨匠は、もともと博物館に勤めていた。
宝くじが当たり、半地下のアパートを借りて引きこもり、ピラトについての小説を書きはじめた。
巨匠には、運命の女性であるマルガリータがいた。
彼女も巨匠の小説を自分の命のように思うようになった。
ところが、小説が完成し、文壇の連中にみせたところ、酷評を受けるはめに。
巨匠は精神を病んでしまう。
自分の小説を燃やすが、マルガリータがそれをみつけ、焼け焦げた小説の一部をすくいだす。
彼女は、夫と別れて巨匠に尽くすことを誓う。
が、巨匠は彼女からはなれて病院に入る──。
物語の後半、マルガリータは大活躍。
ヴォランドの誘いに応じ、魔女となり、巨匠をすくいだすために、悪魔たちによる大舞踏会の女王役を演じる。
後半の主人公はマルガリータといっていい。
そして、ラスト。
小説と巨匠が出会う、美しい瞬間が訪れる。
語り口についてもふれておきたい。
この作品は3つの層からなっている。
「悪魔ヴォランドとその一味が巻き起こす、モスクワでの騒動」
「ユダヤ総督ピラトとイエスの物語」
「巨匠とマルガリータの物語」
の3つ。
この3つの層をひとまとめにしているのが、力強く、自信に満ちた、いささか大仰な語り口だ。
マルガリータの大活躍がはじまる、第2部の冒頭の文章はこう。
《我に従え、読者よ! この世に本物の確かな永遠の愛などないと誰が汝に言ったのか? そんな嘘つきはその下劣な舌をチョン斬られますように!
我に従え、我が読者よ、我にのみ従え、されば我は汝にそうした愛を見せん!》
また、この語り口は大仰であるばかりでなく、大変映像的。
魔女になったマルガリータが、ブラシにまたがり空を飛ぶシーン。
《マルガリータがもう一度強くブラシを握ると、屋根の群れはことごとく地中へと消え、代わって下に揺らめく電灯の湖が現れ、この湖が突如垂直に立ち上がったかと思うと、次の瞬間マルガリータの頭上に現れ、足元で月がきらめいた。自分が逆さまになったのに気がついたマルガリータが、正常な体勢に戻って振り向くと、そこにはもう湖はなく、遙か後ろの地平線に桃色の照り返しが残っているだけだった。それも一秒後には消えて、気がつくとマルガリータは彼女の左頭上を飛ぶ月と2人きりになっていた…》
とてつもない速度で飛ぶマルガリータを描写した、みごとな文章だ。
作者のブルガーコフは不遇だった。
ソビエト体制下で、ろくに活躍の機会があたえられなかった。
おそらく、悪魔一行が巻き起こすモスクワでの騒動に、当時の体制についてのさまざまな風刺がこめられているのだと思う。
でも、知識が乏しいので、このあたり、詳しいことはわからない。
世界文学全集の月報で、池澤夏樹さんはこう書いている。
「ソ連という社会は彼の溢れる才能に気づくほどには開明的であったが、彼の執筆活動をすべて許すほど開放的ではなかった」
さらに、池澤さんはこうも。
「作家として何が辛いと言って書いたものが印刷されないほど辛いことはない」
でも、ブルガーコフは天才だったと池澤さんはいう。
なぜなら、ブルガーコフは活字にならないとわかっていても書き続けたからだ。
ただ書いたのではない。
世界文学全集の水野忠夫さんによる解説によれば、「巨匠とマルガリータ」は第6稿まで書かれたという。
発表のあてがないにもかかわらず、そこまで稿を起こしている。
そして、稿を起こすごとに、小説は豊かになっていったもののよう。
やはり、ブルガーコフは天才だった。
ブルガーコフの生前、陽の目をみることができなかったこの小説は、発刊後、大いに読まれた。
水野さんの解説によれば、1973年から2000年までに、1200万部出版された。
また、群像社版の法木さんの解説によれば、ブルガーコフが一時住んでいた――そして、かわいそうなベルリオーズが死んだあと悪魔一行の一時宿泊所となる――サドーヴァヤ通りの50号室は、訪れるひとが絶えず、本書や作家をたたえる落書きが寄せられ、自然発生的な記念館となり、その後公式に博物館となったという。
作中で、一度は暖炉にくべられた巨匠の原稿は、ヴォランドの手によりよみがえる。
すわっている黒猫ベゲモートのお尻の下から、復活した原稿があらわれるという、感動的であると同時になんとも可笑しいこの場面で、ヴォランドはいう。
「原稿は燃えたりしない」
本書の運命を先どりしたかのようなセリフだ。
で。
話はもどって。
DVDはどうだったか?
DVDは5枚組みの全10話。
全部あわせて500分ほど。
2005年ロシア作品。
パッケージには、いろんな賞をとったことが書かれている。
現実世界はモノクロ。
それ以外はカラー。
つまり、回想や、ピラトの小説や、悪魔たちが活躍する場面はカラーにするという趣向。
普通、回想シーンがモノクロになるのが映像作品の定石だけれど、その逆をしているわけだ。
驚いたのは、内容はほぼ原作のままだということ。
原作には、なかなかきわどいシーンがある。
ベルリオーズは市電にひかれて首を切断されてしまうし、魔女と化したマルガリータは裸になってブラシにまたがり空を飛ぶ。
悪漢悪女がよみがえって踊る大舞踏会のシーンも、悪女たちはみな裸だ。
こんなシーンも原作に沿って映像化している。
じつに果敢。
面白いのは、デッキブラシに乗るマルガリータ。
マルガリータはブラシ部分を前にしてブラシに乗るのだ。
そんな乗りかたがあるとは、よもや思いもしなかった。
特撮の部分が古くなるのは、これはもう仕方がない。
マルガリータが空を飛ぶシーンは、やはり原作のほうがはるかに上だ。
黒猫ベゲモートが巻き起こす、ラスト近くの銃撃戦は、まったく迫真力に欠けている。
でも、それが楽しい。
登場人物もそれぞれ魅力的。
詩人のイワンは線が細い人物だと想像していたので、その体格がよいのにはいささか面くらったけれど、デリケートな表情がとてもいい。
巨匠は気むずかしそうで、マルガリータは意思の強そうな顔立ち。
なにより、愉快な黒猫ベゲモートが原作そのままの姿で登場したのは嬉しかった。
後半、作中に古い映像が挿入される。
ひょとしたら、ブルガーコフが生きていたころの映像なのかもしれない。
というわけで。
このDVDはみるに価する。
原作と映像両方あわせて、とても楽しかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 巨匠とマルガ... | ヴェネツィア... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |