いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第76週

2016年04月09日 20時01分50秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

 

■ 今週の知らない猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の旧江戸城


皇居・千鳥ヶ淵

■ 今週の印度旗翩翻 (愚ブログ、シリーズ第3弾)


インド大使館。 皇居・千鳥ヶ淵向かい。インドは観光も含めていかなる入国もビザが必要。
これまでおいらはインドの6回行ったが、ビザ取得は会社任せだったので、インド大使館に来たことはなかった。
この日はじめてみた。

 
   第1弾                        第2弾 

■ 今週の江戸しぐさ; 「初代天皇である神武天皇の式年祭が、大正5年以来100年ぶりに行われた」(google

ここで、「江戸しぐさ」とは、いつも云うとおり、創造された伝統 [google] のことである。


ネット上からのパクリ

大正天皇が100年前に神武天皇の式年祭を行ったその100年前、つまり今から200年前、日本には「天皇」はいなかったのである。今につながる「天皇」の"誕生"まで25年待たないといけないのだ。おそらく、今の皇室の先祖は200年前以前は、神武天皇の式年祭なんてやっていないのではないだろうか(おいらの推定。調べればわかる)。

明治維新の時の天皇は明治天皇であったが、その王政復古の偉業達成は、明治天皇に先立つ光格、仁孝、孝明の三 代の天皇の朝廷の権威の復興の成果であったとされる。なにしろ、光格天皇以前の天皇は、62代の村上天皇を最後として、「天皇」ではなかった。例えば、現 在この平成の時代、建武の中興の帝を後醍醐天皇と呼ぶがこれは大正時代に日帝政府が称号を定めたからで、江戸時代は後醍醐院と呼ばれていた。『神皇正統 記』においても歴代「天皇」での記述において、第六十二代・村上天皇, 第六十三代・冷泉院とある。その「天皇」号の復活が光格天皇から復活した。愚記事

天保12年1月27日(1841年2月18日)、第58代光孝天皇以来1000年近く絶えていた漢風諡号選定(但し、崇徳・安徳・順徳の各天皇を除く)及び第62代村上天皇以来900年近く絶えていた天皇号(但し、安徳・後醍醐両天皇を除く)を復活させ、「光格天皇」と諡された(wikipedia 光格天皇)。

別においらは難癖をつけたいのではなく、むしろ、江戸しぐさ撲滅派には、宥和を求めたい。ただし、「江戸しぐさ」は「江戸しぐさ」とわかって実施することが大切。そうしないと、ある日、足元を掬われる。今の日本には左翼がいなく、りべらるさまの事情は下記のごとしなので、問題が顕在化していないだけなのだ。

それにしても、これまでしなかったことに踏み込む安倍政権の暴走!と政府を非難するりべらるの方々は、これまでしなかったことに踏み込むに皇室には寛容だ。皇室大好きはなんりべの特筆すべき典型属性ではある。

■ 今週の新作江戸しぐさ; おいらも江戸しぐさを捏造してみました。

 
江戸っ子は、花吹雪でも傘をささない!」 (元ネタ:蝦夷っ子は...

あたりまえだろう!という御仁は下記参照。非江戸っ子は、花びらを避けて傘をさしています。花粉症対策?

■ 今週のおまわりさん


千鳥ヶ淵向かい、英国大使館

インド大使館と同じく千鳥ヶ淵に面して建つ英国大使館の前では、警察が常駐。バス2台。インド大使館前には警察なし。

■ 今週の展示会 

 
東京駅 ジョルジョ・モランディ―終わりなき変奏

   

 モランディなんて知らなかった。でも、画風が好みだと思ったのでみにいった。果たして、モランディの系譜にシャルダン、スルバランキリコなどがあるとわかった。おいらの好みの系譜がわかった。

なお、彼はイタリア人であり、世に出るのが嫌で、即物的にも旅行せず、故郷で終生過ごしたとのこと。 ハイデゲリアンだったのだろうか?

■今週のイタリア人@田舎に留まらなかった耶蘇坊主

発掘の遺骨は宣教師シドッチか[google]

これはびっくり。新井白石(愚記事群)と対峙した耶蘇坊主シドッチの遺骨が発掘されたとのいうのだ。正確に云うと、数年前発掘された人骨の遺伝子解析結果が出た結果、毛唐さん系のものと判明。情況から考慮して、シドッチの可能性大、とのこと。

元祖グローバリズムはローマンカトリックである。世界制覇をした。その世界制覇に染まらず今に至っているのがわれらがぬっぽんだ。新教の自由が認められても、日本での耶蘇教普及は極めて低調。これは日本の特筆すべき属性。

シドッチは、白石の努力もあって、死罪を免れ、上ニュース記事にある「切支丹屋敷」に幽閉される。しかし、世話をする日本人夫婦に洗礼をおこない、耶蘇としたことが、彼ら夫婦の自白で明らかになる。首ははねられなかったが、地下室で病死。 wiki

東京都文京区の「切支丹屋敷」って報道では書いている。今、「切支丹屋敷」は茗荷谷にあったと知る。

やはり、中野重治は偉大なり; 「しかし何でまた文京区なんて馬鹿な名を思いついたのかいな。よりによって、そんな名を思いつくことが、そんな能力があるってことがおかしい・・・」 (愚記事

■ 今週の 同じ穴の貉

パナマ文書 [google]

一蓮托生で地獄に落ちてほしい。

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