気晴らしの発見

「気晴らしの発見」(山村修 大和書房 2000)

著者の山村修さんは、大学図書館員。
また、〈狐〉というペンネームで書いた書評によって名高い。
このひとの書評は、声が高くなることがない。
穏和なところがとても好ましい書評だった。

本書は闘病記。
闘病記といったら、大げさすぎるかもしれない。
ある日、山村さんは眠れなくなってしまった。
少し眠っても、すぐさめる。
さめると、その後眠れない。
この状態を、早朝覚醒というらしい。

さらに、手指や足の甲がしびれる。
こめかみがジンジン鳴る。
呼吸が短くなり、心拍が早くなる。
顔が青ざめ、寒気がする。

なぜ、こんな状態になってしまったのか。
職場で昇進し、管理職になったストレスからだという。
泣ける。

こういう状態を記しても、著者の文章は穏和で、乱れることがない。
2000年刊のこの本には、「うつ」という言葉が一切でてこない。
でも、いま書かれていれば、「うつ」という言葉がつかわれたかもしれない。

大学図書館員という職業柄だろうか。
山村さんはものごとを調べるのが好きだ。
ストレスにさいなまれる身となった山村さんは、ストレスについて調べはじめる。
そして、ストレスによってコレステロールが急増したとわかると、今度はコレステロールについて調べはじめる。

ストレスというものを提唱した、ハンス・セリエにはじまり、梶井基次郎、多田道太郎、コレステロールの発見者シュブルール。
ポーの「息の喪失」という短編を読んで身につまされ、ヨーグルトをめぐって、革命家レフ・イリッチと、免疫学者イリヤ・イリッチのメチニコフ兄弟を知る。
読者としては、知識のかけらが次つぎにつながっていくさまが面白い。
それにしても、こんなにブキッシュな闘病記はなかなかないのではないか。

さて。
ストレスによりコレステロールが急増したと知った著者は、意志をもって気晴らしに挑む。
タイトルにあるように、「気晴らし」の発見につとめる。

まず、時間をつくる。
この「間をつくる」ということに、著者の賢明さがあらわれている。
晴ればれとするには、そのための時間をまず用意しなくてはいけない。

「仕事をしながら気が晴れる。あるいは遊びながら気が晴れる。そのように片手間に気晴らしができるのは健康人だけだ」

つくった時間でなにをしたか。
イッセー尾形のひとり芝居のビデオを続けてみる。
たまたまみた料理番組で、味覚を失った自分を悲しむ。
そして、いままで感情が平板になっていたと、悲しめたことに希望をみる。
野口三千三(みちぞう)の「野口体操」にならって、風呂のなかで呼吸してみる。
早朝覚醒がはじまる前から習っている謡にはげむ。
見れども見ずという状態の自身に気がつき、デッサンの真似事をしてみる。

――以上のことは、全てひとりでやることだ。
本書の終わりのほうで、著者は思いがけなく、イッセー尾形のひとり芝居の演出をしている森田雄三さんのワークショップに参加する。
他人と交わり、もまれ、30枚くらいの小説を書くはめになり、しかも何度も書き直しを命じられる。
そのうち、ふと睡眠薬を飲むのを忘れて眠っていたりするのに気づく。
ワークショップでの「言葉」のやりとりが効いているのにちがいない。

「言葉は人の頭にあるのではない。身体の外へ出て、人が耳で聴いて、目で見て、それではじめて言葉になるのだ。そして言葉が、めぐりめぐって、身体をほぐすのだ」

職場で得た病いなら、職場に原因があると思うけれど、本書に職場の話はいっさいない。
個人的な対応に終始している。
そこが、また痛ましいところだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 戯曲アルセー... バッファロー... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。