ムーミンについて その2

前回は、「ムーミン谷の仲間たち」についてふれた。
今回は簡単に長編についてみていきたい。
読んだ順番にいく。
「ムーミン谷の仲間たち」のあとに読んだのは、「たのしいムーミン一家」

冬眠から目覚めたムーミンたちは、〈おさびし山〉にでかける。
そのてっぺんで、真っ黒いシルクハットをみつける。
これが、じつは魔法の帽子。
この不思議な帽子のおかげで、さまざまな騒動が起こる。

ところで、この帽子は〈飛行おに〉という人物が落としていったものだった。
飛行おには、いつも黒ヒョウに乗り、ルビーをあつめてまわっている。
〈ルビーの王さま〉を手に入れるために、ほかの星までさがしにでかけ、いまは月をさまよっているという。

その〈ルビーの王さま〉をもっている人物が、ムーミン谷にあらわれる。
その人物とは、トフスランとズフスランという、いささか手ぐせの悪い夫婦。
2人はモランという、触れたものをみな凍らせる不気味なおばあさんから、〈ルビーの王さま〉を手に入れていたのだ。

トフスランとズフスランを追って、モランもあらわれる。
が、ムーミンママの機転により、モランは飛行おにのシルクハットをもらって去っていく。
そして、物語の最後に、〈ルビーの王さま〉をもとめて、飛行おにがやってきて――。

とまあ、本筋だけ抜きだしてみた。
でも、本書の魅力は、しばしば本筋をおおい隠してしまうほどよく茂った、豊かな脇筋にある。
本書には、各章に小見出しがついているのだけれど、たとえば第4章の小見出しはこんな風だ。

「ニョロニョロが夜おそってくる。おかげでスノークのおじょうさんが、髪の毛をなくす。はなれ島でのいちばんめざましい発見」

これは一体、なにがなにやら。
ところが、読むとじっさいこういうことが起こっているのだから驚いてしまう。
しかも、この章で起こることは、本筋とはまるで関係がないのだから、さらに驚く。

こんなに脇筋だらけで、一体どうやってストーリーを着地させるつもりだろうと思って読んでいると、最後の最後でじつにうまく物語は大団円をむかえる。
この構成は素晴らしい。
「たのしいムーミン一家」は、本筋と脇筋のバランスがうまくとれた、児童文学の傑作といえるだろう。

あと、これは細かい話になるけれど、冒頭、ムーミンたちが冬眠から目覚める場面で、スナフキンも一緒に冬眠していたのにはびっくりした。
たしか、最初のTVアニメのシリーズでは、最終回、冬眠するムーミンたちに別れを告げ、スナフキンがムーミン谷を去るのではなかったっけ。

さらに細かい話をすると、ムーミンたちは冬眠するとき、なぜだか知らないけれど「松の葉っぱ」を食べる。
でも、富原真弓さん訳のコミック版をみると、食べているのは「もみの木の葉っぱ」だ。
ところが、コミックの英訳版をみると、「Paine Tree」となっていて、やっぱり松の葉っぱを食べているよう。
いやでも、北欧に松は生えているんだろうか。
謎が謎を呼ぶ。

それから。
本書でも、ヘムレンさんが登場する。
このヘムレンさんは、どうも「ムーミン谷の仲間たち」に登場したヘムレンさんとは別人のよう。
ムーミン・シリーズは、ムーミン一家やスナフキンなどのキャラクターははっきりしているけれど、ヘムレンさんやホムサあたりになると、人物像がぼやけて、あやふやになってくる。
しかも、ヘムレンさんの場合、同じ名前だったりするから、ことはややこしい。

さて。
次に読んだのは「ムーミン谷の彗星」
この作品は、文字通り、ムーミン谷に彗星がぶつかるという話。
ムーミン谷の危機に、ムーミンやスナフキンやスニフが右往左往する。

作中、ムーミンとスニフは、彗星のことを調べるため、川を下り、天文台に向かう。
その途中、2人はスナフキンと出会う。
その場面はこうだ。

「ハーモニカの音がやんで、テントからは一ぴきのムムリクがあらわれました」

どうやらスナフキンは、ムムリク族の1匹であるらしい。
では、ムムリクとはなんなのか。
そんな説明は例のごとく一切なしだ。
登場人物が説明なしで突然あわられるのは、ムーミン作品の大きな特徴だろう。

次は、「ムーミンの夏まつり」
火山の噴火により、海の水が押し寄せ、ムーミン谷は水びたしに。
一家は、たまたま出会ったホムサとミーサとともに、流されてきた家みたいなもの――じつは劇場――に移り住む。
劇場は、もみの木湾に流れ着き、ムーミンとスノークのお嬢さんが一家とはなればなれになったり、ミイが水に流されたり、そのあげくスナフキンと再会したり、スナフキンは大勢の子どもをかかえたり、一家は劇をもよおしたりする。
もちろん、最後はみんなめでたく再会して、ムーミン谷にもどり、大団円をむかえる。

「たのしいムーミン一家」にならぶ、愉快な児童文学。
思いがけないことがたくさん起こっても、語り口はいたって平静。
登場人物たちは、自分を見失うことがなく、安心して読み進められる。
それにしても、ムーミン谷はなかなか自然災害が多いところだ。

この作品で印象深いのは、スナフキンが公園番にいたずらを仕掛ける場面。
公園番は、公園のあちこちに「なになに禁止」と立札を立てている。
それが、立札が嫌いなスナフキンは気に入らない。

スナフキンが公園番に仕掛けたいたずらは、「ニョロニョロの種をまく」というもの。
なんと、ニョロニョロは種から生まれるのだ。
でも、まくのは夏祭りのイブにかぎられる。
スナフキンがまいた種のおかげで、公園はニョロニョロだらけに――。

