COCKPIT-19

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名画「カサブランカ」の前日譚を読みました。

2021-06-30 14:57:50 | 映画・小説
ナチスドイツの侵攻が間近に迫る1940年2月のパリ・モンマルトルの冬空に、鉛色をした戦雲は容赦なく近ずいていた。 入口のドアベルが上品な音で小さく鳴る。 開店前に慎ましく入ってくる人間は一人しかいない、イルザは近ごろ親しげにピアノの上に手を置くようになった。「ねえ、サム。リックがスペイン内戦の義勇兵だって話、本当なのかしら」「まさか、あんな酷い戦争に,ボスが」 サムはイルザから目を逸らして、譜面台の楽譜をそれらしくいじり始めた。リックは反ナチスの要注意人物だ。 今後の事態の推移いかんでは、関係者にも危険が及ぶ。「マドリードから逃げてきた難民に聞いたのよ。リックはあの戦争の英雄なんだって、胸を張っていたわ」。

「へえ、そうですか・・・」空とぼけるサムの顔をイルザが覗き込んできた。 とたんに胸がざわつく。恋化粧が絶世の佳人をさらに輝かせている。サムは澄ました顔を作ると,ハミングしながらイルザの好きな <時の過ぎゆくままに> を弾き始めたが、イルザはごまかされなかった。「サムあなたは嘘を吐くとき目が一瞬泳ぐのよ、リックに口止めされているのね」「・・・人生は楽しいことのほうがずっと少ないですから、余計なおしゃべりはするなって、ボスに怖い顔で言われてますので」「スペインでリックのしたこと聞いたら、きっとわたしが彼を嫌いになってしまうのね」「逆です。もっと惚れ直しますよ」。こんな書き出しで始まる新刊書「太陽の門」は、歴史小説に新風を巻き込む赤神諒氏が、初めて挑戦した現代小説。 

映画史上不朽の名作として多くの映画フアンに、今なお愛され観られている「カサブランカ」へのオマージュを込めた全日譚として着想された。 5か月後に幕を開ける第2次世界大戦での枢軸国対連合国の戦いを先取りしたスペイン内戦(1936~1939)が舞台。 成立したばかりの共和国政府に対する軍部の反乱を阻止しようと、立ち上がった市民兵とともに銃をとった元米国海兵隊大尉のリックが主人公。 圧倒的な劣勢に立ちながら、徒手空拳で立ち上がった市民ひとりひとりをクローズアップして描く。 ファシズムとスターリニズムから、自由と民主主義を守る戦いと言われるこの戦争が、本当は何のための戦いだったのか、を浮き彫りにする。

この本に惹かれるのは、キザでスパイスのきいた文章とセリフ、洒落た会話で、日本語に翻訳した文章を読んでいるような錯覚に陥る。・・・リックは長髪の女を好むが、珍しい例外がゲルダ(戦場カメラマン)だった。ベリーショートの黒髪が実によく似合う。艶やかな薄い唇は,口角が常に上がっていて、挑戦的だ。フェラリー(マドリッドの居酒屋の主人)の野暮ったいウインクと違って、ゲルダのそれは、謹厳な聖職者さえ惑わせるほどに妖艶だった。・・・「リック、このきれいな娘(子)をバーボンで潰して、何をするつもりだったの?」「勝手に彼女が酔いつぶれた、なんて言い訳は通用しないんだろうな、ともあれ恋という甘美でほろ苦い代物はスペイン製のライフルより質が悪い。めったにうまく行かないものさ」

「いつもながら無粋な譬(たと)えね。あなた、まさか拳銃の照準を落ち着き払って定めるみたいに、冷静な恋をしてきたんじゃないでしょうね」「恋のやり方も忘れちゃったみたいね。これだけわたしの近くにいて、一切口説こうとしなかった男は、あなたが初めてよ」「恋はある種の戦争だ。やるにはそれなりの覚悟がいる」「恋を戦争に譬えた無粋な男は,あなたで史上百人目くらいかもね」「人類の歴史は古今東西、ひたすら戦争だ」「でも違うわ。恋は冒険よ。相手も、自分も傷つくけど、二人とも孤独からは救われる」ゲルダのゆったりしたハスキーヴォイスは、上質なビロードのように耳あたりがいい。 しかし彼女は危険な前線の取材中に銃弾を背中に受け、掻き抱くリックの腕の中で最期を迎える。微かなハスキーヴォイスが聞こえた。「ありがとう。こんな狂った時代でも、あなたに出会えてよかった・・・」

  








 










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