死にゆく者への祈り

「死にゆく者への祈り」(ジャック・ヒギンズ/著 井坂清/訳 早川書房 1982)
原題は“A Prayer for the Dying”
原書の刊行は1973年。
「鷲が舞い降りた」まで、あと2年。

訳者あとがきによれば、自作のなかで一番好きな作品はなにかという質問に対し、ヒギンズは本書、「死にゆく者への祈り」を挙げたとのこと。

3人称多視点。
ほとんど、ひとつの町を舞台にしたスモール・タウンもの。
天才的な銃の使い手にして、オルガンの名手、元IRA中尉マーチン・ファロンの物語だ。

冒頭、昔の仲間と警察と、双方から追われるファロンは、ロンドンの武器商人クリストゥをたずねる。
クリストゥは、ファロンがほしがっているパスポートとオーストラリアいきの船の切符、それから200ポンドを条件に仕事をもちかける。
標的は、ジャン・クラスコという男。
依頼主は、〈英国版アル・カポネ〉と呼ばれるジャック・ミーアン。
裏社会のもめごとの果ての依頼だ。

IRAの一員として活動中、ファロンは誤ってスクールバスを吹き飛ばしたことがある。
クリストゥがそのことに触れると、ファロンは激昂。
この依頼を断る。
しかし、クリストゥがファロンを特別保安部(スペシャル・ブランチ)に密告したことでゆき場をなくしたファロンは、この仕事を引き受けざるを得なくなる。

ファロンは依頼を達成すべく町にいき、司祭を装い墓参中のクラスコに近づき、射殺。
が、その場面をダコスタ神父にみられてしまう。

ダコスタ神父は、戦時中はSAS(特殊部隊)の中尉だった。
戦後は、叙階を受け、伝道の仕事につき、朝鮮にいって中国軍に5年近く捕まる。
その後、モザンピークに派遣されるが、反乱軍に同情的すぎるとの理由で国外追放にあい、現在はいまにもくずれそうなこの町の教会の司祭をしている。

ファロンは、ダコスタ神父に殺人をおかしたことを告解。
わたしを利用したなと、ダコスタ神父は大いに怒るがどうにもならない。
告解の秘密は神聖であり、ほかにもらすことはできない。
ヒッチコック映画、「私は告白する」状態に。

クラスコ殺しの捜査のために、ミラー警視とフィッツジェラルド警部がダコスタ神父に協力をもとめにくるのだが、神父は話すことができない。
ミラー警視は、この殺人事件の背後にジャック・ミーアンがいることに気がついている。
この事件をきっかけにして、いつも法の網をくぐり抜けるミーアンを捕まえたいと思っているのだが、証拠がつかめない。

ジャック・ミーアンの本業は葬儀社の経営。
葬儀の職務にたいしては、大変熱心かつ真摯。
が、もちろん乱暴者で、不適切な行為をした部下の手を、作業台に打ちつけたりする。
にもかかわらず読書家で、ハイデガーやアウグスチヌスの「神の国」を読むという複雑な人物。

ファロンはミーアンのもとにでむき、仕事の結果を報告。
1500ポンドと、日曜の朝、船に乗ってから、あと2000ポンド支払われることになる。
ただし、目撃者であるダコスタ神父も消すようにとミーアン。
この依頼をファロンは断る。

日曜日まで、ファロンはどこかに隠れていなくてはいけない。
そこで、ミーアンの口利きで、元娼婦のジェニー・フォックスの家に厄介になることに―――。

このあたりまでが、本書の3分の1くらい。
元IRAのガンマンという設定は、「サンタマリア特命隊」の主人公エメット・ケオーを思いださせる。
スクールバスを爆破したなどという負い目をもつところも同様。
音楽的才能をもつという点では、「暗殺のソロ」の主人公、ジョン・ミカリにつながる設定といえるだろう。
登場人物の各資質を少しずつずらしながら再利用し、作風を洗練させていったヒギンズ作品の軌跡がうかがえる。

神父が主要な登場人物である点も、「サンタマリア特命隊」と似ている。
ヒギンズ作品には神父や修道女がよくでてくるけrど、ヒギンズはカトリックなんだろうか。

ダコスタ神父には、一緒に暮らすアンナという盲目の姪がいる。
「ラス・カナイの要塞」には、主人公の盲目の妹が登場したなと、ここでも思い出す)
このあと、ミーアンに狙われたダコスタ神父とアンナを、ファロンが守るという展開になっていく。

この作品でも、キャラクターや作中の雰囲気を強く印象づけようとするあまり描写がくどくなるという、初期ヒギンズ作品のくせがでている。
登場人物の情報を小出しにするという、思わせぶりなだけで効果のない手法も依然として残っている。

また、場面、場面はよいのだけれど、場面と場面のつながりがよくない。
必然性がいまひとつたりない。
後期のヒギンズは、場面と場面のつながりだけで読ませるような作風になることを思うと、やはりまだ技量が落ちると感じてしまう。
けれども、全体としてはよくまとまっている。
欠点は欠点として、作風がひとつの完成にいたったと感じられる。

上記のような感想は、ヒギンズ作品をさんざん読んでから、この作品を読んだために感じたことかもしれない。
最初にこの本を読んでいたら、またちがっていたかもしれない。

読んだのは、2013年に刊行された、16刷。
新装版で、通常の文庫より1センチほど背が高いサイズのもの。
表紙には写真がつかわれている。
ヒギンズ作品というと、表紙はいつも生頼範義さんのイラストだという印象があるから、写真だったのは少々さみしい気持ちがしたものだ。



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