COCKPIT-19

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予期せぬ出来事、「モモが逝き、さくらが残りました」

2021-04-30 15:12:13 | 日記・エッセイ・コラム
17歳になった黒柴犬の「サクラ」がほとんど歩けなくなり、車椅子で公園を散歩している経緯は、これまでもブログで紹介させていただいた。 一方2歳年下の「モモ」は極めて元気で、犬友の女性たちに連れられて池の周りを1周した後、森の中も毎日散歩していた。 毎年4月は狂犬病の予防注射と定期健診を受ける。 その日も午前中にすべてを終え、午後から公園に行き歩き出したが、さくらが突然よろけて倒れた。 すぐに起き上がったが、多分予防注射のせいだろうと直感的に判断し、運動を中止して帰宅し病院に電話を入れると、すぐに連れてきてほしいと言われた。 病院についた時点では、抱き上げないと車から降りられない状態になっている。 

レントゲンとエコーで調べるからと説明され、およそ1時間後に診察室に呼ばれると、目を閉じたままぐったりして、僕の問いかけにも反応なし。 院長の説明では、肝臓の腫瘍が破裂してかなり大量出血しており、手術をしても助からないとだろうと言われた。 エコーの映像を見ると、白い映像が広がり続けている。 予防注射との関連性は皆無で、まったく偶然の一致との説明。 当然入院ということになり、くれぐれも苦しませないで欲しいとお願いして、いったん帰宅した。 呼び出しの電話が入ったのは夜の8時ごろ、院長と若い医師、看護婦などが診察台を囲んで集まっており、二人が心臓マッサージをしているが、僕に配慮したゼスチャーだとわかった。 モモはすでに死んでいたからだ。

まだ暖かいモモの体に触れていると、嗚咽がこみあげてきて少しの間泣いた。
やがて遺体は小さな毛布に包まれて姿を現したが、首にリボンがつけられ、体の上に小さなお花が添えられている。 多分入院中に亡くなる動物には、こうした心配りもマニュアル化されているのだろう。 車に乗せるためモモを抱きかかえると、生きていた頃よりも重いのに気が付いた。 病院の人たちに見送られて家に帰り、ワインを2杯ほど飲み、まだ暖かさの残っているモモを抱いて横になり、夜中まで眠ってしまった。 生前、モモが行方不明になっても、必ず見つかるところが、我が家から少し離れたM子さんの家。 そこに行くと美味しいおやつをもらって、最大級の持て成しを受けられるからだ。 

死んだ翌朝、彼女のところへ報告に行くと、サクラの間違いじゃないかと本気にしなかったが、事実が吞み込めると火葬の予約をしてくれ、午後にはお花を持って我々に同行してくれた。 火葬場は郊外の広々とした田園地帯を見下ろす高台にあり、周りには見事なチューリップ畑が満開。 短いお経の後、最後のお別れをし、サクラはカーテンの奥に消えた。 焼却の所要時間は60分、屋外のデッキで小春日和の日差しを浴びていると、モモと過ごした15年が思い出される。 彼女は生後60日ぐらいで拾ってきた雌の雑種犬だが、先に飼っていたサクラの母性本能を刺激し、我が子同様に可愛がれて育った幸運の持ち主。 純白の中型犬で顔と足が長く、尻尾はしっかり丸まって耳はピンと立っており、飼い主が言うのもおこがましいが、雑種とは思えぬなかなかの「美犬」。 
 
また神経の 細やかな犬で、例えば僕が車椅子を押しながらモモを連れて歩くときなどは、間隔を保って引っ張ることのないよう気を使ってくれる。 また辛抱強く、注射をしても騒いだことがなかったが、今回の内臓破裂でもきっと前から痛みはあったはず。 飼い主に心配をかけまいと我慢していたとしたら、不憫でならないし、病気に気付かなかった自分に悔いは残る。 焼却を終え骨壺を持って家に帰り、あらためて考えたのは、「あっけない最後だったが、モモの一生は幸せだったろうか?」ということ。 晩年、僕はあまりかまってやれなかったが、モモという相棒と一緒に過ごせたことと、ピンピンコロリで他界できたことの2つで、満足してもらうしかないと思うことにした。