さて。
ムーミンシリーズが児童文学らしいのは、このへんまでだ。
(といっても、作者がどんな順番で書いたか知らないから、自分が読んだ順番での話になるけれど)

「夏まつり」以降のムーミン作品は、筋があるのかないのかわからなくなっていく。
本筋は消えるというか、深く静かに潜航していくというか、そんな風になり、ひと目でわかりにくくなる。
全編に渡り、ただただ登場人物たちのやりとりだけがくり広げられるようになっていく。

「ムーミン谷の冬」
11月から4月まで冬眠するのが、ムーミン一家のしきたり。
ところが、ムーミンだけがなぜか目をさましてしまう。
(ちなみに、この巻では、スナフキンは毎年10月になると南にでかけ、春になるとムーミン谷にもどってくるようだ)
なぜかミイも目覚める。

ムーミン一家が夏のあいだつかっている水浴び小屋にはおしゃまさん(ティトゥッキ)が住んでいる。
雪のなかでは、ムーミンの知らないさまざまな生きものが暮らしている。
連中とは仲良くなれそうにない。
ムーミンは大変心細い思いをする。

そのうち、モランやフィリフヨンカや、ちょこちょこばしりのサロメちゃんや、騒ぞうしいヘムレンさんや、犬のめそめそといったキャラクターが登場する。
しかし、なんといっても一番の驚きは、ムーミンのご先祖さまがあらわれることだろう。
ご先祖さまは毛むくじゃら。
1000年ほどの歳月で、ムーミン一族からは毛がなくなってしまったらしいのだ。

本書には筋らしい筋はない。
ただ、ムーミンがひと冬をすごすというだけの話だ。
でも、ムーミンの心細さが全編をおおっていて、作品になんともいえない深みと静けさをあたえている。

「ムーミンパパの思い出」
ある日、カゼをひいて寝こんだパパは、「どうせ外にでられないんだから」とママにいわれ、自伝を書くことに。
パパは、書き上がるたびに、皆に読んで聞かせる。
それを聞いたムーミンやスニフやスナフキンは、あれこれと感想を述べる。

つまり、この作品は、作者の文章、パパの書いた自伝、それを聞いたムーミンたちの感想という、3層から成っている。
なかなか凝った語り口。

さて、自伝によれば、パパは捨て子ホームに捨てられていた捨て子だった。
大きくなったパパは、ヘムレンさんが経営する窮屈なホームを脱走。
フレドリクソンと、その甥でなぜか片手鍋をかぶっているロッドユール、それにヨクサルと出会い、みんなでつくった船に乗りこんで航海へ。

旅の途中、モランがでてきたり、ニブリングに出会ったり。ヘムレンさんに再会したり、ニョロニョロをみかけたり。
最後はママとのなれそめで幕。

パパの自伝は、脈絡があるんだかないんだかよくわからない。
そこが魅力といったら可笑しいか。
ところどころ鼻もちならない発言があるのもご愛嬌。
「ムーミンパパ海へいく」とあわせて読むと、作者のヤンソンさんはずいぶん父親のことが好きだったのではないかと思わせられる。

本書では、登場人物たちの系図の一端が明かされる。
スニフは、ロッドユールとソースユールの子どもだった。
でも、ソースユールはいったい何者なのか、登場したとたん結婚するのでわからない。
また、スナフキンはヨクサルとミムラの子どもだった。
つまり、スナフキンとメイは義理の兄妹ということになる。

パパの自伝はママとのなれそめで終わるけれど、本書はもう少し続く。
そのエピローグで、3層の語りはひとつにまとまる。
なんとも賑やかな、嬉しい幕切れだ。

「ムーミンパパ海へいく」
本書は、「ムーミン谷の冬」の作風を、さらに押しすすめたといえる作品。
登場人物は、ムーミン一家――パパとママとムーミンとミイ――、それからモランと、灯台守のみ。

パパの思いつきで、一家は灯台のある島に移り住む。
ところが、島は荒涼としていて、暮らしはわびしい。

島に到着したものの、灯台に入れない。
なんとか灯台に入ったものの、灯台に明かりがつかない、つけられない。
灯台守になりにきたのに、これではムーミンパパの立つ瀬がない。
それでも、パパはパパらしく振舞おうと奮闘する。

島は岩だらけで土もない。
ムーミンママは花壇をつくろうとするが、うまくいかない。
思いあまって、ママは灯台のなかの壁に、草花に満ちたムーミン谷の絵を描きはじめる。

本書では、ミイはムーミン一家の養女になっている。
ムーミンはミイに、「養女になったからっていい気になるなよ」などという。
相変わらずの不穏発言。
もちろん、ミイはこんなこといわれたってへっちゃら。

そのうち、一家は離散してしまう。
ミイはミイで勝手に暮らし、ムーミンはムーミンで灯台をでて、勝手に暮らすようになる。
ムーミンは、夜、島にやってくる美しい海うまに夢中。
そして、島にはモランがやってきて、おびえた島の木々はうごきだす――。

本書は全体的にもの悲しい。
やろうとしたことはほとんどうまくいかない。
たがいの思いは通じあわない。

この話はいったいどういう結末を迎えるのだろうと思っていると、はたして、どうにもならない。
ただ、ものごとが収まるべきところに収まったという感触があるだけだ。
でも、こういった感触をあたえてくれる作品は、世の中にそう多くない。

この作品はもう、児童文学の範疇からはみだしている。
作者は、ムーミン小説とでも呼ぶほかないものを発明したとしか思えない。
シリーズ中、どれが一番かと訊かれたら、本書が随一だとこたえたい。
ただ、最初にこの作品を読むのは薦められないけれど。

――まだ、続きます。


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