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 1999年夏の国会で「国旗国歌法」が成立した。「日の丸を国旗とする。君が代を国歌とする」というだけの簡素な法律で、「学校教育の現場で強制はしない」
「学校教育の現場に影響は与えない」と当時の小渕総理と野中官房長官は何度となく国会で答弁した。

 これを真っ向から踏みにじったのが東京都教育委員会だった。卒業式・入学式で君が代で起立しなかった教員に対して大量処分を強行。横山教育長(現副知事)は、「国会答弁が間違っている」と居直って処分権を濫用して教員への締めつけを強めてきた。

「学校教育の現場で強制を行ない、影響を与える」というのが、昨年から今年にかけての東京都の姿勢である。町田市教育委員会では「声量指導」という笑えない言葉まで登場した。教員が歌っているのは、ほとんど声の出ない「口パク」ではなくて、本当に歌うかどうかをチェックすることをやろうという話だ。

 超管理社会を描いたジョージ・オーウェルの『1984年』の世界に近づいてきた。私は、「声量指導」の次に出てくるのは「表情指導」だと思う。つまり、心から君が代を斉唱しているどうかをビデオ撮影し、「表情解析・深層心理到達型ソフト」のコンピュターにかけて「正常」「ほぼ正常」「無感情」「やや逸脱」「抵抗心あり」「不服従」のランク別に分ける。無感情以下を「要指導事例」として
ウソ発見器にかけて国旗国歌に対する敬愛の念をチェックする。

 このように書くと、極端なジョークを書きつらねると苦笑して溜め息をつく人ばかりではない。真顔でメモを取り始める学校管理職が出てくる時代だ。東京都教育委員会もさっそく「表情解析・深層心理到達型ソフト」の導入を検討しかねない状況だ。

 さすがに、心の中をチェックして何を考えているかを処分対象にするということが許されるのかと、内閣法制局に国会で質問すれば、「憲法19条 思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」という憲法上の「内心の自由」を念頭にした答弁を作成するだろう。

 戦前は、内心の自由は存在していなかった。「この戦争は負ける」と言っただけで非国民の烙印を押されたし、「軍部は横暴で庶民はだまされている」などと考えただけで反国家的思想犯となった。そこで、多くの人々は面従腹背を強いられた。

 ただし、人間の感情は「表情」「声質」「動作」などに如実に現れるのだ。ITテクノロジーの発達で、戦前にありえなかった「面従腹背を見抜くソフト」なども開発されかねない。私たちは、時代の先を読んで「内心の自由」が脅かされている現場が、いま東京の学校教育で始まっている。あまりに稚拙な忠君愛国を掲げるやり方をひややかに見るのは自由だが、あまり甘くみない方がいいと思う。



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