いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東條首相 総理大臣室(七月三十一日撮影) だって。

2006年02月02日 20時19分45秒 | 日本事情


アサヒグラフ大東亜戦争第三十四報

昭和十七年 八月十九日号

発行所 
東京市麹町区有楽町二丁目三番地
朝日新聞東京本社

発売所 朝日新聞社

■朝日って戦前は有楽町にあったんだね。

■ひろひとさんが靖国神社に行かなくなったのは、いわゆる「A級戦犯」が合祀されたからだと言うひとがいる。確かに、時間軸で見ると松平宮司長が、決断主義的に、いわゆる「A級戦犯」を合祀した後に、ひろひとさんは靖国神社に行っていない。これを、ひろひとさんが、いわゆる「A級戦犯」の合祀に反対だからと解釈するひとがいる。

■靖国神社問題を考慮外にしても、ひろひとさんが東條元総理大臣の慰霊を行わなかったことは君臣の道に悖るものといわざるを得ない。なぜなら、東條英機さんはクーデターを起こして政権を奪取したわけないことはもちろん、総理大臣になろうと画策・陰謀した気配もない。事実は重臣会議が決定し天皇に進言、天皇が東條英機さんに命を下したのである。

■本来なら、維新政府なのであるから天皇自ら国政を総攬すべきを、東條英機さんにも、輔弼願い、手伝ってもらっていたのだろう。早い話、東條英機さんはひろひとさんの第一臣下、部下なのだ。部下が自分の命令で事をなして、その過失、どころか罪科とされる、を犯して刑死した場合、「上司」に責任はないのであろうか? もちろん天皇は大日本帝国憲法で無答責・無責任なのであるからとやかく言うべきではないのであるが、せめて、自分の身代わりに死んだ、部下・臣下の慰霊はすべきではないか。

■しかしながら、戦後日本で、靖国神社以外でも、ひろひとさんがいわゆる「A級戦犯」を慰霊しないということに政治責任を求めた声は聞かない。もちろんこれは一般国民の東條以下、いわゆる「A級戦犯」憎しのルサンチマンを背景にしてのことだろう。 それにしても戦後、ひろひとさんの威や人気が一般国民の間では全く色あせなかったことと、いわゆる「A級戦犯」への怨嗟による誹謗中傷は対照的である。ただ、おいらの言いたいことは、一般国民がいわゆる「A級戦犯」へ怨嗟を抱くのは自然な感情だと容認できる。しかし、ひろひとさんのいわゆる「A級戦犯」無視は道義的にかなりやばい....。

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