地獄の鍵

「地獄の鍵」(ジャック・ヒギンズ/著 佐宗鈴夫/訳 河出書房新社 1987)

原題は“The Keys of Hell”
原書の刊行は1965年。

タイトルの意味は巻頭に掲げられている。

《地獄への鍵はない――すべての人に扉は開かれている》

アルバニアのことわざとのこと。

本書は、ヒギンズ初期作品のシリーズ・キャラクター、ポール・シャヴァスもの。
シャヴァスは英国秘密情報部のエージェント。
ソルボンヌ、ケンブリッジ、ハーバードの各大学で学び、博士号をもち、数か国語を話す、語学の天才。
のちのシリーズ・キャラクター、ショーン・ディロンを思わせる人物だ。

シャヴァスは元テロリストのディロンとちがい、ストーリーを進めるばかりで、人物としての陰影に乏しい。
本書は、3人称のだいたいシャヴァス視点。
舞台はイタリアとアルバニア。

冒頭、潜入していたアルバニアから命からがら脱出してきたシャヴァスは、長官に彼の地について報告をする。
共産主義者が勢力を得たあとも、国民はなにひとつ獲得していない。
しかし、秘密警察のシグルミがいたるところにいるので、反革命が起こる可能性もない。
私が訪れたことのあるヨーロッパ諸国で、もっとも遅れた国だ。
現在、中国人がくいこんでいるが、本国から遠すぎてたいした援助はできないだろう。

アルバニア海軍はたかが知れている。
掃海艇が6隻に、駆潜船が2隻、どの船も脱出のさいつかったボーナ・エスペランツァ号より遅い。
独裁者ホッジャの政権は、まだ当分続くだろう――。

これから休暇をとるというシャヴァスに、長官はひとつ嫌な仕事を頼む。
わが国とアルバニアの2重スパイ、エンリコ・ノチに、このところ中国人が接触してきている。
そこで、ノチを消してほしい。

シャヴァスは、アルバニア脱出のさいにも助けられたギリオ・オルシニ――元イタリア海軍の潜水艦乗りで、現在は密輸で稼いでいるボーナ・エスペランツァ号のもち主――とともに、ノチをおびきだし、海に沈める。

さて、シャヴァスはオルシニの店があるマタノの休暇をすごすことに。
そこで深夜、暴漢に襲われた女性を助ける。
女性は、先日長官に報告するさい、英国大使館で会ったフランチェスカ・ミネッティ。
フランチェスカはs2(秘密情報部)ではたらいており、シャヴァスのアルバニア脱出にもひと役買ってくれた。
しかし、深夜の海岸でフランチェスカはなにをしているのか。

フランチェスカの母はアルバニア人。
ゲグ族の族長の娘で、5年前に亡くなった。
父は1939年に進駐してきたイタリア軍の山岳部隊の大佐で、サハラで死亡。
2人の叔父は、王政をめざした北部アルバニアのレガリティ(合法運動)のメンバーだったが、1945年、山岳地帯にいたレガリティのメンバーを停戦交渉の場に誘いだしたホッジャにより処刑された。

アルバニアでは、宗教儀式は一切禁止というのが政府の方針。
そのため、カトリック教会はほぼ壊滅。
しかし、この1年、北アルバニアの経済・文化の中心地であるスクータリで、フランシスコ修道会の神父の指導のもと、信仰復興運動が起こった。
スクータリには、聖母像のために建てられた教会がある。
聖母像はとても古く、黒檀に金箔を貼ったもので、黒い聖母と呼ばれている。

政府は教会をとり壊し、聖母像を中央広場で燃やしてしまおうとするが、神父たちはそれを知り聖母像をかくす。
さらに、聖母像を国外に脱出させようとする。
聖母像がぶじイタリアにはこばれ、イタリアの新聞紙上に報道されれば、各地に散らばっているアルバニアのひとびとを大いに勇気づけるだろう。

その聖母像の国外脱出に、フランチェスカもかかわっていた。
アルバニア海軍は貧弱なので、いくのは問題ない。
が、聖母像を受けとって帰るさい、哨戒艇にみつかってしまった。
聖母像を積んだままランチは大破して、沼沢地に沈み、ランチのもち主であった弟のマルコは死亡。
フランチェスカは仲間とともにイタリアにもどってきた。
そして、仲間から電話があり、再びアルバニアに渡るために、今晩フランチェスカはマタノの海岸にやってきたのだった。

もちろん、シャヴァスはフランチェスカに助勢することを告げる。
フランチェスカをオルシニに紹介し、ランチが沈んだ場所の見当をつける。

ところで、フランチェスカに連絡してきた仲間というのは、すでに監視されているのではないか。
そこで、シャヴァスがその仲間のいるホテルにおもむくと、案の定の展開となり、アデム・カポと名乗る人物――元アルバニア内務省高官で、イタリアに政治亡命した人物――に捕まってしまう。
が、なんとか脱出し、自身のホテルにもどる。
と、こんどはフランチェスカが何者かに拉致されている。

拉致したのは、海岸でフランチェスカに飛びかかった暴漢が怪しい。
暴漢には顔にひどい傷跡があったことをシャヴァスはおぼえていて、それをオルシニに告げると、オルシニは大笑い。
そいつは地元のろくでなし、ヴァチェリだ。
おそらく、このろくでなしは、フランチェスカの仲間を殺したアデム・カポに雇われたのだろう。

で、ヴァチェリの店にいき、フランチェスカを救出。
翌朝、オルシニのボーナ・エスペランツァ号に乗り、一行は聖母像回収のためアルバニアに向かう――。

沈んだ船からなにかを回収するという話は、ヒギンズ作品にたびたびでてくる。
本書はその走りだろう。

このあとアルバニアに渡った一行は、秘密警察に捕まったり、裏切られたり、現地のゲグ族の味方を得たり、アデム・カポが案外大物だということがわかったり、仲間を助けたり、沼沢地を逃げ回ったり、なんとか脱出したりする。
最初期のヒギンズ作品らしく、話の展開はじつにストレート。
ひねりがないといえなくもないが、無理にひねっているよりよほどいい。
ヒギンズは、初期にいろんな路線をためしたが、けっきょくこのシャヴァスの路線――国家のエージェントの路線――が、ショーン・ディロンものに引き継がれていくことになる。

また、この作品でもヒギンズ作品にときおりあらわれる宗教色が見いだせる。
アルバニアで危機におちいったシャヴァスは、カトリック教会のシェフ―神父の協力を得る。
そのシェフ―神父の描写はこんな風だ。

《男らしい男だった。信仰心に厚く、結局なにが大事であるかをよくわきまえていた。エンベル・ホッジャやアデム・カポのような連中は現れたり消えたりするだろう。そして、結局はシェフ―神父という岩にぶつかって砕けるのだ。》

この保守的なところも、冒険小説の魅力のひとつといえるだろうか。


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