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小学6年生に早すぎる「青春」が訪れる。とくに、女の子たちはそうだ。昨年、起きた佐世保事件を取材していて、痛く感じた。

 青春という言葉は、今やほとんどオジサン語になっているやもしれないが、昔は「高校3年生」(舟木一夫)という歌もあったように、10代後半から始まる人生花の季節だった。

 ひとときが眩しく、日々が過ぎるのが痛い。カレンダーが進むにつれて、受験先が決まり、試験の関門が待ち受けている。どんなに親しかった友人とも、別れの時がやってくる。時の歩みは待ってはくれない。

 佐世保市内に公立の中高一貫校「県立北中・北高」が出来て、市内中心部にある大久保小学校の6年生も、受験するようになったのは昨年からだ。たった1クラスしかない38人のクラスから、何人かが受験して合格していく。

 以前は、クラスのほぼ全員が地元の公立中学に進学した。そこには、競争も、合否も、また別れもなかったはずだ。首都圏や阪神地区などと違って、つい最近まで佐世保の小学生には「中学受験」は遠い話だった。

 地域の親たちが中心となって運営していく「社会体育」も、強い影響を与えている。被害少女・加害少女ともに、女子バスケ部の部員でハードな練習で汗を流していた「勝つか・負けるか」試合の結果に引き分けはほとんどない。

 身体の成長は早くなった。パソコンの普及で、知識も豊富に入ってくる。スポーツの練習の密度も濃く、また受験という関門もどこかで意識する。オジサン世代の経験した1960年代半ばの「高校3年生」と環境は似通っている。

 女の子は、言葉の文化を持っている。沈黙や短い意思表示意外の表現手段を持たない男の子と違って、女の子たちはイラストで、文章で、詩で、写真で、HPで自分を表現する。つま先立ちするように、背伸びして、持ちうる言語力を総動員して「交換日記」をまわす。

 事件が起きる直前、被害少女は加害少女が中心となってまわしていた「交換日記」のサークルから「外れる」ことをメモで人づてに伝えた。HP上のトラブルに加えて、加害少女は被害少女との関係の断絶を感じたのかもしれない。

 「なぜかという謎解きはしない」と春に会った被害少女の父、御手洗恭二さんは静かに言った。「ただ、このような事件が繰り返し起きないために何が必要なのか」を問い続けていきたい――という姿勢に頭が下がった。

来週は、佐世保現地で多くの関係者からさらに話を聞くことにしたい。


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