いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

『羊をめぐる冒険』、羊博士は竹雀

2009年09月10日 20時38分06秒 | 仙台・竹雀・政宗


朝、賃労働に向かう道すがらのあさがお

■『羊をめぐる冒険』

『羊をめぐる冒険』を約四半世紀ぶりに一気再通読する。
はじめて読んだのは、中曽根自民党が300議席を取った頃だ。

あの頃読んだとき強い印象、つまりこれまでの小説とは全然違うという。
もっとも、単行本化され5年も経って読んだのではあるが。

今回再読して、四半世紀前は何を読んでいたのだろう?あんなに印象を受けたのに、という感じ。全然、難しい、『羊をめぐる冒険』。

■そもそも「羊」が何を意味するのかわからない。ただし、『羊をめぐる冒険』が近代日本の空虚さと愚劣さを描くのが目的のひとつだと了解した。そして、「羊」が近代日本の隠喩らしい。すなわち;

可哀そうな動物だと思わないか?まあいわば、日本近代そのものだよ。
 しかしもちろん、私は君に日本の近代の空虚性について語ろうとしているわけじゃない。
文庫本(上)p177、先生の秘書の発言、

「日本の近代の本質をなす愚劣さは、我々がアジア他民族との交流から何ひとつ学ばなかったことだ。文庫本(下)p65、羊博士の発言。

つまりは、愚ブログのプロフィールの偏愛マップのおいらの関心事のひとつ”近代の成立とゆくえ、および日帝の成立と崩壊とその後”は、『羊をめぐる冒険』から命じられた冒険ということだ。

■なぜか竹雀


『羊をめぐる冒険』の羊博士はなぜか旧仙台藩士の子弟である。実家は(仙台伊達家の)城代家老を務めた旧家。羊博士は日帝農林官僚として満州国駐在(『羊をめぐる冒険』での表現は"中国大陸北部"、満州という語が村上春樹は使ってない、"日満蒙"は使っている)中に「羊」が体に入り、内地に帰還。その直後、「羊抜け」をする。その「羊」は右翼の黒幕の先生に入る。

その羊を日本に運んできた羊博士は、

 羊博士の息子であるいるかホテル支配人によれば、羊博士のこれまでの人生は決して幸福なものではなかった。
「父親は一九〇五年に仙台の旧士族の長男として生まれました」と息子は言った。


つまりは、愚ブログのプロフィールの偏愛マップのおいらの関心事のひとつ”政宗 竹雀・仙台”は、『羊をめぐる冒険』から命じられた冒険ということだ。

●さて、ねちねち;

たとえば、村上春樹の小説は一字一句にこだわり、瑕疵がないどころか、その一字一句は極めて意味深長であり、相当読み込まないとその奥儀は極められないとされる。(佐藤幹夫の『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』

そうだと思う。なぜなら、今回『羊をめぐる冒険』を読んで、わからないことが多すぎる。逆に言うと、四半世紀前に読んだとき「全然わからない!」という印象を持たず、むしろ極めて感銘を受けたということは、村上作品は素人にもそれなりに楽しめること、あるいは一方この四半世紀で、わからないことはわからないとわかる分別がついてきたのかもしれないことを示す。

しかしながら、村上春樹の一字一句に瑕疵を見つけた。

「父親は一九〇五年に仙台の旧士族の長男として生まれました」

まつがい; 士族という身分は戦後になって初めてなくなった身分である。羊博士は仙台の士族の長男としてうまれたのである。羊博士が生まれた1905年には、「士族」という身分は存在していた。旧は不用なのだ。そんなに旧が使いたいたら、「父親は一九〇五年に仙台に旧伊達家臣の長男として生まれました」ならいいかもしれない。なぜなら、一九〇五年には伊達家臣団は伊達家宗家と主従関係を解消していたから。でも、旧伊達家臣は士族である。旧士族といっていいのは戦後以降である。

羊博士の帝大卒業証書には、宮城県 士族 "羊博士"と書いてあるはずである。もっとも、学士なのに羊博士はないだろう!というつっこみはあまりにベタだ。(参考愚記事;士族と平民

▼それにしても、なぜ羊博士が旧仙台伊達家藩士、それも上級家臣、の息子という設定なのかはさっぱりわがらねぇ。



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