いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

連立、自衛隊、あるいは首相になれなかったこと

2007年11月04日 17時05分35秒 | 日本事情



■先週末からの大連立騒ぎに、一日発売の文芸春秋社の雑誌『諸君』の伊藤隆センセの「吉田茂新発見書簡と自衛隊の誕生」は、全くの偶然にして、驚くほどタイムリーである。

類似と経緯の2つのポイントが重要。トップ会談・連立の背景とその実現のためのコミュニケーションと工作(類似)と対米協力の産物としての自衛隊の設置(経緯)。

今回の自民党と民主党の大連立模索の背景には、自衛隊による対米協力遂行の不可避性があり、亀井静が睨んでいるように小沢党首の連立模索には暗に陽に米国の影があるのであろう。

小沢党首は万が一民主党が政権を取っても、 抑々東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与する そもそも対米貢献を確保し、以って世界の平和に寄与する、という属領日本の本義が果たせなければ、早晩民主政権日本は内閣発足数週間で立ち行かなくなるとわかっている。

●現在の海上自衛隊の給油任務の正当性の有無の議論もすべて不幸な政治の歴史のしわ寄せの結果に他ならない。その不幸な政治の歴史とは現在のマッカーサー憲法下での自衛隊の正当性の有無の問題である。

さて、上記の伊藤の論文は、吉田内閣で政敵であった改進党の重光葵を巻き込んで、つまりは政権を禅譲する、あるいは副総理にすると「誘惑」し、防衛庁設置法案と自衛隊法案を成立させた経緯と、「誘惑」された重光は結局、首相になれなかったこと、そして、重光が吉田内閣で副総理にも外相にもしてもらえなかったことにその後文句を言っていないのはなぜか?という謎の提起でおわっている。

終戦直後のマッカーサー憲法制定の時は自衛戦争を明確に否定した吉田茂と、国家たるもの自主的軍隊を持つのは全く当然とする重光は、昭和28年に自衛隊を発足させた。実態は彼ら政治家が議院内閣制に基づき、行政部門のひとつとして自衛隊を設置したのではない。朝鮮戦争がはじまり背に腹をかえられなくなった占領軍・マッカーサーが日本に実力部隊の設置を命令して、占領軍の命令として自衛隊の前進の警察予備隊、保安隊が既にできていた。

つまりは、繰り返すと、議院内閣制の産物ではなく、占領軍、米軍の命令であり、さらに実態としては航空自衛隊のようにルメイと源田の「野合」にほかならない。その「野合」の子を後追い認知したのが、上記の吉田・自由党と重光・改進党の防衛庁設置法案と自衛隊法案である。 

吉田の自衛戦争も放棄発言から、自衛隊発足までにいたるこの経過こそが戦後日本の『無原則な防衛政策』の原点である。

重光は憲法改正を経て、堂々と再軍備をするという従来の自説をすて、長らく占領軍の策の実行に腐心してきた吉田と組んで、米衛隊でしかない自衛隊を設置した。これで、重光は改進党内での求心力を失ったのだろう。

■自衛隊というのは、米衛隊、つまりは米国の本土にいる州兵のように遠征軍の基地を守る部隊である。米国本国のある州なら州兵ではあるが、日本は米国本国ではないので、属領の植民地軍にほかならない。

インド洋の給油作業も、海上「自」衛隊が、つまりは属領の植民地軍・海上「米」衛隊が、遠征軍につきあわされていると思えばよく理解できる。これは、合法か違法か、あるいは、良いか悪いかは別にして、対米協力である。この対米協力をしないとコッカとして存続できないと認識して必死なのがわれらが愚民党であり、多数のぬっぽんずんもそう考えているらしい。別に属領だから悪いわけでもなかんべ、というのはひとつの見識である。

▼さて、重光が吉田内閣で副総理にも外相にもしてもらえなかったことにその後文句を言っていないのはなぜか?という謎であるが、重光は憲法改正による再軍備という自説を棄てたので政治的求心力を失い、政治的要求をする贅沢が許されなくなったのだろう。つまりは、政治力をそれ以上失わないことに必死だったのだ。

今日、小沢一郎さんが党首を辞めざるを得なくなったのと同じ理由だ。







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