僕は親友の一人を失わずにすんだ。 これまでも病名は隠して、ブログでも紹介してきた東京の友人だが、実は脳腫瘍だった。 それも悪性で生存率はほとんどゼロに近い、そんな中にあっても彼は諦めなかった。 前にも癌を患い、何度もの手術に絶えながら根治させた経験が、彼を奮いたたせたのだ。
忘れもしない昨年の11月初頭、僕の出版記念に出席するため来てくれるはずの彼が、当日の午後猛烈な頭痛に見舞われ、大学病院の脳神経外科に緊急入院した。 会場に電話が入り、気が動転した僕は、満足な挨拶ができなかった。 病名は「脳原発性リンパ腫」、すぐに手術を施し、できる限り腫瘍は摘出したが、場所的に難しい部分は抗がん剤治療を続けてきた。
僕は家族の一員として、科学医療チームからの説明に立ち会った。 脳の癌は増殖の勢いが激しい、それでも子供や若い人の治癒率が高いのは、強い抗がん剤の副作用に耐えられる体力があるからで、その限界は65歳。 しかし自分の体力は本人が一番よくわかっている。 彼はもっと強い薬の使用を希望し、腫瘍が小さくなったところで、放射線をかける「複合治療」の方針が決まった。
彼は厳しい治療によく耐えた。 そして奇跡は二度起きた。 一度は20年前の舌癌からの生還、さらに今回は病院側も驚くほどの治療効果で、先週ついに退院までこぎつけた。 もはや腫瘍の痕跡すら見当たらない。 主治医はその要因として二つを挙げる、「抗がん剤の進歩」と「本人の強い意志・体力」、僕はそれに奥さんと身内の支援を加えたい。 それにしても彼の経験が、これからの治療に一石を投じたことは確か。
彼は退院後ひんぱんに電話をくれるが、合併症として予想されてた「放射線治療による認知障害」は、まったく感じられない。 いま癌の情報は巷に溢れているから、病人も家族も容易に判断がついてしまう。 しかしそれは過去のもので、今回のように癌治療のページは刻々塗り替えらている。 難しい癌でも、諦めずに「正面から挑戦してみる」時代に入ったのかもしれない。