いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ラールキラー 新展示

2008年02月22日 10時22分44秒 | インド・2・4・5回目

Swatantrata senani Smarak = Freedom Fighters' Memorial 自由の戦士記念館 ■昨日の記事のラールキラー(ムガール帝国の城)にあるインド陸軍の歴史展示館(*1)に3年前にあったスバス・チャンドラ・ボースの展示ブースが改修中だった。あきらめて、ラールキラー敷地内の別のところへ行く。ラールキラーは今となっては一部が鉄道線路と高速道路で切り取られてしまっている。その線路と道路を跨ぐ橋を渡っていく領域に何かあるらしい。3年前はそのあたりは立ち入り禁止だった。行く。

  
線路と道路を跨ぐ橋を渡る。果たしてあったのが、上の画像の「Swatantrata senani Smarak」。 (スワンタントラ セナミ スマラークだって。オウムの呪文みたいだなw。)

 


ありましたよ。セバス・チャンドラ・ボース展示ブース。

展示してあった写真です。  「自由」と「神風隊」が共存するっておもしろい。


 
ガンディーとボース、ネルーとボースです。  日本人でガンディーとネルーを知っていてもセバス・チャンドラ・ボースを知らない人は多いだろう。 ボースが日本と一番縁があるのに。

 

シンガポールでのインド陸軍建軍の瞬間。 ボースの後ろに日帝軍人が写っている。
 いか@サマ記事; Chalo Delhi! INA :インド国民軍

*1; ラールキラーはインド陸軍が管理している。ラールキラーの門にはかつてここに駐屯した部隊の履歴が表示してある。さて、建軍。軍隊を軍隊たらしめる要素はさまざまあるだろうが、重要なひとつの因子が建軍の精神。インド陸軍は、1942年に大英帝国の従属軍として、「世界」破壊を企てた大日本帝国陸海軍のシンガポール陥落のとき、日帝の捕虜となったインド兵をスバス・チャンドラ・ボースが引き取って、建軍した軍隊に他ならない。

スバス・チャンドラ・ボースは日帝主催の大東亜会議に準政府・自由印度として参加している。

ちなみに、建軍の精神がないものこそ、われらが陸・空・海「米」衛隊にほかならない。占領下、統治者たるマ元帥の命令で組織された、属領・対米軍事奉仕隊にほかならないからである。

ハワイ?帰りで本務である対米奉仕訓練のあと属領・「祖国」に帰還する途中、漁船のひとつやふたつふみにじっても、なんら痛痒は感ずるはずがないのである。 だって、「米」衛隊なんだから!

だから、せめて、佐久間艦長と同じ、日の丸を掲げることだけはやめてほしい。 だって、きみたちは、「米」衛隊なんだろう!






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